黒蛇職員化計画。
明くる朝、テレスタはルダスに連れられ、情報統括部へと戻って来ていた。事務所ではシーラが忙しそうに書類の山に目を通している。赤髪の腰まである長髪をポニーテールでまとめ、鋭い目に吊り上がった眉は気の強い印象を与えるが、容姿は整っており美人と言って相違ないだろう。年齢は30代前半、仕事の能力と腕っぷしの両方を買われてこの地位まで上り詰めたのだ。現に彼女は冒険者として活躍していた頃はBランクの凄腕のレンジャーとして知られ、Bランクの複数パーティを率いて各地の調査任務を専門に当たっていた。冒険者を引退してギルドに雇われることにしたのは、単に自分の名声を上げ、報酬を稼ぐよりも、冒険者全体に役に立つ仕事をした方が自分の実力を存分に発揮できるのではないかと考えたからだが、思った以上に書類仕事が多く、実際のところ毎日のように「暴れたいねぇ。」と呟いているのを部下から目撃されている。部長ともなると中々調査任務に自ら繰り出すわけにもいかず、身体を動かすと言えば、日々を悶々と過ごす中で朝夕、部下に訓練と称した八つ当たりをするのが精々であった。
そのため、調査対象そのものが期せずしてやってきた今回の案件については、シーラはかなり入れ込んでおり、テレスタの実態はもちろんの事、ヒュデッカ大湿原の奥地の情報についても、根掘り葉掘り聞いてやろうと息巻いているのだった。
テレスタとルダスが入室してきたことに気付くと、シーラは顔を上げてぶっきら棒に挨拶をする。
「おはよう、テレスタ殿。よく眠れたかい?」
“ああ、お陰様で、ゆっくり眠ることが出来たよ。初めてベッドというものも使ったしな”
ルダスは一礼すると、1メートルサイズのテレスタを机の上へと下ろし、その場を辞する。
テレスタはシーラのサバサバした態度に好感を持っていた。人間の表情を読むのは難しい。この位ストレートにあっさり表現してくれた方が、話しやすいというものだ。
「それでな、今日も色々ご協力願いたいわけだが…。」
“その前に一つ質問しても良いだろうか?”
「構わないよ。」
“冒険者というのは人間族にしかなれないものなのか?”
一瞬、きつねに摘ままれたような表情をするシーラ。そしてその意味を理解すると、大声で笑いだした。
「アッハッハ、こいつはいい!調査対象の魔獣が冒険者志望とは!流石に前代未聞も良いところだよ!」
くっくっくとひとしきり腹を抱えて笑ったのちは、急に真剣な表情になってテレスタを見据える。
「前例は無いが、どうだろうね。あたしとしちゃあ、あんたみたいな魔獣がギルドメンバーとして働いてくれるってのは、有り難いことだ。あたしは未到達地域の調査を専門にしていたレンジャーだからね、あんたの有用性については解ってるつもりだよ。」
そういって一呼吸。手元に置いてあるカップに入った黒い液体を一口含むと、思案にふける。
「…だが、ま、流石にギルドメンバーとして働くのは難しいだろうねぇ。」
“そうか、それは、そうだろうなぁ”
若干残念そうにするテレスタ。それが伝わったか伝わらないかは解らないが、シーラが言葉を続ける。
「ただし、ギルド職員としてなら、動けないことは無いかもね。あたしの組織、情報統括部のレンジャーとしてだったらね。」
その言葉に、テレスタは目を丸くする。そもそも誰かから雇われる、という発想が無かったのだ。冒険者だったら好きな時に好きなように仕事が出来るから、ギルドメンバーになれるのなら、まぁ森の奥地から気の向いたときに出てきて何となく魔獣討伐でもできるのではないか、なんてことを思っていたわけだが、雇われるってことはモレヴィアに住むということになるわけで、流石に昨日今日でそんなことは思いつきもしない。そのことを知ってか知らずか、シーラは口を開く。
「まぁ、流石にあんたをこの都市の中に住まわせておくってことは難しいかも知れないけどね。魔素が切れて突然巨大化されたりしたらたまったもんじゃない。」
昨日のやり取りで空間魔術の事についても聴いていたシーラは、いたずらっぽい微笑を浮かべながら続ける。
