新王。
アラムの源泉、その巨大な湖沼の中央付近なのだろうか、ひとつの島がある。テレスタは泳ぎながら、その風景をざっと眺めた。本当に、ここに文明があったのだろう。島のサイズはかなり大きく、現在はうっそうとした森が形成されているが、その中には住居や道路があった痕跡がそこかしこに見られる。そしてその奥、島の中央には、ひっそりと古城が立っていた。遠目には真緑の壁のように見えるそれだったが、よく見ると壁一面に蔦が絡まっており、実際の城壁は花崗岩のような真っ白い石材が使われているようだった。とは言えそれも長年の風雨によってひどく色あせたものになっていたが。
“新王の帰還です。皆、道を開けなさい”
オリヴィアがそのように念話を発すると、ザァッ、と木々が揺らめいた。そして、テレスタが古城まで進める道らしいものが形成された。
“さ、テレスタ様、こちらです。足元にお気を付け下さい”
呆気にとられるテレスタに声をかけるオリヴィア。いや、足とか無いんですけどね。というかこの巨体では、ここに上がり込むのは難しい様だ。そもそも城に入れない。仕方がないので、クロノスの空間魔術で小型化し、進むことにする。
「先王までの世代は随分と身体が小さい竜族だったのだな?」
“ええ、そうですね、王族は皆テレスタ様と同じ多頭竜ではあらせられたのですが、身体の大きさは10メートルを超える方はあまり無かったかと。”
うーん、やはり私の身体は特別巨大であるという事らしい。というかまだ竜族と決まった訳でも無いのだが。そこらへんはどうやって解るのだろうか?
“そのお姿で念話を使えるだけで、もはや竜族であることは明らかだと思いますが…”
ぐぬ、そうなのか、いや念話が使える魔獣って確かに殆ど見かけられないという話だったし。
“もしも竜族であることが確かめたいのなら、この古城の地下に眠っている記録庫へ足を運んでいただければ、そこで自ずと解ってくるでしょう。そちらは竜種の魔素にしか反応しない特殊な術式を施した扉で守られていますから。”
なるほど、古代に作られた記録庫か。そこで竜種であることが判明しつつ、古代の資料も読み漁れるとは、私の知的好奇心の食指にグイグイ引っかかるぞ。
などと会話をする間に、一人と一匹は古城の門扉へと到着した。800年という時を感じさせない、美しく整備された門と、そこから見える前庭に、テレスタは息を呑んだ。
「これは、全て、オリヴィアが…?」
“ええ、新王をお待ちしている間、城の管理を出来るのは私一人でしたから。”
…ああ、私、この子のために王様になってあげちゃおうかしら。800年もの間、来るか来ないかもわからない次の王を一人で待ちながら、芝刈り、もとい古城の管理をしていただなんて。あまりにも苦労人過ぎる。これで意地悪な侍従長でもいたら、この悲劇は完璧である。
そうこうしている間に2人は古城の中へと歩を進めた。広々としているが、創りは非常にシンプルで、多少の壁画などは施されているが華美な点は見当たらない。それでも掃き清められた空間は凛とした美しさに満ち、2階の明り取りより降り注ぐ陽光が荘厳な空間を演出していた。この古城に仕切りは無いらしく、巨大な一つの玉座の間、という空間以外の意味は持っていないようだ。
“さあ、テレスタ様、玉座へお進み下さい。”
「なぁ、オリヴィア、本当に私が次の王という事で間違いないのか?どうも、私にはその辺りが判然としないのだが。」
私は、やはりそのことが気になってここで聴いてみることにした。私は魔獣イーターであって、王の器ではないような気がするのですが…。
“テレスタ様、私が無理なお願いをして貴方様をこちらまでお連れしたことは承知しております。しかし、王が生まれることによって、この毒牙の泉は本来の姿を取り戻すのです。そして、あなた様にその資質があることは間違いありません。”
そのあたりの話は、この島にたどり着くまでの道すがらで、オリヴィアから聴いていた。どうもこのアラムの源泉改め毒牙の泉は、王の力によって解放・封印されていた地域で、現在は王が不在のためにその本来のエネルギーが封印されている状況なのだという。こんなに魔素が豊かだというのに、これよりもさらに多くのエネルギーが生まれると言うのだろうか。
“正確にいうならば、この地の魔素の純度が上がる、という事でしょうか。また、他の龍王達の守るそれぞれの地とエネルギーが繋がり、この世界の循環が起こるのだと、先王はおっしゃっていました。”
え?龍王?そんなものも居るのか?
