池田之助の事績(尾張 池田氏)
池田之助(元助とも)
(1559~1584)
勝九郎・紀伊守・元助・(信輝?)。尾張譜代衆。恒興の嫡子、塩川長満の娘婿、織田信忠の義兄弟。池田氏は信長の信頼厚く旗本の中核となる一族。信長に父と別行動で一隊を統率することが許された織田家中きっての若手将校。武に秀でる。
1574年2月織田信忠に従い東美濃の「明智城救援」に従軍し、川尻秀隆(神箆城主)とともに小里城主の父・恒興を助けて東美濃にて武田家との前線を支える。
1578年摂津有岡城の付砦・倉橋砦守将。荒木元清の籠る「花隈城攻略」に貢献。
1581年京都馬揃えに父に代り参加、弟・輝政を従え入場。父と行動を別とし旗頭として軍事活動、1581年11月淡路島に上陸、岩屋城を制圧する。安宅清康を降し安土に同行する。
1582年甲州征伐に従軍。信長本軍として諏訪に在陣、人数もち諸将に名を連ねる。摂津伊丹城主。変後、美濃大垣城主。長久手に散る。26歳。息子に元信。
(関係者)
池田恒興
(1536~1584)
勝三郎・(紀伊守)・経与・入道勝入・(信輝?)。恒利の息子。尾張譜代衆出身。織田信長の乳兄弟。1538年父の死により家督。信頼厚く旗本の中核となる一族。縁戚の瀧川一益を信長に仕官させる。1561年美濃「十四条の夜合戦」に佐々成政とともに軍功(敵将・稲葉某を討つ)。
1563年美濃「新加納の合戦」では敗北。
1569年対北畠氏の「伊勢侵攻」に従軍。与力の朝日孫八郎・波多野弥三が戦死。
1570年「姉川の合戦」に従軍<惟住長秀とともに徳川軍の加勢にまわり朝倉軍を撃破したとも、これが江戸時代の脚色なく真実か?>。
1571年「比叡山焼き討ち」に従軍。
1574年2月織田信忠に従い川尻秀隆(神箆城主)とともに東美濃の「明智城救援」に従軍し小里城主。1574年7~9月「伊勢一揆平定」に従軍。
1575年「長篠の合戦」に従軍。
1578年荒木支城の「花隈城攻略」に軍功。荒木村重討伐後の摂津の支配者に抜擢される。羽柴秀吉の与力として中国陣に加入の予定。摂津国有岡城主。愛知郡荒子出身。息子に元助(之助)、輝政、長吉、長政。
森寺忠勝 (*~1599)清左衛門。池田家家臣。藤左衛門の息。恒興と育つ。娘婿に(池田)長貞。1582年「山崎の合戦」に軍功。「小牧・長久手」に犬山城留守居。
伊木忠次 (1543~1603)(香川・長兵衛)・清兵衛・豊後守。斎藤家旧臣。香川正久の息子。池田家家老。丹羽長秀の婿。信長馬廻衆。1584年「小牧長久手」に従軍。息子に忠繁、幸雄、忠幸。娘婿に池田長吉。
池田輝政 (1564~1613)古新・三左衛門・照政。池田恒興の次男。中川清秀の娘婿。尾張清洲城の生まれ。信長馬廻衆。池田氏は信長の信頼厚く旗本の中核となる一族。1580年荒木村重征伐に初陣16歳。1581年馬揃えに兄と共に出場。1582年兄とともに甲州従軍。摂津尼崎城主。1584年美濃大垣城主。
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(本編登場人物)
池田之助 (1559~1584)九郎丸・(偽名で正九郎、のち成人して勝九郎)。
最初、織田信長の小姓として仕える。のち信長の命で生駒三吉とともに信忠付きの家臣となる。妹に於仙と於久。生駒と共に奇妙丸を支える。
愛刀は「備前大包平」。
池田お仙 (*)池田家の娘。お久と双子姉妹。冬姫の侍女。
池田お久 (*)池田家の娘。お仙と双子姉妹。冬姫の侍女。