クロノス。
ブスブス...
消費魔素を控えめにしたとはいえ、人間には強烈すぎたのか、先程まで下脾た笑みを浮かべていた男は煤だらけで転がっており、頭から灰色の煙を上げて気絶している。
村から少し離れたところであったのが幸いしたのか、音につられてやって来る者は見当たらなかった。大方、この盗賊紛いがうまいこと人払いでもしていたのだろう。そういう意味では彼はいい仕事をしたし、テレスタとしてはグッジョブとサムズアップしてやりたい気分だ。手はないけれど。
(さて、人間がほんとに様々であることは勉強できた。彼にはよい経験を頂いたお礼に、無属性魔術の実験に付き合ってもらおう)
そう、回復系魔術である。言わずもがな、回復系の無属性魔術は怪我人が居ることが前提となっているが、そういったシーンに直面する機会は存外、中々存在しない。
テレスタ自身が戦闘をして怪我をすることも最近はあまりないし、自傷するほど練習がしたいとも思わない。かといってカーミラ達に怪我をしてきてもらうなどもっての他で、結局のところ練習台が捕まらなかったのだ。
それが、降ってわいたような機会で解消されたわけで、テレスタとしてはこれを逃す手はないというわけだ。
(この姿のままじゃ魔素が足りなさそうだな。広場からもそれなりに離れているし、一度元に戻るとしよう。)
空間魔術を解除すると、20メートルを超える巨体が現れる。
(さーて、回復魔術は自然治癒力を意図的に高めるんだったな?身体が元に戻ろうとする力を最大限に利用する、というイメージでやってみるとするか!)
テレスタは盗賊紛いの身体全体に集中しながら、その細部にもまた同時に意識を通していく。傷口が瘡蓋を造り、止血をし、やがて元の皮膚へと戻っていくように。切り取られた髪の毛が、元の長さへと伸びていくように。折れた骨が凝集し、再石灰化していくように。その一つ一つをイメージしながら、大量の魔素を流し込んでいく。それに従い、テレスタの回りや、気絶している冒険者の周囲は強烈な光に包まれていく。
どのくらい時間が過ぎたろうか?恐らくはせいぜいが数十秒だ。それでも、テレスタは体内に大量に溜め込んでいたはずの魔素の半分近くを消費したものの、回復魔術を行使することには成功したようだ。男の火傷はすっかりふさがっている。もっとも、炎で焼け落ちてしまった衣服や装備までは戻らなかったけれども。あと、髪の毛が伸びすぎた。ちょっと薄気味悪いので、早々に立ち去ることにする。
(私は無関係、私は無関係...)
なおテレスタが去ったあと、強烈な光を察知して駆けつけた一部の冒険者達は、転がっている長髪の裸の男が、すわ、神の皇子か!?等と本気で騒ぎ立てたが、顔を良く見ると見知ったパーティの一員である事に気付き、ただの変態か、といたたまれない空気になったのは別の話である。
夜、アラムの源泉ではテレスタが無属性魔術による空間移動の実験をしていた。この場所なら魔素が切れてしまう心配も無いので、魔術は使い放題だ。自分が寝床としている地点から、見知った森への入り口まで、ほんの数十メートルの移動を、空間魔術を使って移動しようと試行錯誤を繰り返していた。
問題となるのは、結局自分がその場所から別の場所へと移動しているイメージを鮮明に持たせること。術を使う存在は、魔術の行使者という存在であると同時に、起こった魔術の観察者でもある。たとえば火球を飛ばすのであれば、火球の軌道をイメージし、相手に着弾するまでを空間上に描き出すことが出来る。この場合、その観察者としての立場からこの軌道をイメージすることになるわけである。翻って空間移動に関して言うならば、主体である行使者が観察される対象でもあるわけだ。そこでは主体と客体が混在して、非常に難解なイメージを解読することが求められる。即ち、観察者の視点から客観的な空間座標を割り出しながら、行使者として新たな地点への移動が完了した自分自身と、そこから見える世界というのを同時にイメージする必要があるわけである。客観的な座標と、主観的な座標の一致、これが空間移動魔術を非常に使用困難にしている理由であると言える。ちなみに、空間移動魔術は、この世界でもごく少数の者が使えるに留まり、それらの人々はもっぱら「賢者」などと呼ばれて、尊敬を集めている。それほどまでに、空間移動魔術は高等な魔術であり、また無属性魔術というのはいかに適性があれ、全般的にそれが非常に狭き門であるという事を現していると言えるだろう。
さて、そんな難解な魔術に取り組むテレスタは、しかし嬉々としてそのデータを集めつつあった。
(最も必要とされるのはあくまで空間としての座標軸であり、主観からのイメージはそれを補うものに過ぎない、と仮定できるな。主観は当然五感を通してイメージすることになるわけだけれど、そうすると五感で感知できない地点や、そういう対象のもとへは移動できないということになる。だが、実際にその場所には必ず座標が存在する。つまるところ、客観的に空間座標が把握できてさえいれば、その場所には目を開いていようが瞑っていようが、五感が閉じられていようが、到達できるはずだ。)
テレスタはこのような仮定で空間移動魔術を幾度も行使したが、結果はあまり芳しくない。何が足りないのだろう?客観的な座標、主観的な風景、それらをいかに組み合わせたとしても、空間を移動することが出来ていない。不足している要素は?
