無属性魔術。
魔素をたっぷりと身体全体に行きわたらせ、テレスタはイネア村に戻ってきた。アーマーンとの戦闘からすでに1週間が経っていた。イネアに到着すると、外見が少し変化したため、門番がビクッと一瞬身構えたのは気のせいだろう。彼はルノからはげ散らかされた後に刈り上げの魅力に目覚めたのか、長い耳をしているくせに短髪の高校球児のようになってしまっている。人生、何があるかわからないものだ。外見の変化はお互い様である。
“ただいま、ミレア。これはお土産です。お土産ってこういう使い方で合ってるよね?”
火属性のヤツ(名前はアグニということにした。何となく、名前が無いとやりにくいからだ。)の角に突き刺してある、霊水がいっぱいに入った切り株をくり抜いた容器をミレアに渡しながら、テレスタは話しかける。
「お帰りなさい、テレスタ。有り難う、霊水をこんなに…。お土産の使い方は、合ってるわよー。合格です!」
ニッコリとほほ笑むミレア。
“縄張りに戻ったらアーマーンが我が物顔で徘徊していたよ。少し時間を空けると、すぐ魔獣が住み着いてしまうみたいで困るね。”
「アーマーンなんて!困るで済むような相手でも無いでしょうけど…貴方本当に強いのねぇ。」
ミレアは実際にテレスタが戦っている所を見たことが無いが、体内にため込んだ異常な量の魔素を感じ取り、また広場での訓練を毎日のように見ていたこともあり、まぁそんなこともあるか、と呆れたような表情を浮かべる。
それから、テレスタの新しい頭の話を聴くことにする。曰く、テレスタが火属性の魔術を毒属性と相違なく扱えるようになったことから、火属性の魔力が体内で魔素を通じて顕現して、新しい首が生えてきたのだという。にわかには信じがたい話に、ミレアは眉を顰める。
「…新しい属性が備わるという話も聞いたことが無ければ、属性ごとに頭が増えるなんて余計に聞いたこともないけれど、こうして現実に貴方が現れてしまうと、何とも言いようがないわね。」
(そもそも、テレスタは一体何という魔獣なのかしら。記録庫の中に所蔵されている魔獣の記録にも残っていないなんて、それこそこの1000年間誰も見たことが無い、と言っているようなモノだけれど…)
テレスタと全く同じ外観をもつ魔獣のデータは、今のところ皆無である。姿形の最も近いもので、水辺に生息するヒュドラという多頭蛇があげられるが、彼らは知能が低く、また体表の色もおおむね灰白色と、やはり何か別の種族であると考えるのが妥当であった。当の本人が気にしていないので、ミレアにしてもそれについて深入りすることは無いのだが、時折こうして気にはなってしまうのも事実。
“それで、まあ頭を増やしたいというわけではないのだけど、新しい属性を得ることも、並列思考をすることも出来るようになるみたいだから、またここで勉強を教わりながら訓練をしようかと思っているわけ。”
「あら、私と一緒に勉強したいために戻ってきてくれるなんて、嬉しいわ!でもね、テレスタ、ごめんなさい。ちょっとお勉強はしばらく出来ないかも知れないわ。ちょうど今時分、年に一度の人間族の隊商がやってくる時期なのよ。」
“へぇ、人間族!見てみたいなぁ。彼らは何をしに来るの?”
興味津々のテレスタ。ミレアの拡大解釈については、取りあえず聴かなかったことにする。隊商と言われても解らないのは、商売という文化自体がこのダークエルフの村には存在しないからだ。商売らしいことなど、良くてバーター、場合によってはただの贈与だけでもこの村ではやっていけるので、誰も経済についての知識は持ち合わせていない。せいぜいが外の世界との繋がりを確保しているミレアや、その補佐的な立場にあるムルク位なものだろう。
「隊商、というのは商人の集まりの事ね。商人は物を売ってお金を儲けることを目的にしていて…うーん、商売の事が解らないと、説明が難しいわね。ともかく、私たちとしては隊商がやってくるのは別に喜ばしいという程のことでは無いのだけれど、彼らはダークエルフの持っている珍しい資源を手に入れたいみたいなの。」
事実、人間の商人たちは魔鉱石や霊水といった世界中を回ってもそうお目にかかれないこの村特有の産物を喉から手が出るほど欲しており、ダークエルフが呼ぶと呼ばずとに関わらず乾季のこの時期に村までやってくるのである。もちろん、何の見返りもなく、という訳ではない。彼らは様々な情報や、鉄器や、衣服など森ではどうしても手に入らない商品を多数そろえて、バーターに備えている。商人にとっては、それでも霊水に比べたらその価値など微々たるもので、ぼろ儲けであることに変わりは無いのだが。ダークエルフはいい鴨という訳だ。
“なんだか良くわからないけど、そういうことなんだね。で、勉強が出来ない、っていうのは?”