「どのみち、この話はあんたの調査が終わってから、上に掛け合って決めることだよ。あんたが本当にそのことを望むんなら、だけどね。それにお連れさんのこともあるだろ?」
上に掛け合う、の意味が良くわからなかったテレスタ。人間の組織は難しい。ともかく、自分の中に明らかに芽生えつつある欲求、「たとえ相手に害意があったとしても、人を救う」という祈りにも似た直観は、自分が人間族のためになにがしかの行動を起こすことを催促しているように思えた。
“わかった、では、その調査というものを進めてもらえるだろうか”
「ああ、もちろんさ。ご協力、感謝するよテレスタ殿」
言うが早いか、シーラは必要な資料と職員を集めて、調査と計測の再開を促した。
「はあああ?ギルド職員になるぅぅ!?」
昼時、テレスタとダークエルフ3人の一向は、宿の食堂にて昼食を摂っていた。本来は朝・夕の2食のみ提供している所であるが、テレスタが自由に街を回ることが出来ない関係上、昼食についても提供してもらうことになっている。宿を手配したギルド側からの配慮である。そんなわけで閑散とした食堂に、カーミラの声が響いている。
「あんたね、そもそも森に認められた守り神なのよ?そんなこと、出来るわけないじゃない!」
「そうですよ、テレスタ。流石に森の声の言うことに反することは、私には出来ません。そもそもあなたはアラムの源泉から長い時間離れて暮らせば、身体を維持することが難しいのですから、そのような判断はやはり看過できませんよ。」
森の守り神と言ったのは、あなた方であって私ではありません、という事をこの場で言うと、大変なことになりそうなので差し控える。
“ただ、私には空間転移魔術もある。帰ろうとすれば、本当に一瞬で帰ることは出来るんだよ。”
「まぁ、そりゃそうかも知れないけど、何だってそんなに急に仕事がしたくなったのよ?」
カーミラの疑問ももっとだ。それについては説明が難しいが、解っていることを伝える事にする。
“クロノスが出てくる少し前、空間転移魔術を完成させたとき、体中の魔素を使い切って昏睡状態になったことがあったんだよね。その時、頭の中に「人を救ってください」って声が流れてきて。いや、以前にもあったんだ。深い眠りに落ちている間に、何かメッセージが託されることがね。それで、何か仕事に取り組んだ方が良いのか、と思ってね。”
「…ふーむ、なるほど、テレスタの聴いている声は、あながち森の声から逸脱するものでは無いのかもしれません。貴方になにがしかの仕事をこの世界で成すよう取り計らう存在が居るのかもしれませんね。」
顎に右手の人差し指をかけ、俯くミレア。と、横で大人しく話を聴いていたライナスが口を挟む。
「テレスタ殿、都市で仕事をするという事は、それだけ人間からの差別を受けるという事でもある。我々ダークエルフは、このモレヴィアでこそある程度対等に扱われているが、他の人間族の都市に行けばその扱いは酷いものだ。我々ですらそうなのだから、魔獣であるテレスタ殿に対する人間の差別は、尋常では済まないと思うのだが、それでも仕事を受けるつもりか?」
“ライナス、いや、実は都市の中で仕事をするのは、あちらさんとしてもあまり好ましくないと思っているようなんだ。だから、他に方法があるのかもしれない。たとえば、そうだな、レンジャーとして雇われ、野営を基本として活動する、となれば都市に出入りするのは報告の時だけでいいし。”
「なるほど、そうなるとイネアとアラムの源泉近くに陣取って、定期的にギルドへ顔を出すだけで済むわけか」
「ふーん、それなら、まぁ森から極端に離れるわけでも無いから、いいのかしら?」
「私としては、テレスタから離れる時間が長くなるのは嫌ですけれどね。」
…ミレアさん、それは心の中にしまっておきましょう。ライナスが非常に微妙な顔になっておりますから。何はともあれ、職員として働く方向にも光明が見え始めた。あとは、「上との掛け合い」次第なのだろう、テレスタは、それが何か良くわからないけれど、うまく行くと言いなぁと、ぼんやりと思った。
いつも有難うございます。
何だか自分でも思ってもみないストーリーになって来て、
痛しかゆし。




