ティラコ・スミルス②
「!、これは、催眠ガス!?」
マルコーニ一行が叫ぶ。周囲に広がった白い煙は強力な催眠ガス。先日の盗賊紛いの使用してきた催眠剤を基にして、テレスタが作り上げた毒系統魔術だ。強力な毒ガスで周囲の人々を巻き込むわけにもかず、さりとて敵に甘さを見せるわけにもいかない。そういう意味では非常に使い勝手のいい魔術といえる。ともあれ、人間族にもルノの風による防壁が間に合ったようで、昏睡の被害は出ていないようだ。
視界のままならない催眠ガスの中心では、猛獣が風を纏わせた爪の一撃を放っていた。ルノの防壁でガスが防げるということは、ティラコ・スミルスもまた、ガスを防ぐことが出来るということである。ともあれ、ガスはあくまで風の付与の継続使用による魔力切れを狙った、消耗戦用の魔術。ここまでは予定通りだ。
(そして、風の付与されたこの爪による攻撃は非常にまずい。強化毒膜でも防ぎきることは出来ないのは、さっきの毒壁で確認済み。故に―)
ガッコン
少し間の抜けた音を立てて、猛獣の右前脚が何かにぶつかった。今にも振り下ろさんという位置から動かすことが出来ない右腕に一瞬だけ瞠目したティラコ・スミルスは、たまらず距離を取ろうと後ろへ跳躍する。
(―空間固定、腕を止めてしまえばどのみち攻撃は防げる。)
テレスタの前には、一瞬のみ視認できない固定空間が形成されていた。クロノスによる空間魔術、空間固定である。強度はどれほどか解らないため、爪を受けるのではなく腕の動きを阻害することで、攻撃を無効化したわけだ。
そして、後ろへと跳躍する猛獣の着地を狙って、アグニが強烈な火炎を放つ。 ゴオオオゥ!!! 火炎はティラコ・スミルスの防壁とぶつかり巨大な渦となって敵を包み込んだ。風の防壁は炎の直撃こそ避けられるが、その熱まで遮断することは出来ない。数秒の魔術のぶつかり合いの後、炎の奥から姿を見せた猛獣は明らかに消耗していた。しかし、風の付与を切ってしまえば催眠ガスによって敗北は必至。故に、猛獣の次の行動は―
(高速移動からの一撃、ということになるわな。)
死角からの爪の一撃を狙うために、風の付与を全開にし、目にも留まらぬ速さで移動し始めたティラコ・スミルス。だが、テレスタは首を三本持つ化け物。ほとんど死角はないと言っても過言では無い。相手もそれに気づいたのか、死角を狙うことは早々に諦め、回避の難しい胴へ向けての側面からの攻撃に切り替える。そして、爪を振るうのは下策であると理解したようで、その爪を穂先としたスピアのように全身を伸ばし、突っ込んでくる。
ザクッ
嫌な音とともに空中に赤い花が咲く。
(―っつ!これは、流石に強烈だな!)
強化毒膜ごと回避した胴を抉られ、顔を顰めるテレスタ。同じようなパターンで何度も来られては戦局が苦しい。そこで、
「アグニ、お前ちょっと犠牲になれ」
「ええ!?なんで俺だよ大将!?」
「お前魔素の塊だろ?首位すっ飛んでもあとでどうにかなる」
「なんスか!その使い捨て感!?」
「いいから行け!一応毒膜とかは付与してやるから!」
アグニがさらに何か叫んでいる。「人でなし!」とか何とか。だが方針は変わらない。と、そんなやり取りを待ってくれるはずもなく、再度猛獣が突っ込んでくる。その姿はもはや巨大な砲弾と言ってよいだろう。直撃すれば命は無い。テレスタの胴へ猛然と突き進む砲弾があわや着弾しようかというその時、強化毒膜を思い切り付与されたアグニの首がその間へ割り込む!瞬間 ドズッ 鈍い音とともにティラコ・スミルスの動きが止まる。同時に全身が泡立ち背中に悪寒を感じた猛獣はその場を離れようとするが、その真上から毒槍のスパイクが着いた三本の尻尾が振るわれる。
ガァァ!…
断末魔の悲鳴を上げたティラコ・スミルスは、そのまま地面に叩きつけられ、意識を永久に手放した。
「ぐうう、痛ぇ!大将はマジで人でなしだぜぇ」
「まあ、いいじゃないか、私も痛いのは一緒だし。こうして、回復魔法もかけてやってるんだ。クロノスが。」
「あんた、なんにもしてねぇじゃねーか!」
「アグニ、気持ちは察しますが、主のいうことは絶対です。そして施術中はお静かに。」