“はい、毒牙の王もまた、そんな龍王の一角です。”
…そんなやり取りをぼんやりと思いだしていると、オリヴィアから催促された。
“テレスタ様、どうか、玉座へとお進みください。それこそが、私たちティターニア族の800年の願いなのです。”
ティターニア族はともかく、オリヴィアの800年の願いは確かに叶えてあげたいね。源泉の力も活発化するようだし、私にとって悪いことでもなさそうだ。
「わかった、玉座に乗ればいいのだな?」
こくり、と頷くオリヴィアに背を向けると、テレスタは玉座へと向かう。そして、ひとつ大きく息を吐くと、陽光の差し込む玉座へと飛び乗った。
(ああ、人化して腰掛ければ、それなりに絵になったのになぁ。失敗した。)
下らないことを考えるのもつかの間、古城の2階天井に、巨大な魔術陣が出現した。青白く輝くそれは、何重かの同心円状になっており、その円からは腕のように数本の縦軸が生えていた。各々の円が絶えず右へ左へと回転しながら、その数本の軸が一本の円の直径方向へ伸びる軸へと収束していく。
ポーン、という少し気の抜けた高い音とともに魔術陣は何事も無かったかのように天井に固着した。淡い青白い輝きは放ったまま、さりとて消えるわけでも無く古城の床を照らしている。
同時に、オリヴィアは玉座の前で跪いた。
“テレスタ様、私達の、毒牙の王の座を戴冠していただき、感謝に言葉もありません…。この時を、どれだけ待ったことか…。”
つ、と一条の光がオリヴィアの頬を伝った。うん、これで良かったのだ。これ以上彼女の苦労話を積み重ねるわけにも行かない。ああ、でも、
「オリヴィア、もう思い残すことは無い、とか言って森の精霊になったりはしないでくれるか?私としては貴方に傍にいて欲しいのだ。」
息を呑むオリヴィア。その頬が若干朱に染まっている。あれ、これ言い方間違えたやつ?私としては今後どうすればいいのか解らないから、色々ご指南頂きたいという意味だったのだが…。
“わ、私もどこまでもご一緒する所存です…。”
「う、うむ。」
気の抜けた返事をしてしまった。なんか微妙な空気になっている。臣下として命を賭す所存です、的にも聴こえるから、そっちの方向だと思いたい。…オリヴィアさん上目遣いにチラチラ見るのは止めてください。貴方の目力はあなたが思っているよりもずっと凶悪なのです。いや、もしかしたら知っててやっているのか?
「ゴホン、それで、オリヴィア、これから私はどうすれば?」
“え、ええ、失礼いたしました、こちらへお越しください。”
顔を赤くしていたオリヴィアはすっと立ち上がり、地下へ向かう階段へと私を連れて行ってくれた。先ほど言っていた記録庫だろうか?ちょっと楽しみである。ペタ、ペタ、と石造りの螺旋階段を降りる足音。オリヴィアは普段空を飛んでいるためなのか、裸足だ。その裸足の足音が聴こえるほど、この空間は全き静寂に包まれている。
やがて、石造りの螺旋階段の終着点に、武骨で飾り気無い石の扉が現れた。それは殆ど石壁に見えるが、多少の切り込みが入っており、それが可動式のものであると辛うじて理解できる。
“この扉には魔術によって術式が組まれており、竜族にしか動かすことは出来ません。奥は記録庫、この周辺の歴史や、王の役割についての資料が保管されております。私はこちらに入室することが出来ませんから、入り口でお待ちしておりますね。”
そういうオリビアに向かって頷くと、私は石壁に触れてみる。すると、門全体が淡く青白い光に包まれて霧散し、その奥にいかにも古めかしい巨大な記録庫が拡がっていた。
いつも有難うございます。
家の近所をオナガの群れが飛んでいます。
あれってカラスの仲間らしいですね。
見た目は結構可愛らしいけどなぁ。




