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武田家駿河先方衆

372部と関係。

(駿河先方衆) <旗頭> 山県昌景・馬場


葛山氏元 (*~*1569)八郎・元氏・備中守。駿河国東部葛山の豪族。元今川氏真の家臣。葛山氏は北条家の関東進出に大きく貢献する。1568年武田家の南進により臣従。翌年、穴山信君と同陣。駿河衆。葛山信貞を養子に迎える。<養子縁組政策により武田親族衆に>


小原鎮実 20騎(*)肥前守。今川家臣。義元により三河国吉田城主。三河奉行に派遣される。駿河花沢城主。


⇔岡部元綱 10騎(*~1581)小次郎・五郎兵衛・丹波守・興行・真幸・長教・元信。岡部左京進・親綱の息。岡部正綱の従兄弟。高天神城主。1559年山口氏に代わり鳴海入城。最前線の尾張鳴海城主。1560年「桶狭間の合戦」のち義元の首級を預かる。撤兵の際に水野氏の「刈谷城攻略」。水野信近を討つ。1569年武田家に臣従。駿河先方衆、遠江高天神城主となり、1581年徳川家康に攻略され戦死。息に真尭、元昌。


⇔庵原忠胤 (*)由比忠胤・安房守。由比忠任の息。庵原忠職(忠次とも)の養子。今川氏真の家臣。1568年「薩垂山の合戦」に従軍。庵原城主。


<山県与力衆>

⇔朝比奈信置 150騎(1528~1582)藤三郎・兵衛大夫・駿河守・政貞。駿河衆。元今川氏真の家臣。朝比奈元長の息。母は今川義元の娘。飯尾乗連の娘婿。松井宗信、飯尾連龍は義兄弟。1568年武田家の南進により臣従。山県相備え。徳川軍に攻囲され、息・信良とともに自害。持舟城主。矢部、久野、庵原氏が同心衆。息に宗利。


▽朝比奈信良 (*~1582)信置の息(嫡子)。跡部勝資の娘婿。1582年信忠軍に敗れ諏訪、又は甲府で自害。城主。息に(跡部)良保。

▽朝比奈宗利 (*)信置の息。1582年降伏。瀧川一益家臣。のち酒井忠次、徳川家康旗本。持舟城主。


三浦員久 40騎(*)右馬介。駿河衆。武田信友の娘婿。武田信堯の義兄弟。山県相備え。駿河田中城主。<武田の準一門に組み込まれて厚遇されています。><江戸幕臣となった三浦正勝の系統か。><桶狭間で戦死した三浦義就の官位は左馬介。>


三浦義鏡 20騎(*)兵部。山県相備え。持舟城主。<江戸幕臣となった三浦氏俊の系統か。>

孕石元泰 2騎(*~1581)藤六・主水佑・和泉守。光尚の息。元・今川家の家臣。駿河先方衆。山県相備え。1581年高天神城の籠城戦に敗北。息に元成(土佐山内家家臣)。<1572年「味方ケ原の合戦」に従軍した源右衛門は同一人物か?。>


<馬場与力衆>

岡部正綱 50騎(1542~1583)次郎右衛門。美濃守・信綱(久綱)の息。三浦氏員の娘婿。妹婿に伊丹康直。弟に長秋、忠兵衛。駿河衆。今川家の勇将。1569年武田家の南進により臣従。1572年「味方ケ原の合戦」、1574年「高天神城攻略」に従軍。その後・徳川家康に出仕「本能寺の変」後、甲斐乱入に武功を立てる。北条家との「若神子の合戦」で軍功。42歳で急死する。子息・長盛はのち5万石で大垣城主。左京進家の岡部元信は親戚。娘婿に朝比奈宗利、岡部宣貞。息に長盛、康綱。清水城主。


▽大塚* (*)兵右衛門。岡部正綱に属し1572年「味方ケ原合戦」に従軍。


武田海賊衆(水軍)


武田海賊衆(水軍)

 武田松姫が安宅船の模型を所有。


⇔伊丹康直 (1523~1596)権大夫・雅勝・秀虎・康明。雅興(元扶)の息。母は野間(間野?)時秋の娘。元・摂津国の豪族。伊丹氏。岡部正綱の妹婿。1529年伊丹城落城に元扶が戦死。1558年今川義元に出仕し同朋衆。氏真の代に海賊奉行となる。のち武田家に従い武田水軍の船大将。関船5艘。家康に仕え「康」の偏諱。息に康勝、虎康、勝久、直勝、虎重、重好。娘婿に大草正重、坂井昌明。<母方が気になります。摂津和泉の水軍と言えば沼野氏もしくは野間氏、秀吉の水軍に真野氏。どちらかの関係者か?。>


伊丹* (*)づあみ・大隈守。元・僧侶。今川氏真家臣、同朋衆。花沢守将。降伏して武田家臣。水軍の旗頭に抜擢される。<摂津・伊丹氏の分流が初めから駿河国に居たか?。>


間宮* (*)武兵衛。1573年頃北条・伊豆水軍から離反。関船10艘。


間宮信高 (*)造酒丞。1573年頃北条・伊豆水軍から離反。関船5艘。


小浜景隆 (*)民部左衛門・伊勢守。元・伊勢北畠家臣。志摩水軍。小浜城主。織田家と結んだ九鬼氏に敗北。1569~1571年頃武田家に出仕。安宅船1艘、小早船10~15艘。<九鬼嘉隆とはライバルの様です。浦氏が九鬼家と同祖ならば、九鬼一族の根が深い戦いだったのかもしれません。>


⇔向井正重 (*)伊兵衛・政重。元・伊勢北畠家臣。関船5艘。養子に(長谷川長久の息)正勝。跡職は正綱が継承。持舟城主。のち興国寺城主。<北畠家臣となる前は、田丸(玉丸山)城の愛洲氏の家臣。愛洲氏は八幡船団を率いて大陸まで進出していた。愛洲氏が北畠家から養子をとったことで陪臣とされるが、出奔したということでしょう。>


⇔▽長谷川長久 (*)元・今川家家臣。向井家親類。武田滅亡後は向井正綱とともに徳川家に出仕。息子の正勝は向井正重の養子。息に正勝、長盛、長綱(1543~1604)、長次。<伊勢大湊の長谷川氏との関係も気になりますし、今川氏親を保護した長谷川長者との関係も気になる武将です。>


⇔岡部貞綱 (*~1575)土屋貞綱・忠兵衛・豊前守。岡部親綱の息。今川家臣。水軍の将。のち武田家に従い武田水軍の船大将。関船12艘。1575年「長篠の合戦」に戦死。息に長綱、貞次、娘婿に川村重忠。<岡部元信の方の岡部氏の一族らしい。元信の弟のようです。>


⇔岡部* (*)土屋・忠兵衛・備前守。武田晴信により優遇される。 <北条氏援軍>


⇔大森高直 (*~1572)左衛門。北条家の侍大将。氏康の家臣。援軍として派遣される。1572年「味方ケ原合戦」に従軍。


⇔清水正次 (*)太郎左衛門。北条水軍衆。氏政の家臣。援軍として派遣される。1572年「味方ケ原合戦」に従軍。のち上野国にて由良氏に代わり金山城主。

松姫の遺品に安宅船の模型があるのは、松姫と奇妙丸との間を結ぶ重要な役割を安宅船が担っていたような気がします。

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