モレヴィア。
隊商とイネアの取引はつつがなく終了し、それから2週間が経った。その間、テレスタの首がいつの間にか3本になっていることを発見した商人が目の色を変えてカーミラに再度交渉を持ちかけたり、冒険者たちが妙に警戒した様子で一人と一匹の動向を注視していたりと、何となくざわざわとした感覚はあったけれども、何事か事件が起こったわけでも無く、現在は長老のミレアも緊張感から解放されたスッキリとした顔をしている。
「という訳で、テレスタ、今日持ってきた記録には人間族の暮らしている世界の地図よ。人間族はいくつかの国に分かれて勢力を争っていて、その境界と、それぞれの抱える都市がどういう位置関係なのか、それが一つの記録の中に集約されています。私たちが今暮らしてるこの森は、人間族からヒュデッカ大湿原、と呼ばれていて、ちょうどこのあたり。わかるかしら?」
空中に魔力で映し出された巨大な世界地図の記録を読み取りながら、ミレアの解説を聴いていく。
“ええ、解ります。この◇で表されているのが、都市、ですか?”
「そうよ、この湿原からほど近い地方都市は、モレヴィアね。○で表されているのが、それよりも小さな町、・で表されているのが、村という扱いね。大体、人口2万人を超えると都市、5,000人を超えると町、それ以下は村、という感じかしら。」
“へぇ、2万人?それはすごい!一度行ってみたいね。”
「モレヴィアは2万何てもんじゃないわよー?大体30万位の大都市だったわ。私も昔は良く遊びに行ったものよ。」
ウフフ、と笑うミレアに、若干顔を引きつらせるテレスタ。ミレアさん、なんか今日近く無いっすか?顔とか、なんかいつの間にか背中に手とか乗せちゃったりとか。きっと隊商の相手をしてストレスが溜まっていたに違いない。そういうことにしておこう。「大将、ミレアさんいい匂いするな!」とか言っている奴がいるが、気にしない。
「ふふ、カーミラはあなたを首に巻いて、私の仕事中にちょろちょろしてたそうじゃない?この位許されても良いと思うのよねぇ。」
…カーミラにお守を依頼したのは、長老殿ではありませぬか。とは言わないことにする。
“それにしても、30万人、人間とはそんなに沢山いるものなのだなぁ”
「今度、一緒に行きましょうか?モレヴィア、きっと楽しいわよぉ。」
長老殿、お仕事はどうなさるので?おもに祭事とか森の声とか。
「仕事なんてフレッドとムルクに任せておけばいいのよ。私より優秀なんだし。」
なんか、この人どんどんダメになっていっている気がする。ああ、でも出来る商会長は仕事をしないというし、これはこれで有りなのだろうか。
「カーミラに森の声は任せようかしら…あの子、最近テレスタとべたべたし過ぎよねー。」
出来る商会長の邪念については、聴かなかったことにする。
明くる日、善は急げというミレアの号令のもと、慌ただしくモレヴィア行きが決まる。幸い森の声は穏やかなもので、テレスタには森が「行ってらっしゃい」というのが聴こえた位である。森の声とはもともと精霊の使用する念話にかなり近い種類のものであり、念話を日々行使しているテレスタにしてみると、少し波長を変えることが出来れば受け取ることが出来る類だった。
モレヴィアに今回向かうのは、ミレア、カーミラ、それにライナスの3人。カーミラは「私も行ったことないのに、テレスタが先に行くとか有り得ない!」と言ってきかず、ライナスについては2人の護衛で、むしろテレスタをそこまで信用していない彼は、なんぞ悪事をはたらくのではないかと目を光らせるために、ミレア・カーミラの反対を押し切って同行することになった。ライナスの同行にはムルクやフレッドの後押しもある。流石に長老とその孫を黒蛇一匹に任せるわけにはいかないというのが彼らの考えで、ミレアも渋々頷いたという訳だ。
テレスタは同行するに先駆け、霊水を持参することにした。ヒュデッカ大湿原からモレヴィアまで徒歩で優に一カ月はかかる道のりであり、さらにその後都市にも数日間滞在することになるわけで、その間は空間魔術を絶えず使用し続けるようになるということであるから、どうしても魔素は不足してくるだろう。しかし、霊水があればそれをかなりの部分補完できる筈だ。あとは道すがらの魔獣を捕食することでどうにかなるだろうと踏んでいる。
