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武田信玄の一門衆(兄弟世代)

<晴信 御親類(一門)衆>1520年世代  [三方ヶ原以前に死亡] 1575年「長篠の合戦」で戦死


[武田信繁] 200騎(1525~1561)(吉田信繁)・次郎・左馬助・典厩。晴信弟。武田家副将。1561年第4回「川中島の合戦」に討死。


[松尾信是] 200騎(*~1571)武田信是・源十郎・民部少輔・信俊。信虎の息(5男)。外祖父、松尾信賢の養子に行く。河窪信実の息・信俊が遺領を継ぐ。山県昌景相備え。


武田信廉 80騎(1525*1532~1582)孫六・刑部少輔・逍遥軒・信綱・のぶかど。晴信の弟。1541年兄のクーデターに従う。1561年兄・信繁の死により一門筆頭。1570年信濃高遠城主のち、信濃大島城主。晴信の影武者を勤めたと伝わる。1572年「味方ケ原合戦」に従軍。1575年「長篠の合戦」に従軍。穴山信君とともに撤退。1582年織田家の森長可軍により処刑される。息に信澄。


▽工藤昌祐 (1520~1582)長門守。工藤虎豊の息。父の死により武田家を出奔。晴信の家督により甲斐に復帰。武田信廉の家老。弟に祐長(内藤昌豊)。息に祐久。


河窪信実 200騎(1544~1575)武田信実・川窪・兵庫助。西山梨郡川窪領主。信虎の7男(10男とも)・晴信弟。武蔵雁坂口を守る。松尾信是の遺領を継ぐ。のち浪人衆313騎を率いる。1575年鷲津砦を守備し酒井忠次、金森長近の別働隊と抗戦し戦死。甲斐河窪(川窪)城主。息に信俊。


▽五味高重 (*~1575)与三兵衛・与惣兵衛・貞成。越後浪人。河窪(武田)信実の与力。飯尾助友、名和宗安とともに浪人衆頭三人のひとり。


▽井伊* (*)飯尾助友・弥四右衛門・与四郎。河窪(武田)信実の与力。五味高重、名和宗安とともに浪人衆頭三人のひとり。


一条信龍 200騎(*~1582)武田信龍・右衛門大夫。信虎八男・晴信弟。甲斐西八代郡を領す。信玄の後備えに終始したため武功は具体的に伝わらない。山県昌景評では「伊達者にして、華麗を好む」とされる。1572年「味方ケ原合戦」に従軍。「長篠の合戦」では勝頼の退却為、殿軍で奮戦した。甲斐上野城主、駿河田中城主。武田家滅亡の際、勝頼に忠節を尽くし奮戦する。甲斐上野城主。


武田信友 100騎(*~1582)六郎・左京亮・上野介・信基。武田信虎の息(晴信庶子とも)。瀬名貞綱の娘婿。1575年「長篠の合戦」に従軍。1582年織田信忠により誅殺される。


▽板垣信憲 200騎(*1511~1552)弥次郎・信重。武田一門。信形の息。1551年甘利昌忠と連署で文書を発給。1552年晴信に誅殺される。諏訪城主。


甘利信益 (1518~1542)甘利虎泰の息(長男)。諏訪攻略戦に戦死。


⇔↑勝沼信元 (*~1560)武田・丹波守・五郎・信光。信友の息。信虎の甥。弟に加藤信厚(信原)。1535年父が北条氏綱との合戦に戦死。1560年関東管領に就任した上杉謙信に呼応し謀反。討伐される。息に信就、信定、信景。

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