「ああ、それは単純にね、あなたがいつも寝泊まりしている広場が、隊商の基地になるからなのよ。」
通常、ダークエルフは森を無闇に切り開くことを良しとしないのだが、テレスタがやってくる前からこの広場は彼らの管理のもとに存在していた。要するに、村の祭事やこういった隊商の基地など、やむにやまれぬ理由があっての事だろう、とテレスタは推測する。
また、隊商がこの広場にやってくれば、敷地の面積的にはテレスタが居ても問題は無いだろうが、混乱は必至。人間族に興味はあるが、この巨体で彼らの事をしげしげと観察していれば、間違いなく恐れられるし、彼らも資源の調達どころの騒ぎではなくなるだろう。
(まぁ、仕方ない、か。またしばらく引きこもりかな。)
「おばあちゃん、テレスタ!それならいい方法があるかもしれないよ!」
暫くはアラムの源泉でのんびりするかと思案し始めていたテレスタに、いつの間にやって来たのかカーミラが声をかける。
「商人たちがやってくるまでにはまだ時間があるんでしょう?それなら、無属性の、小型化魔術を練習すれば間に合うんじゃないかしら。」
カーミラの提案に、ミレアも思案顔で頷く。
「そうねぇ、普通だったら新しい属性の魔術なんて覚えようとするだけ無駄だから思いつきもしなかったけれど、テレスタならその可能性は十分あるかも知れないわ。」
「そうでしょう!我ながら、いいアイデアだわ!テレスタ、早速始めましょ!」
せっかちな孫娘に苦笑するミレア。しかし、彼女も隊商受け容れの準備のため、テレスタにばかり構っても居られない。それに、テレスタが知識を求める以上、この魔術の訓練も、人間族との交流も、何かしらの恩返しになるかも知れない。そう考えると、カーミラのアイデアは悪くないように思われた。
「じゃあ、テレスタの相手はお願いね、カーミラ。それから、テレスタ、あとで空間魔術の資料だけ記録庫から取り出しておくから、それをもとに頑張ってみてちょうだい。」
“了解、なんだか楽しそうだね!”
新しい知識が学べることに、目をキラキラさせるテレスタであった。
無属性魔術。それは、様々な効果があるが、ともかく一見すると何らかの属性を持っているようには見えないために、そのように呼ばれているものである。例えば身体能力を向上させたり、相手に幻を見せたり、空間ごと移動してみたり、他の生物に変身したり、そういったものを全てひっくるめて無属性と呼んでいる。総じて、時空間に影響を与える魔術と考えることが出来る。ちなみに、巷では回復魔術と呼ばれているものも、実際にはこの無属性魔術と考えることが出来る。そもそも回復魔術とは傷の周りの自然治癒力を爆発的に上げるか、あるいはさらに高度なものになると、受けたダメージそのものを時間退行によって無かったことにする、といったものであり、優れて無属性魔術の特長を表しているものなのだ。もっとも、時間退行による回復魔術など、歴史上でも数えるほどの者しか使えたことは無いのだが。
さて、テレスタはともあれこの無属性魔術のそれも空間魔術に取り組むことにした。ともかく身体の大きさが小さくなりさえすれば、隊商の観察を間近でしても問題ないはずであるから。
「まぁ、それでも毒蛇なんだから一人でひょっこり顔を出したりしちゃだめよ。あたしの首にでも巻き付いて一緒に回ったらいいわ。」
カーミラの提案に頷くと、すっと意識を魔術へと切り替える。頭に叩き込んだ空間魔術の資料を基に、イメージを組む。
(大きさは、生まれた時の水面に映ったあの自分のサイズ。もちろん、頭は一つ、尻尾も一本だ)
・・・それによってアグニがどうなるのか、良くわからなかったが、とにかくそのイメージを基に膨大な魔素を消費して術式を構成する。瞬間、テレスタの身体がキラキラと光り出し、激しい閃光に包まれた。
「きゃあ!ちょ、ちょっと大丈夫なの?」
あまりの光量に思わず両手をかざして目を逸らすカーミラ。使用された魔素の量も膨大であったことから、きっと大丈夫だろうと思いながらも、心配になり声を上げてしまう。
と、ほんの数秒だったろうか、光はおさまり、恐る恐るテレスタが先ほどまでいた場所をかざした指の間から覗き込むカーミラ。そこには、1メートルほどの大きさの蛇が鎮座していた。
「大将、無駄だぜ、俺を締め出そうなんざ。」
「…はぁ、失敗した。」
…残念ながら、頭は2つのままであったが。
いつも有難うございます。
今日は少し涼しくて、執筆には良い日ですね。
難産でしたが…