「長老、モレヴィアは辺境都市、私たちにも理解のある人間族が暮らしている都市とはいえ、どのような輩がおるか解りません。くれぐれも、周囲にはご注意ください。」
「ムルク、有り難う。」
「周辺の警戒は、このライナスにお任せ下さい。必ずや不測の事態からもお守りして見せます。」
「うむ、ライナス、よろしく頼んだぞ。」
フレッドがライナスに声をかけ、ライナスは恭しく一礼する。
「それじゃ、行ってくるわね、お父さん。」
「ああ、気を付けていくんだぞ、カーミラ。人間族は穏やかではあるが狡猾だ。特にそのお金、というものに対する執着が強いからな、扱いには十分気を付けるんだぞ?」
「わかってるわよー。商人たちから随分とそのことも教わったし、大丈夫よ。」
カーミラは毎年訪れる商人たちの様子を見たり、実際に買い物をしてみたりすることで、人間の慣習である商売にかなり親しんでいた。心配するフレッドだが、フレッドよりもむしろカーミラの方がよほどお金には詳しいと言えるだろう。それでも声をかけてしまうのは、やはり親心というものである。
“では、皆様行ってまいります。”
「うむ、テレスタ殿も気を付けて。あまりトラブルに巻き込まれぬようにな。」
ムルクは少し渋い顔をしつつ、テレスタを見やる。何となくではあるが、テレスタの周囲は騒々しいと察しているのである。苦労人独特の嗅覚だろうか。
「皆さん、村の事は頼みましたよ。」
ミレアが挨拶すると、3人と一匹は森へと入っていった。
大陸随一の版図と歴史を持つ王国、ルクセリア朝ロンディノム、その第4都市モレヴィア。ヒュデッカ大湿原のほど近く、その天然資源を生かした貿易を強みに、多くの商家が集まる商業都市である。湿原から流れ出る大河の水運を利用し、そこから王都メラクや海洋都市である第2都市レビウスへと、内陸の鉱石や木材を輸出している。ただしその立地上、他都市よりも魔獣の脅威にはさらされやすく、いきおい冒険者という職業の者たちの数も他都市よりも多くなる傾向にあった。ロンディノム全国に展開する冒険者ギルドの中でも、モレヴィアの冒険者ギルドは特にその情報の中心として、確固たる地位にあると言える。
そんなギルドのホールでは、最近になってヒュデッカ大湿原から帰ってきた護衛達が、依頼達成の報酬を受け取りながら、受付担当者やその上司の受付班班長に今回の護衛で見聞きした情報を伝えていた。
「…それでな、イリスが、急に怯えだしたんだよ。その時はなんだか良くわからなかったんだけどさ、ほら、魔術師って魔素が見えるっていうじゃない?それで、どうやらその黒蛇の持つ異常な量の魔素に反応したってことだったんだよね。」
「それで、その黒蛇、という魔獣の特徴は。」
「ああ、そうだな、大体大きさは1メートル強、頭は2つあって…いや、3つか?何だか滞在している間に増えたんだったな。」
「頭が増えた?のですか?」
「ああ、間違いない。俺だけじゃなくて、他の冒険者連中や、商人たちだって目撃してる。目撃してるどころか、ダークエルフが首に巻いて買い物していたんだから、間違いない。」
「…なるほど。それで、カムリさんから見て、その魔獣のアラートと討伐レートはどの程度でしょう?」
カムリと呼ばれた戦士風の男は、逡巡する様子で腕を組むと、何ともなしに視線を右上へ向ける。
「そうだな、アラートは低いだろう。EやDで問題ないんじゃないか。何しろダークエルフに懐いていたんだしな。そしてレートは、うーん。悩むところだが…イリスは以前、複数パーティでBランクの魔獣とも相対したことがあるんだが、その時ですら今回のような怯えは無かったから…Bか、もしくはAでも良いかもしれない。」
「Aランク・・・そうですか。情報のご提供、有難うございます。」
「ああ、困ったときはお互い様だし、こっから先はギルドに調べて頂いた方が助かるよ。俺たちの情報収集能力では限界あるしな。」
そういってカムリは踵を返すと、左手をひらひらと振って挨拶をしながら立ち去る。今日はパーティメンバーは休みにしており、カムリだけが情報提供のためにギルドに呼び出されていた。
受付の他のカウンターでも同様なやり取りが成されている。黒蛇。新しく見つかった強力な魔獣の調査にギルド内は慌ただしくなっていった。
いつも有難うございます。
暑いですねー。盆暮れ正月はみんな気分がゆったりしてきて、
雰囲気が好きです。




