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山路弾正の事績(伊勢 山路氏)

山路* (*~1571*)*諸説あり

(神戸)・弾正少弼。山路紀伊守・正幽の息。伊勢神戸家の家臣。織田家との抗戦派。

1567年8月織田家家老・瀧川一益の北伊勢侵攻を撃退。1568年2月瀧川軍に抵抗するも主・神戸具盛の説得により開城。

のち主家養子の神戸(織田)信孝に粛清される。弟に種常。


(関係者)


山路正幽 (*)紀伊守。伊勢神戸家の家老。神戸具盛(友盛)の娘婿。伊勢国河曲郡の高岡城主。息に弾正少弼、正国、種常。


山路正国 (1546~1583)将監。北伊勢の豪族。神戸一門。山路正幽の息(次男)。兄弟に山路弾正、山路正国、長尾一勝(種常)。柴田勝豊家老。柴田家に忠節厚い。1583年「賤ヶ岳合戦」勝豊の侍大将として出陣。柴田勝家軍に帰参するも、加藤清正に討たれる。38歳。


山路種常 (*)長尾・隼人・久之丞・一勝。高岡城主。山路紀伊守・正幽の息。のち信孝の家老、小島兵部の家臣。福島家に出仕。


*****

(山路氏の御由緒家)


神戸具盛 (*)(北畠)・左衛門尉・蔵人大夫・友盛・楽三。長盛の息。兄に利盛。蒲生定秀の娘婿。六角氏旧臣。土師村福善寺の僧。兄の死により還俗し家督。1568年織田信長の三男、信孝を養女の婿養子とする。伊勢神戸城主。1559年関氏と同盟し、長野具藤・北畠具教軍と抗戦。長野軍を破る。1571年信長の命で蒲生氏の日野城に退去。1582年織田信孝の四国出陣に留守居を任される。


赤堀具之 (*)(神戸具之)・治部大輔。具盛の息(次男)。北伊勢三重郡の国人。神部楽三(具盛)の次男。羽津・浜田氏と一揆契約を結ぶ。赤堀城主。1559年長野具藤・北畠具教軍と抗戦。波瀬具之に赤堀城を奪取される。1568年瀧川一益の北伊勢攻略に従う。1573年長島一向一揆征伐に織田信長に人質を供出する。


楠 貞高 (*~1567)楠木貞孝・定隆・(正忠?)。北伊勢衆。神戸具盛の娘婿。三重郡の豪族。1567年瀧川一益により滅亡。1568年一族は織田家に従う。息に正具(正忠?)。楠・楠山城主。


*****

(本編登場人物)


山路弾正(*~1571)

・・・・・織田家に徹底抗戦。本願寺一揆に後援され、各地で反織田運動を展開します。逃げ足の速い足軽大将という感じです。


山路一党は、伊勢の豪族の中では陸戦最強というイメージです。

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