(そうか、それはスピードか。毒槍の場合は相手に真直ぐ飛んでいくイメージを創っているが、具体的なスピードまではイメージしていなくとも、少なくとも「進む」という過程はきちんとイメージされている。それに比べて、さっきから試している空間移動魔術には、スピードが組み込まれていない。一瞬なのか、数十秒かけてなのか。身体を細かく分けて移動させるのか、全体が同時に別座標へ飛ばされるのか、そういった速さの差異が組み込まれていないのか。それがイメージされていない場合は、自分自身が同時に2つの座標上に存在するという術式が組まれるから、エラーが起こるという訳だ…なんとも複雑な。)
厳密にいうならば、組み込むべきイメージは時間、ということになる。空間をすっ飛ばして移動することのできるこの魔術では、距離やスピードはその埒外におかれることが多いが、時間に関しては全ての空間に付随しているのであり、それをイメージ出来れば、空間の持っているパラメータに身体の移動を書き込むことが出来るようになるわけだ。
(タネが解れば簡単、だと良いのだけど。)
テレスタは仮定を基に、再度空間移動魔術を行使する。思い切り息を吸い込み、魔素をいっぱいに感じながらそれをイメージングと術式に使用していく。膨大な魔素が空間に流れ、それでも全く足りないとばかりにテレスタからどんどんと魔素を吸い上げる。
(ぐっ、ここまで魔素の消費が激しいとは…ほとんど魔素自動回復というこの場所で、ストックが底抜けに減っていくぞ…)
少しの焦燥感に、冷や汗をかくテレスタ。一体、どれだけの魔素を注ぎ込めばいいのか、見当もつかない。あまりの使用量に、昏倒しかけたテレスタであるが、その刹那、自らの身体が カッ と光に包まれ、次の瞬間には予定していた森の入り口へと移動していることに気付き、深く安堵の息を漏らす。
(いや、まさか自分の根城で気絶するかと心配することになるとはね。)
思わず内心苦笑を浮かべてしまうテレスタ。しかし、何はともあれ空間移動魔術は完成した。イネアの村に行くには、もっと合理化をしないと村に着いた瞬間に昏睡状態になってしまうが、今日のところは上出来だろう。
テレスタは心地よい疲労感とともに眠りにつく。深い深い、眠りに落ちていった。
‐‐‐‐‐
・・・レス・・テレス・・
人間は・・・あなたを害するかもしれません・・・
彼らを・・・救って・・・
あなた自身のために・・・人間を救ってください・・・
たとえ、あなたに害意が向けられた時も・・・
‐‐‐‐‐
心地よい目覚めだ。空気中に飽和している魔素は身体の隅々に行きわたり、自身が全快している感触が隅々から伝わってくる。にも拘わらず、首をもたげると、重い。疲れは取り除けている筈なのだが。とまれ、今日はまたイネアにとんぼ返りだ。空間魔術を使って、サイズ感を調整しに入る。大きさの演算と、実行。そして、ググッと身体が1メートルほどに縮小されたところで、唐突に声がかけられる。
「おはようございます、テレスタ。我が主。」
振り返るテレスタ。半ば驚き、半ば予定調和。なんとも言えない表情を浮かべてしまう。
「・・・お早いお着きで。こちらには、いつからいらしたんです?」
「私はクロノス。無属性魔術の魔素の顕現です。以後、お見知りおきを。」
軽口をあっさりと流されるテレスタ。悪いやつでは無さそうなのだが、反応が冷たい。
「なんで自分で名前決めるかな…」
命名は別にルールではないらしい、と悟る。そして、新しい2本目の首と目を合わせる。
「ともあれ、よろしくな、クロノス。」
自分によろしくとは、こは如何に。内心で苦笑するテレスタであった。




