美濃 多治見氏
道中記の第一話と、第八話に登場します多治見氏です。
史実での事績(多治見氏の関係者)
<先祖・南北朝期>
多治見国長 (*~1324)土岐・四郎二郎・次郎四朗。美濃土岐氏一門。後醍醐の側近。1321~24年討幕の無礼講参加者。無礼講「正中の変」関係者。六波羅に第一次倒幕計画が漏れ、「正中の変」に六波羅探題・常盤範貞、小串範行に攻撃され京都錦小路で自害。
<戦国時代>
多治見光清 (*~1565)修理進・修理。1547年田原氏から猿啄城を奪取。1556年「長良川の合戦」義龍側の侍大将・旗本。1564(永禄7・8)年猿啄(勝山)城主。岸信周とともに主家に忠節を尽くす。1565年織田軍(丹羽長秀)に攻撃される。
多治見与蔵 (*)多治見家の家臣。織田家の東美濃侵攻に、幼君を抱き敵中突破。
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「道中記」第1・8話
(本編登場人物)
多治見修理亮 (*~1569)
・織田家の東美濃侵攻に追われた修理は、武田信玄の下に落ちるが、織田家と武田家の不戦同盟により、旧領に復帰したという設定にしました。現在は信長黒幌衆筆頭・川尻秀隆に居城を譲らされています。
多治見与蔵 (*~1569)
・修理亮の重臣。主が世話になった武田信玄とも気脈を通じ、武田家から派遣された透波衆を手足としています。