「敵か!俺の周りは敵ばかりなのか!?」
催眠ガスが晴れた後は、ティラコ・スミルスの爪に貫通されたアグニの首を治療する。予想に違わず、アグニの意識はぴんぴんしていた。首には大穴が空きかけ、紫の煙が漏れているが。そこに小走りでやってくるのはカーミラ。
「ア、アグニ、大丈夫なの?」
「ダメっす。姐さん助けてくだせぇ。」
“大丈夫だ、と言ってる”
「この人ほんと鬼だわ!」
「そう、大丈夫ならいいのだけど…穴、開いてるわよ?」
カーミラと意思疎通の出来ないアグニが色々言っているが、ともかく大丈夫なのだから、大丈夫だ。カーミラは荷物の中から霊水を取り出すと、テレスタに振りかける。
「はい、これ。結構魔素を使ってしまったでしょう?滞在中の分が少し減ってしまうけど、仕方ないわよね。そもそもモレヴィアに滞在出来るのかも怪しくなってきたし…」
カーミラに遅れて集まってきたのは、マルコーニ一行。皆一様に驚いたような、戦慄するような、複雑な表情を浮かべている。その後ろには、ミレアとライナス。
「まさか、ティラコ・スミルスをこうもあっさりと撃退するとは。先ほどの計器のエラーも、魔素の量が測定限界を上回っていた、ということなのだろうな。いやはや…」
判断に困る。と苦渋をなめたようなマルコーニの表情が伝えている。調査対象がほぼ間違いなくAランクを超え、Sランクで妥当だということが現時点で解ったのだ。だからといって目の前に対象が居るのにそれを調査せず手ぶらで帰るわけにもいかない。だが、このSランクの化け物に一体どういう手で調査協力をさせるのかという事も思い浮かばない。マルコーニが逡巡していると、
“人間族の方々、改めて自己紹介をさせて下さい。私はテレスタと言います。ご存知のとおり、イネアの村近辺から来ました。あなた方は私を調査対象とおっしゃっていたようですが、具体的にはどのようなことを?”
突然頭の中に流れ始めた念話に調査チーム一同がたじろぐ。が、戦闘の前に聴こえたものだと理解すると、全員がテレスタに向き直る。
「おお、テレスタ殿というのだな。私はこのチーム代表のマルコーニと申す。我々は貴殿の魔獣のランク付け、アラート付け、そして生態の実態調査などを行おうと思っておったのだ。何しろ、イネアは毎年隊商が訪れる地域。そこに未知の魔獣が現れたとあっては、冒険者と商人の身の安全のため、それを放置するわけにはいかんのだ。どうだろうか、調査協力の為、モレヴィアまで同行いただけないだろうか?」
渡りに船。チーム一同はそう思った。先ほどの戦闘を見ていたことから、緊張の面持ちも崩していないが、何しろ念話を使う事のできる理性がある魔獣だ。まずもって会話のできる魔獣など聞いたことも無いのでどうなるか解らないが、ダークエルフとも親しくしているようだし、下手なコミュニケーションをしなければ悪いようにはならないのではないか、という期待が表情に現れている。
“私としては、もともとモレヴィアに遊びに行くつもりだったのだし、聴けば宿まで手配してくれるというではないか。協力するのも吝かではないですが、ミレアはどうですか?”
戦闘前にかわされていた会話を小耳に挟んでいたテレスタは、そのように返す。(遊びとかどんな遊びだよ!)と人間族がざわついている。
「私としても、問題ありませんよ。こんな戦いの後で隠すようなことも何もありませんし、何しろ私たちは人間族と敵対する気持ちなんて無いのですから。」
「おお、有り難い、では、早速モレヴィアへ向かうとしよう。ルダス、急ぎ先にギルドに戻り、シーラ部長に話を通しておいてもらえるか?」 「了解!」
ルダス、と呼ばれた男性レンジャーは馬に跨ると踵を返して走り出した。人間族チームもダークエルフ達を先導し、先を急ぐように進み始めようとしたのだが…
“あー、すまん、このライオンだけ食べていってもいいだろうか?お腹が空いてしまってね。”
間の抜けた念話に、一同は彫刻のように固まってしまった。
いつも有難うございます。
戦闘シーンは何度書いてもイメージ通りにいかないですねー。
語彙不足。




