知識を求めよ。
ダークエルフをはじめとした亜人種や人間族の体内において、魔素というエネルギーは肝臓と肺の間に位置する「門」という特殊な臓器から提供される。人の体内において、魔素は物質的なエネルギーからメタ的エネルギーに変換され、物質界からメタ世界たる幾何学的な世界に保存されていく。単純にいえば、数字になって保管されるというイメージだ。そのストック量は個々人や種族によりさまざまであるが、上限はそれぞれに決まっており、言うなれば魔術や精霊魔法の才能がある者は魔素のストック量や放出量が平均よりも多く、逆に才能の無いものは門自体が委縮してしまっていたり、場合によっては退化して機能しなくなっていたりする。そういったものはたいていの場合、職工や武術などほかの才を持って生まれることが多いが、ここでは割愛する。
さて、テレスタはミレアの体内の魔素の流れを本能的に把握しながら、門の位置を把握し始めていた。門の周囲を覆うようにして、薄らと毒膜が張られているのが解る。
(これは、何か菌糸、のようなものだろうか?カビや毒キノコの類かも知れないな。)
語彙力が増えたおかげで思考がそれらしくなってきたテレスタ。その判断は半ば正しく、半ば間違っている。確かにミレアの身体を害していたのは猛毒を持つカビの一種だったが、呼吸を通して彼女の体内に入り込んだのはあくまでその持っている毒素のみである。通常であればこの手のカビは魔獣の魔素を枯渇させて行動不能に陥ったところを少しずつ体に寄生し、最終的に依代にするというような生態であるが、幸いというか、ミレアは体内およびメタ情報として持つ魔素の量が莫大であり、短時間で死に至ることは無かったのだ。これがダークエルフでもない人間であったら、2、3日のうちに魔素を全て失い、死亡していただろう。
ともあれ、ここには運よく毒のエキスパートたるテレスタが間に合った。カーミラの突貫が、奇しくも活きた形になったわけだ。
(毒の種類は、ドレイン。いや、珍しい。創りは単純みたいだけど、分解するには…そうだなぁ、一度乗っ取るのが一番か)
解毒の魔術が使用できるのであればそれに越したことは無いのだが、生憎テレスタは毒を与えることは出来ても毒を取り除くことは出来ない。その代わりといっては難だが、得意分野である毒に関しては、相手の魔術そのものを莫大な魔力で乗っ取るという力技が可能であった。要するに魔術を乗っ取って自分の意思で動かせるように変換した後、それを分解してしまえば、一応解毒と、そういう運びである。アラムの源泉周辺で練習を繰り返していた毒魔術の腕前が、功を奏したようだ。
テレスタはミレアの「門」の座標に集中し、莫大な魔力を放出し始める。周囲に集まって心配そうに見ていた村の住人たちは、急激に高まっていく魔力に身震いし、ジリリ、と無意識に後ずさる。ライナスだけは、眼光を鋭くし、長老に何か危害を加えたらただでは済まさんぞ、という視線をテレスタに送るが、彼は全くそんなもの意に介さず(そもそも人の表情が何を意味しているのか、まだ良くわかっていないのだ)施術に集中する。
「う、うう。」
「長老、大丈夫ですか!?」
瞬間的に莫大な魔力を体内に送られ、ミレアが苦しそうにあえぐ。誰ともなく心配の声が上がる。テレスタはその間も集中し、門に張り巡らされたドレインを手中に収めていく。
時間にして数十秒だろうか?唐突にふわりとテレスタの魔力が霧散し、張り詰めていた空気が弛緩する。
「・・・終わった、のですか?」
まず口を開いたのはムルク。視線の先にはテレスタ。
“ええ、完了です。毒素はドレインの魔術だったようで、それを魔力で乗っ取り、分解しました。もう一度霊水を少し飲んでもらえれば、あとは特に後遺症もなくすぐに活動できるはずです。”
