しつけ。
「どうやら、随分と手加減をしてくれたらしいじゃないか?貴族殿。」
テレスタは鷹揚な笑みを浮かべている。シーラの一撃位だったら人間の拳もけっこう堪えるが、そこいらの冒険者に殴られた程度なら問題にもならない。対するジェイク、と名乗った男は未だに呆気に取られている。怒りに任せて全力で拳を振るったのにもかかわらず、まるでノーダメージ。だが、自分が少しも手加減しなかったことは、自分の握った右の拳がジンジンと痛むことからも間違いなかった。
実際のところ、ギルドホールに居た全員が自らの目を疑ったほどだ。ジェイクが良いところのボンボンだというのはここにいる殆どの者が、彼の引き起こす面倒事に巻き込まれるなりして理解していたが、それでも彼が一応冒険者としての活動はして居るとの認識がある。その冒険者の拳を顔で受けてニヤニヤ笑っているこの男は一体何なのか?全員が唖然としてしまっていた。
「カーミラ、ちょっと外で運動してきてもいいかな?船旅が長くて、身体がだるくて仕方ないからね。」
「ええ、行って来たら?列は取っといてあげるわ。軽く運動でもして来たらいい気分になるかも知れないわね?運動になれば、だけど。」
軽口を叩きあう白黒コンビに、ジェイクが青筋を立てて怒りを露わにする。
「亜人ごときが…いい気になりやがって!表へ出ろ!そのふざけた面、叩き切ってやる!!」
「ああ、言われなくても出ていくぞ。しつけのなっていない冒険者の性根を叩き直すのも、ギルド職員の務めだ。」
そんな務めは無い、というギルド職員の面々による無言の訴えを軽く流したテレスタは、表通りへと繰り出す。そこに自分の獲物である大剣を引き抜いたジェイクが追いすがる。彼は怒りに任せて、こちらを振り向きもしない亜人に刀身を振り下ろした。
瞬間、ひゅっと左に身を躱したテレスタは、そのままゆっくりと振り返る。
「せっかちな事だ。レビウスの貴族殿は礼儀作法もなっていないのかな?」
地面に突き刺した大剣を引き抜きながら、ジェイクは応える。
「亜人に見せる礼儀なんてねぇよ!」
ギリリ、と奥歯を噛みしめ、構えなおすジェイク。テレスタは冷めた瞳でその姿を一瞥すると、徐にポケットに手を突っ込み―
「彼我の力の差も解らん愚か者め。」
そういうと同時に、巨大な、信じられない重量感の双剣を顕現させた。ツイン・ヴァルディッシュ、ディアブロ。人間に対して使うような武器では無い。何しろ、空想上の魔神を斬るために作られたという、とんでもない代物だ。だが、テレスタは珍しく怒っていた。人間族が他の種族に対して蔑みを持っていること自体はそれなりに理解しているし、何度かそのような態度を向けられたこともあったが、こうもあからさまに「自分のモノだ」などと罵られると、怒りを抑えておくことが出来なくなった。その目には、自分の大切な人に無礼をはたらく者を容赦はしない、という意思がありありと映し出されていた。
一方、完全に固まってしまったのはジェイクの方だ。先に大剣で攻撃した以上手を引くにもプライドが許さず、かといって眼前の、もはや人間が扱うものとは思えない巨大な双剣を目にして、一歩を踏み出す勇気も無い。逡巡するジェイクを尻目に、テレスタは言葉を投げかける。
「どうした、貴族殿。さっきまでの威勢はどこへ行ったのだ?」
「―!く、こんなこけ脅しでこの俺を止められると思うなぁ!!」
ジェイクは、勇気というよりも、もはや目の前の存在をどうにかしなければという恐怖心から、思い切り大剣を振り下ろした。…だが、 ガィン! 硬質な金属音の次に、両手にビリビリと感じる強烈な衝撃。見ると自分が確りと握っていた筈の大剣が、遥か遠くへと吹き飛ばされていく最中だった。
意味が解らない。両手持ちの大剣が、空中を吹き飛んでいくなど、人間のパワーでは無い。そもそも相手があれだけ巨大な双剣をいつ振るったのかも見えなかった。
「さあ、剣を拾って来い。言っただろう?性根を叩き直してやる。」
テレスタは微動だにせず、ジェイクをじっと見つめながら淡々と言った。悔しさに顔をゆがめるジェイク。くそ、次こそは!と思い大剣を拾って切りかかるも、結果は変わらない。大剣は宙を舞い、両手はジンジンとしびれて、すぐに使い物にならなくなってしまいそうだ。それが、何度となく繰り返される。ついには、ジェイクの両手は悲鳴を上げて大剣を握るのを諦め、彼は剣を取り落としたままテレスタを睨み返すことしか出来なくなっていた。
もうそろそろ、頃合いか。テレスタはそう思う。良いデモンストレーションになった。私たちに手を出せばどうなるか、ギルドホールに居る連中にも、外で見ている野次馬にも、十二分に伝わったろう。そろそろ終わりにしないと、報告にも支障が出る。
「さて、貴族殿。私も仕事の途中だから、そろそろ戻るとするよ。もう2度と妙な気は起こさないことだ。いいな?」
子供に諭すような口調に顔を歪めるも、ジェイクに出来ることは何もない。テレスタは無言で踵を返すと、ディアブロを背負ってギルドへと戻っていく。
(ぐ、許せん。この俺を、公衆の面前でコケにしやがって、許さん、許さんぞぉぉぉ!!)
