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尾張国熱田 加藤氏

(尾張 加藤氏)


(熱田加藤)

・・東加藤・・

加藤順光(*)東加藤。加藤惣領家。熱田加藤12代目。加藤景繁の息子。加藤延隆の兄。


加藤順盛(1514~1588)東加藤・図書助・又八郎・よりもり。加藤順光の息子。熱田加藤13代目。羽城に居し東加藤と呼称される。次男・弥三郎(*~1572)は信長の赤幌衆。一時尾張織田家の人質となった、松平竹千代(徳川家康)を預かる。


加藤順政(1535~1599)東加藤・又八郎・図書助・吉郷・入道道珠。熱田加藤14代目。加藤順盛の息。信長、信忠に出仕。1560年「桶狭間の合戦」に連動して、今川水軍を撃退。息子に信忠の小姓・辰千代。


加藤* (1567~1582)加藤順政の息子。織田信忠の小姓。


加藤 * (*~1572)(東加藤・岩室)・弥三郎・勘右衛門。尾張熱田の豪商・(東)加藤順盛(1514~1588)の次男、順政の弟。徳川家康の尾張人質時代を共に過ごす。織田信長の側近兼親衛隊・赤幌衆のひとり。1560年「桶狭間の合戦」に従った五小姓のひとり。1569年伊勢「北畠氏征伐」に従軍。永禄末年頃、赤川景弘(坂井通盛)を斬る。長谷川橋介・山口飛騨・佐脇良之とともに信長から追放され、家康に仕える。「三方ヶ原の合戦」で討死。


・・西加藤・・


加藤延隆(*)西加藤・のぶたか・入道全朔。熱田西加藤家。加藤景繁の息子。順光の弟。順盛の叔父。本家の順光の弟。西加藤家を分立。織田信秀から保護され要脚・徳政の免除、船運の利権を与えられる。1552年家督相続した織田信長からこれまで通りの権利を保障される。


加藤資景(*)西加藤・紀左衛門・隼人正・景隆。熱田西加藤家。延隆の息子(長男)。1552年家督相続した織田信長からこれまで通りの権利を保障される。1558年再び権利を保障される。1560年「桶狭間の合戦」に連動して、今川水軍を撃退。


加藤元隆(*)西加藤。熱田西加藤家。延隆の息子(次男)。1550年頃信長から大瀬古、(加藤?)余五郎跡職を保障される。


加藤家勝(*~1614)奥村家勝・西加藤・与三郎・家唯。西加藤家の入婿。前田利家と相婿で義兄弟。信長の勘気を受けた前田利家を養う。


(その他の加藤氏)

加藤* (*)賀藤・助丞。信長家臣。足軽衆。


加藤* (*~1573)賀藤・次郎左衛門。林秀貞の与力。1573年伊勢長島に従軍し戦死。


加藤喜助 (*~1573*1574)1574年白金の所領を岩村(岩室?、加藤弥三郎の息?)小十蔵が継承。


加藤長次 (*~1572)比ノ丞・日根丞。織田方。「味方ケ原の合戦」で戦死。


加藤正信 (*~1572)九郎次郎。織田方。「味方ケ原の合戦」で戦死。


加藤景継 (*~1572)源四郎。織田方。「味方ケ原の合戦」で戦死。


******

(本編登場人物)

熱田加藤氏

東加藤家の加藤順政

・・・・跡職として湊の管理を任されている。


西加藤家の加藤延隆

・・・・東家を後見。


加藤次郎左衛門

・・・・加藤家壱番船艦長。


加藤日根丞長次

・・・・加藤家弐番船艦長。


加藤九郎次郎正信

・・・・加藤家参番船艦長。


加藤源四郎景継

・・・・加藤家四番船艦長。



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