集まったダークエルフたち全員に念話を送る。その声に、ホッと息を吐き出し安堵する表情の者、訝しげにテレスタを見つめる者、回復を喜んで飛び跳ねる者、様々な反応だ。しかし、それもミレアが起き上がるのを見て、自然に収まり静まっていく。
「・・・ああ、身体の中に魔素が流れ込むのが解ります。皆、本当に心配をかけました。私の身体はようやくもとに戻ったようですよ。」
穏やかな表情でミレアがそう口にすると、今度こそ集まった村人たちは歓喜と安堵に包まれた。
その夜、テレスタが仮に滞在している広場では、盛大な宴会が開かれていた。長老の孫娘を救い、長老の病気を治癒してくれたテレスタに対して、誰ともなく村全体で感謝を示そうということになったのだ。
テレスタの周りにはそれでも、直接念話で話したことのあるカーミラ、ミレア、ムルクといった面々しか集まらず、村人たちは遠巻きにその姿を拝むようなことをしていた。恐怖半分、感謝半分といったところなのだろう。ライナスは相変わらず離れたところで少し煙たそうにしている。カーミラの護衛の役割を取られてしまったのが、悔しかったのかもしれない。
「テレスタ殿、孫の命を救って下さって、本当に有難う。そして、私の病気をも治してくださって本当に何と言葉をかけたら良いか。」
代表してミレアが言葉をかける。続いて、ムルクも、
「テレスタ殿、このたびは本当に有難うございました。森の声が聞こえる長老が倒れたとあっては、ダークエルフの村の存続も危うかったかもしれない。本当に、言葉もありません。」
また、カーミラも、
「おばあちゃんの病気が治って、本当に良かったわ。テレスタ、有難う。」
感謝の言葉を口々にする村の代表者たち。テレスタも少しむず痒い気分になっている。なにしろ、
(ただの通りすがりの朝飯前だったのだけどねぇ)
そう、考えてみればテレスタは朝食のためちょっとした狩りをしただけ。ついでに暇つぶしで護衛を行い、興味本位で毒の分解をやっただけ。なんとも、感謝しがいの無いやつであるが、「ま、ただの通りすがりなんで」と言わない辺り、救いがあると言えるかもしれない。空気を読む、をダークエルフから習得できたのは、きっと僥倖だ。
宴では様々な料理が供され、お酒も村に貯蔵してあった甕ごと提供され、みんなでワイワイとそれを飲み、楽しそうに言葉を交わしている。テレスタの前にも、イノシシの丸焼きが“ドン”と鎮座している。それらを珍しそうにしげしげと眺めるテレスタ。そんな彼に、カーミラが声をかける。
「どうしたの?料理が珍しいのかしら?」
“ほえ、これは料理というのか?魔獣を丸かじりしたことしかないから、こんなに手の込んだものは初めて見たよ。それに、この甕に入っているのは、お酒?と言った?これ毒物じゃないのかい?何なら私も生成できそうだなぁ”
「あはは、毒物なんて出すわけないでしょう!でも、お酒の成分って毒物と言えなくもないのかしら?テレスタ、ちょっと試しに飲んでみたら?」
カーミラは甕ごとテレスタにお酒を進める。生後2か月なのだが…まぁこの巨体だ、何とかなるのだろう。テレスタは頭ごと甕に突っ込み、それを一気に飲み干した。
“ふいー、これは、効くねぇ!うへへ”
頭がとろけるようになり、身体の中から炎が噴き出すような感覚に、彼は上機嫌に酔いしれる。頭を甕に射したまま念話をする姿は、完全に蟒蛇である。アルコールは年端もいかない子供に飲ませてはならないのだ。
スポンッと甕が首から抜けて転がると、くらくらとしながら、テレスタはおもむろに視線を広場の中心、篝火の方へと向けた。特に意味があったわけではない。ただ、そちらを何となしに見ただけだった。その時、テレスタの思考に何かが過る。
「…テレスタ、魔素を求めなさい。…純粋な、躍動するエネルギーに身を任せるのです。…そして、知識を求めなさい。…人を、文化を、文明を追いかけるのです。」
“??? カーミラ、今何か聴こえなかった?”
