模擬戦。
シーラはここ数日で何度目か解らない驚きと呆れの表情を浮かべていた。自分もそれなりに修羅場を潜って来たし、世界中を回って様々な経験をしてきた。多くの人間や魔獣と相対してきたつもりだが、目の前のこの存在は本当に意味が解らない。
「ゴホン、取りあえず、この姿は亜人として認めてもらえるのか?シーラ殿。」
ハッとして我に返るシーラ。彼女の目の前には、銀髪に黒い角を生やした、亜人らしき姿の美丈夫が立っている。
「あ、ああ、おそらく問題ないだろう。しかし、どうやってやったんだい?その…人間の姿になるってのは?」
「ああ、それは簡単なことだ。無属性魔術を使ったのさ。身体を小さくする空間魔術と、身体強化をする魔術の応用、と言ったところかな。」
「それが、簡単なことのはずが無いだろう。魔術の合成に人間はどれだけの研究時間を費やしていると思ってるんだい?全く、あんたのやることにはもう驚かないと覚悟をしていたつもりだったんだがね。」
「そういうものか?」
「ああ、そういうものさ。」
フゥー、と大きなため息。しかしそこには呆れも含まれているが、次の一手が打てることへの気色もどうやら含まれていたようで、シーラはニヤリと口角を上げる。
「じゃあ、その姿でそのまま情報統括部の職員登録をしてしまおうかねぇ。あとでマリウスの野郎にも顔見せする必要もあるだろうが…あいつの驚く表情が目に浮かぶよ。」
人間と亜人のみを採用とする、という規則を自ら作ってしまったギルド総統としては、亜人であると認めざるを得ない彼のような存在を握りつぶすのは難しいだろう。まさか蛇が人間になるとは、流石にそこまで頭が回るまい。
そうこうしているうちにさっさと手続きを終えたシーラは、テレスタの種族を適当に蛇人と記入し、採用書類を「既決」ボックスへと放り投げる。
「それじゃ、マリウスへの挨拶と行こうかね。」
‐‐‐‐‐
「さて、一応これで全部回ってきたわけだが、何か質問はあるかい?まあ、あんたの活動拠点はこのギルド内じゃなくて各未開拓地域やダンジョン、ってことになるだろうから、そんなに深く知る必要も無いけどね。」
ギルドの持つ各部署の説明を、挨拶もかねて周りながら受けたテレスタ。すでに若干の疲労が見えるのは、新しい習慣に慣れていないからだろう。人から好奇の視線を向けられるのは、それなりに疲れるもののようだ。死線と潜り抜けることとは別の緊張感があるのだろう。ところ変われば、という事だ。
ちなみに、ギルド総統のマリウスとの面会も早々に行われた。彼の文官は苦虫を噛み潰したような表情で「蛇人」の事を睨み付けていたが、これ以上の干渉はむしろ相手の逆鱗に触れかねない、という恐れから、意外とすんなりと採用を許可していた。
モレヴィア冒険者ギルドは大まかに3つの部署から編成されている。まずテレスタが所属する情報統括部、それから冒険者達の窓口となる圧倒的なサイズを誇る冒険者担当部、そして、様々な折衝や事務用品の調達など雑務を担当する総務部だ。殆どの職員とは今後交流する機会も無いだろうが、一応顔見せは済ませた方が良いというのがシーラの配慮で、テレスタも良くわからないままにそれに従った。人間の組織は難しい。が、彼の知的好奇心を満たすにはもってこいの機会ともいえる。
それらあいさつ回りを終えて、シーラとテレスタは情報統括部の事務所に戻ってきている。この部署は少数精鋭で、他の2つの部署に比べると随分とこじんまりとした事務所をあてがわれていたが、その部屋に配備されているデスクのうち半分は空席になっていた。情報収集のため、外に出ているのだ。
「まぁ、今のところ特に質問は無いよ。というか、何から質問すればよいのかも解らないといったところだ。知的好奇心は大いに惹かれるところだけどね。」
苦笑するテレスタ。
「そいつは重畳。で、雑事はこのぐらいにして、ここからが今日やるべきことの本命なんだが、ちょっと訓練場まで付いてきてくれるかい?」
「訓練場?」
「ああ、冒険者用に開放しているスペースさ。剣技や魔術を町中で練習するわけにもいかないだろ?」
「ああ、確かに。」
「それで、これからやってもらいたいのは、模擬戦だ。あんたの人化中の戦闘能力を測りたい。基本、単独で仕事をしてもらうことになるだろうが、場合によってはチームを組んだり、もしかすると冒険者と一緒にパーティで行動する可能性も無い訳じゃない。そん時のあんたの評価というのをつけておきたいという訳さ。」
「ふーむ、なるほど、それは私としてもやっておきたいところだな。この身体を動かす訓練も積んでおかないと、何かと厄介だからな。」
「そういうことだ。それで、訓練場にはあんたたちの面倒を見ていたルダスが先行して向かってるから、先ずは彼を相手にしてもらえるかい?年齢こそ若いが、元Cランクの実力派冒険者だから、それなりに楽しめる筈さ。」
シーラは、言外にテレスタがCランクよりは上であることを期待しているようだ。テレスタにとってはそれがどの程度なのかいまいち判然としなかったが、一般の冒険者からしてみると恐ろしく高いハードルだと言えるだろう。Cランク冒険者とは彼らにとって熟練した冒険者を意味するところであり、Bランクは一流、Aランクは超一流と評して相違ない。それだけに、シーラからの期待というのはかなりのものであった。