ジェイクは最後に残った力で大剣を両手で握ると、突きの構えで、背中を向けているテレスタへと襲い掛かった。
「うおおおおおお!死ね!!」
大声を出して大剣を突き刺そうとする刹那、テレスタは振り返りざまに言った。
「やれやれ、馬鹿に付ける薬はないものだな。」
瞬間、ゴッ、と強烈な衝撃がジェイクの身体を直撃し、記憶ごと身体が横へ吹き飛ばされていった。周辺の野次馬は、大の大人が異形の大剣の一振りで何メートルも吹き飛ばされるという非常識な出来事に、完全に言葉を失っていた。ドサリ、と地面に落ちたジェイクを一瞥することも無く、テレスタはギルドへ入っていった。
ギルドの列に戻ってきたテレスタに、カーミラが声をかける。
「どうだった?いい運動になったかしら?」
「いや、全然だ。一人でやった方がまだ運動になるというもんだよ。手加減ってのは難しいな。」
そんな会話を繰り広げる。周りで聴いていた冒険者たちはブルリッと身体を震わせ、やばい、あの白黒コンビやばい。絶対話しかけないようにしよう、巻き込まれたら命がいくつあっても足りない、と心に刻むのだった。
ギルド受付で調査依頼で来たことを告げると、先ほどの出来事で顔を引きつらせていた受付嬢はこれ幸いと上司にバトンタッチをし、その上司は面倒事を受けるのは御免だとばかりに素早い対応でレビウスの情報統括部長へと話を引き継いでくれた。有り難い。素晴らしい仕事ぶりに感心したテレスタだが、完全に面倒事扱いされていることには気づいていなかった。
「初めまして、テレスタ殿、カーミラ殿、私はレビウス冒険者ギルド情報統括部長のキルケです。お噂はかねがねお聞きしていますよ。どうぞ、お掛け下さい。」
ニコニコと柔和な表情を浮かべるキルケ。その言葉に従って、2人は腰を下ろす。
「レビウスにお越しいただいたとたんに何か失礼があったようで、お詫びいたします。申し訳ありません、この都市は人口は多いのですが、何分ほとんどが人間族でして、モレヴィアほど異民族には寛容では無いのです。」
謝罪を述べるキルケに、カーミラは首を横に振って応じる。
「キルケ殿が気に病むことではありませんよ。当事者にもお灸をすえることは出来たわけですし。」
テレスタに向かってウィンクをするカーミラ。少しこそばゆい。微笑ましいものを見ました、という表情のキルケだが、不意に真顔になると、二人に注意を促す。
「実は、そのことなのですが、今日騒ぎを起こしていたジェイク・アタナシウスはレビウス3大貴族の一つ、アタナシウス家の三男で、この都市ではそれなりに権力を持っている男です。もしかすると、こちらに滞在中、報復措置に出てこないとも限りません。」
「ああ、それならば覚悟の上です。もとより、亜人に傷つけられた人間族はたいてい逆恨みするようですし、報復はむしろ自然な流れでしょうね。」
テレスタはさも当たり前だとでも言うように答える。
「ええ、ええ。そうですね。私どもも出来れば争いを未然に防げるようテレスタ殿に助力をしたいのですが、さすがに一職員を守るために3大貴族の一つと対立するわけにも参りません。」
そこで言葉を区切ったキルケは、申し訳なさそうな顔をして先を続ける。
「そのような私たちがこういったお願いをするのは本当に心苦しいのですが、もしアタナシウス家が報復を取ってきたとしても、出来れば、やり過ぎないようにお願いしたいのです。アタナシウス家は武力にものを言わせるタカ派の貴族ですが、そこに雇われたり、その活動を生活の糧にしている市民は沢山おります。また、レビウスの城壁管理なども彼らに任せているのです。その貴族が潰れてしまうとなると、レビウスの都市全体が大きなダメージを受けてしまいます。ですから、勝手なお願いなのですが、どうかやり過ぎないようにお願いしたいのです。」
その発言にテレスタは面白い話を聴いた、という風に笑顔をつくって応える。
「キルケ殿、心配には及びません。私達はその貴族を徹底的につぶすとか、そういう考えはそもそも持ち合わせていませんよ。身に振る火の粉は払いますが、それ以上に追い込んだりはしませんから。」
(もしかしたら、狂戦士のようなイメージで見られているのかもしれないな。今日の出来事を見れば仕方がないが、なりふり構わず敵を殲滅する、なんてことは私はしないのだがなぁ。)
そう思うと、なんだかイメージを勘違いされていることが少し残念になるテレスタであった。
いつも有難うございます。
貴族の話とか、ありきたりにしないようにするのが、
結構難しいことですね。
歴史的にも貴族・豪族は同じようなことをしてきたわけですしね…