「あはは、テレスタ、甕のお酒を全部飲んだりするからよ!すっかり酔っ払いねー」
自身も木のマグカップになみなみと注いだお酒片手に語るカーミラもまた、すっかり上機嫌で、軽口を返してくる。
(おかしいなぁ、確かに聞こえたはずなのだけど)
仕方なしに、その場で瞑目する。本当に、お酒の影響なのかもしれない。
「…知識をつけなさい。…彼らの持つ知識を、そして自然の持つ叡智を追いかけるのです。」
パチパチと火の爆ぜる音に交じって、確かに声が聴こえてくる。誰だろう?自分はこの人を知っている…ふわふわとした頭の中に、言葉が残響する。どこか懐かしい声。何度も会ったことのあるはずの、親しみのある声が木霊する。声は温もりをもって、繰り返し訴えかける。知識を求めなさい、叡智を求めなさい。その暖かさに身をゆだねていると、知らずテレスタは意識を手放していた。
明くる日の昼、テレスタは相変わらず広場の中心に居た。その周りにはミレアや村の代表者たち。今回の件で、テレスタに何か御礼をしたい、と申し出てくれたのだ。
「テレスタ殿、私たちは森を守り森とともに生きる種族だけに、手持ちはあまり有りませんが、出来うる限りの恩返しがしたいと思っています。何か、私たちに出来ることはありませんか?」
そんなミレアに対し、テレスタは昨晩の事を思い出し、自らの中に現れた新しい欲求を感じながら訥々と念話を送る。
“私の欲しているものは、知識です。私はこの世界について何も知らない。生まれた時からただ獲物を喰らうだけの日々でした。言葉も昨日覚えたばかりなら、昨晩お出しいただいた料理やお酒も初めての経験。森で生きていくだけであるならば、今の私でも十分可能でしょう。しかし、それだけではどうも納得がいかない。この世界の事、あなた方の持つ知識を私にも分けて頂きたいのです。それは、可能ですか?”
テレスタの願いは、単にこの世界の事をもっと知りたいから教えてくれと言うシンプルなもの。そんなことだけでいいのか?という疑問の声が方々から上がる中、ミレアが口を開く。
「解りました、その程度の事なら、私たちにもお受けできます。また、村の中にある記録庫の中身も、ご提供しましょう。知識を欲しておられるのなら、あれほどそれに適したものもありませんでしょうから。」
そこに、即座に疑問の声を上げるのは、息子であるフレッド。
「しかし、長老、記録庫は代々森の声を聴くことのできる長老のみが入室を許可されている領域!いかに村を救ってもらったとはいえ、それを提供するのはいかがなものでしょう?」
「フレッド、貴方は娘も親も助けてもらいながら、記録の一つも見せられないというの?お母さんそんな風に育てたつもりは無いわよ?」
「うっ、それは…」
普段は威厳のあるフレッドなのだが、完全に子供扱いされてタジタジとしている。まあ、実の子ではあるのだが。
「それに、村の代表もお揃いのようだからこの場でお伝えしますが、森の声はテレスタ殿が新たなる森の守り神であると言っているのです、記録位問題ないわよね?」
「な、何と!?母上、それは本当ですか?なぜそんな大事なことをこの場で!正式な儀式や会議も挟んでいないのですよ!?」
「まあ、同じことよー。森の声はそんなに格式張っていないのだからね、あはは。」
長老の軽口にガックリと肩を落とす一同。ともあれ、記録庫の閲覧は渋々皆の承諾が得られた。ただし、記録庫の大きさはとてもテレスタが入ることのできるようなモノではない。当然、この広場まで持ち出さなければならないのだが…
「その辺りは大丈夫、私がつきっきりで守り神様の面倒を見ますからね!」
艶然と微笑むミレアに、人の表情があまり読めないテレスタですら「あれ、なんかこの展開おかしいんじゃね?」と疑問を持たずにはいられなかった。