訓練場は思っていたよりもはるかに広大な長方形の敷地を持つ施設で、縦500メートル、横100メートルはあるだろうか。天上も高く、おそらくは30メートル近くあると思われる。その敷地の中にいくつかブースが区切られており、中では冒険者たちが模擬戦を繰り広げたり、魔術の発動訓練をしていたりした。見れば、手前のブースでルダスが訓練用のショートソードを持ってウォームアップをしており、準備万端といった様相だ。
「それで、私は何を使ったらいいかな?」
武器など生まれてこの方持ったことも無いテレスタなので、シーラに質問する。
「取りあえず、ルダスと同じショートソードでいいんじゃないか?その方が実力も読みやすい」
言われるがままに、刃引きされたショートソードを受け取る。それをグッと握りこんで2、3回振ると、頷いて訓練場へと入っていく。そして、ウォームアップを終えたルダスと向き合った。
「これはテレスタ殿。本日はよろしくお願い致します。模擬戦とはいえ、手抜きの無いよう私も全力で当たらせていただきます。」
深々とお辞儀をするルダス。本当に出来た人だ。こういう人を見習うと、きっと人間族の中でも上手くやっていけるんじゃないか、などと関係のないことを考える。眼前ではルダスが構え、テレスタは来たら反応すればいいとだらりと腕を下げている。シーラが右腕を上げると―
「はじめ!」
刹那、ルダスが一直線に飛び込んでくる。魔獣の踏み込みとも遜色ないスピードに一瞬瞠目するテレスタ。 (早いな!) 右側から横凪ぎの一閃。これをバックステップで躱すと、それを足の動きから読み取っていたルダスが同時に距離を詰め、返す刀でテレスタの首筋を左からを狙う。テレスタは咄嗟に右手に持ったショートソードを切っ先を地面向きに頭の上から左斜めに構え、相手の軌道をそらして回避を図る。得物同士がぶつかり、ガィン!と悲鳴を上げると、すかさずルダスは右手のみで持っていたグリップを両手で持つとテレスタの剣と自分の剣のぶつかる点を支点としながら右足を外へ一歩踏み込み、刀身に回転をかけてテレスタの剣を弾きながら、そのまま胸郭へ向けた刺突を放つ。 (ぐ、読みにくいな!) テレスタは刺突を左脚を軸にして重心を落とし、右足を引きながら回転して避ける。そのままその回転を利用して左上から袈裟掛けに剣を振るう。直接に刀身を受ければパワーで押し切られると判断したルダスは切っ先を斜めに下しながらテレスタの攻撃を下へと受け流す。 ギンッ と火花を立ててお互いの剣が離れ、そのまま流れでお互いが鏡のように脇構えになる。ルダスは左手に、テレスタは右手に、それぞれの得物を持って、次の切り合いのタイミングを見計らう。
(魔獣とは違ったやりにくさがあるな。よく考えられているし、切っ先や攻撃の位置も変化に富んでいて、とても読み切れない。技術勝負じゃ相手の土俵か。)
人間同士の戦いの場合、膂力に大きな差が出来にくいために、テクニカルな部分で最終的には勝負することになる。そのため、剣がぶつかる時は力でぶつかり合いをせずに受け流し、そしてそれによって空いた相手の隙を最短経路で攻めていくのが定石。力を込めれば込めるほど受け流された時の隙は大きくなり、自分にとって致命的な隙が生まれるのを避けられないからだ。
だが、それは膂力が人間であれば、の話。もしも人外な膂力を持っており、フルパワーで押し切る事のみに特化することができるなら、技術によって築かれた壁ごと、相手を粉砕することも可能になる。つまり、それがテレスタの土俵であり、テクニカルなつばぜり合いに持ち込もうとするルダスの土俵に登らないための手段でもある。
次の瞬間、テレスタは一直線にルダスへ踏み込む。勝機は、とにかく剣を受けさせること。右腕を横凪ぎに振るう。狙うはルダスの中心、腰骨。後ろへの回避・しゃがんでの回避が間に合わないと踏んだルダスは刀身を右上に受け流そうと構えたところで目を見開く。テレスタは剣の切っ先は使っていない。横凪ぎの一撃は、こん棒のように剣の腹を使って放たれていたのだ。
(まさかっ―)ルダスの思考よりも早く、 ガギィン! 火花を散らして刀身がぶつかる。テレスタはそのまま膂力に任せて両腕で思い切りショートソードを振りぬいた。
「おおおおおお!」
刀身を受け流そうとしていたルダスは、そのまま圧倒的なパワーで押し切られ、真横に吹き飛ばされていく。 ガァン!と鈍い音を立てて訓練場の壁に衝突するルダス。同時に―
「それまで!」
シーラの声が響く。その顔には苦笑い。壁に叩き付けられて、肺の中の空気をすべて吐き出してしまったルダスも、咳き込みながら苦笑いを浮かべている。
「―まっ まさかっ 受けたショートソードごと体を飛ばされるとはっ 常識の通用する相手ではっ 無かったですね はっはっ」
ルダスが呼吸を乱したままに言葉を紡ぐ。さすがに、今までどれだけの怪力と切り結んでも、身体ごと飛ばされる事は無かったが、よく考えればテレスタはSランクの魔獣。魔獣相手に飛ばされた経験ならいくつも数えらえるルダスは、前提が間違っていたのだと悟った。
「人間相手の、技術では、限界がありますね。」
少し呼吸が整ってきただろうか。シーラも彼の言葉に頷くと、にやりと笑みを浮かべた。
「テレスタ、あんたの力は分かった。今度からあたしが相手をしよう。なに、そうそうがっかりはさせないからさ。」
最近、ストレス発散の相手がいなくて困ってたんだ、と身体全体から瘴気を漏らす部長に、ブルリッと柄にもなく鳥肌を立てるテレスタであった。
いつも有難うございます。
近接戦闘ムズイ!
頭の中のイメージを言語化するのが、難しいですね。




