武田信玄の一門衆(息子:義信世代)
武田義信 御親類(一門)衆 (第二世代) 1530年世代 養子縁組政策
武田義信 80騎(1538~1567)太郎。晴信の嫡男。守役は飯富虎昌。1554年初陣、南信濃知久氏攻略。1561年第4回「川中島の合戦」に敗走。今川との同盟をめぐり晴信と対立し牢死、30歳。長坂虎房(長閑斎)、長坂源五郎(昌国)、曽根周防(昌世の息、虎盛?)が同心。
↑▽楠浦虎常 (1509~1565)丹波守・若狭守。昌勝の息(次男)。義信の補佐役。<信昌の代から武田家中に重きをなす重臣の家柄。>
↑▽漆戸虎光 (1512~1575)義信の補佐役。
▽跡部勝忠 50騎(*~1582)九郎右衛門・美作守・(昌忠?)。泰忠の息。元・武田義信の側近。使番12人衆のひとり。近習番帳頭。士隊将のひとり。侍大将家。勘定奉行。陣場兵糧奉行。息に昌忠(1544~1606)。<小身の跡部家のほう。>
▽長坂昌国 40騎+50(*~1567)源五郎。釣閑斎の息(養子か?)。足軽大将家。武田義信の小姓。義信と供に誅殺された。<昌国は今川一門で義信が今川氏から室を迎えた際に、今川家から付随された付家老とも。>
⇔▽雨宮家次 70騎(*~1575)十兵衛。信濃国人。元・村上家家臣。はじめ武田義信の側近。1567年義信事件に連座し出奔、北条氏に仕えるが武田家に復帰し、高坂相備え。1575年「長篠の合戦」に討死。 <1560年勝沼氏の謀反有、勝沼氏の室と離縁。>
▽勝津野昌世 (*~1567)鹿角・和野。昌忠の息。譜代家老家。武田義信の側近。1567年義信事件に連座し自害。跡職は真田信昌が継承。
海野信親 (1541~1582)二郎・龍芳。晴信次男。盲目のため出家。武田義信の弟。のち塔原氏の養子となり海野姓。
武田信豊 200騎(*~1582)(吉田信豊)・六郎次郎・左馬助・信元・典厩。信繁の嫡男・晴信甥。武田義信の義兄弟。1561年父の戦死後、信濃小諸城主。1572年「味方ケ原の合戦」に従軍。1582年城代・下曽根覚雲斎に謀殺される。
板垣信安 120騎(*)於曽・源八郎・左京亮。於曾氏。板垣信形の娘婿。1552年信憲が失脚。1558年板垣姓を与えられる。高島城主。のち駿河国田中城主。息に修理亮、隼人。対・徳川に徹底。
甘利昌忠 100騎(1533~1569*1572)藤蔵・左衛門・晴吉。一条流武田分家。甘利郷領主、虎泰の息。1551年板垣信憲と連名で文書を発給。1553年小笠原長時との「桔梗原の合戦」に軍功。1561年第4次「川中島の合戦」に従軍。1562年北条氏と武蔵国松山城攻略に負傷。1564年落馬し、1572年病死とも。上野箕輪城主。与力に米倉宗継。
甘利信康 150騎(*~1575)三郎四郎・信景・吉利・利重・晴吉。一条流武田分家。虎泰の息、昌忠没後に家督。1572年「味方ケ原の合戦」に従軍。1575年「長篠の合戦」に討死。上野箕輪城主。与力の米倉宗継も討死。
▽米倉重継 (1519~1575)丹後守・宗継。武田一門。甘利隊の与力。20人衆徒歩若党のひとり。旗本五人衆、足軽大将七人衆。1551年甘利虎泰に従い信濃国「刈屋原城攻略」に従軍。甘利信康に属し1572年「味方ケ原合戦」に従軍。1575年「長篠の合戦」に討死。<鉄砲玉避けの「竹束」を考案。><甘利家家臣。陪臣から直参か。>
⇔↓曽根昌世 15騎+30(*)孫次郎・内匠助・下野守。虎長の息。「奥近習六人」のひとり。足軽大将衆。士隊将のひとり。1565年(息子?)・周防が義信とともに誅殺される。1569年「三増峠の合戦」で浅利信種の戦死後その部隊を纏め殿軍。真田昌幸とともに「信玄の両眼」と評される。1572年「味方ケ原合戦」に従軍。駿河興国寺城主。1582年武田氏滅亡後、徳川家に出仕。武田旧臣の惣領として家康に起請文。徳川家では冷遇されたのか、のちに蒲生氏郷に出仕。
⇔↓駒井昌直 115騎(1511*1542~1595)右京亮・右京進。武田親類衆。甲州巨摩郡駒井領主、駒井政武(高白斎)の息。1572年「味方ケ原合戦」に従軍。駿河深沢城主。伊豆北条氏に備える。のちに織田家に臣従。のち榊原康政に出仕。息に親直、昌時。
小山田信茂 250騎(1539~1582)弥三郎・左兵衛尉・越前守。郡内(都留郡)の領主。岩殿山城城主。小山田家は信虎の代に武田家と同盟を締結。1572年「味方ケ原の合戦」に軍功。甲斐谷村城主。与力に上原氏。
▽上原* (*)能登守。小山田信茂に属し1572年「味方ケ原合戦」に従軍。
⇔↓穴山信君 200騎(1541~1582)武田信君・勝千代・左衛門大夫・玄蕃頭・陸奥守・梅雪斎。甲斐国河内(西八代郡・南巨摩郡)領主、晴信の婿、甥でもある。甲斐下山城主。1572年「味方ケ原合戦」に従軍。駿河興津城代、1575年・駿河江尻城主。弟の信邦は「義信事件」に連座し自害。のちに織田家に臣従。息に信治(1572~1587)。
⇔↓木曽義昌 200騎(1540~1595)晴信婿。木曽義康の息。1555年以降同盟、臣従。信玄3女と婚姻する。1560年飛騨三木氏の攻撃を撃退。のちに織田家に臣従。福島城主。