尾張 林氏
(尾張 林氏)
林通安 (*~1580)(稲葉)・八郎左衛門。稲葉(林)通村の息子。尾張林家。義兄弟に織田弾正忠家の信定。甥に織田信秀。美濃の稲葉氏は一族。息子に秀貞、通具。
林勝隆 (*)九郎。尾張林家。養子に秀貞。
林秀貞 (*~*1580)<稲葉・一柳>・新五郎・佐渡守・通勝。織田信定に出仕した林(稲葉)通安の息子。尾張林家の林勝隆の養子。信秀、信長、信忠三代に仕える織田家随一の老臣。尾張沖城主。愛知郡狩宿を領する。1531年飛鳥井雅綱に蹴鞠の弟子入り。1556年織田信勝を後援し、柴田とともに信長に叛した「稲生の合戦」に敗北。信長に赦免される。1562年1月松平元康と清洲会見。三河に同盟の答礼。那古屋城主。1568年上洛し京畿の政務に係る。1573年足利義昭との取次ぎ。1573年9~10月北伊勢「長島一向一揆」攻撃に従軍。1574年直江景綱との取次ぎ。1574年島田秀順とともに囲い安宅船を建造。1574年7~9月伊勢「長島一向一揆」殲滅戦に従軍。織田信忠に家督が譲られて以降は信忠の執事として重きを成す。1578年播磨「三木城攻囲」に従軍。1580年、信長に過去の失態(1573年伊勢一向一揆に敗北)を責められ追放。京都にて没。息子に光時、光之、勝吉。娘婿に(槍林)通政。
林通政 (*~1573)<稲葉・一柳>・新次郎(新二郎)・新三郎・(光時?)。秀貞の息子(養子で娘婿・従兄弟とも)。「槍林」と讃えられる勇者『武家事記』。1570年江北・伊勢に従軍するという。1572年に「味方ケ原の合戦」に援軍に赴いたらしい。1573年9月北伊勢「長島一向一揆攻撃」で殿軍をつとめ戦没。
加藤*(*~1573)次郎左衛門。1573年9月北伊勢「長島一向一揆征伐」に従軍。退却の際に通政とともに殿軍を務め戦死。弓の名手として近隣にきこえる勇士『信長公記』。
林光時 (*)長左衛門。秀貞の息子。弟に光之、勝吉(一吉)。
林光之 (*)喜兵太。秀貞の息子。
林勝吉 (*)山内・伊賀守・伝助・伝左衛門・一吉。秀貞の息(3男)。のちに山内一豊の家老。息子に勝久。
(林家 関係者)
林通具 (*~1556)美作守・通春。信秀の郎党。信長の筆頭家老・林秀貞(通勝)の弟。斎藤道三の戦死後、信長弟・信勝を擁立し信長に反抗。1556年「稲生の合戦」に戦死。
角田* (*~1556)新五・新五郎。守山党。守山城家老職。信次、信時の二代の家老。1555年丹羽氏勝を守山城に引き入れる。織田信時の両家老。織田信勝の末盛党と対立。のち1556年守山城主・織田信時(秀俊)に対して謀反。主・織田信時を自害させる。のち林秀貞に出仕。1556年織田信勝派。「稲生の合戦」に松浦亀介に討ちとられる。
林 * (*~1558)弥七郎。「隠れなき弓達者」『公記』。1558年「浮野の合戦」に、橋本一巴と一騎打ち、負傷し佐脇良之に討たれる。
山内盛豊 (*~1558)猪之助・但馬守・守豊。久豊の息子。岩倉織田家の家老職。尾張羽黒郡の土豪。山内一豊の実父。1557年黒田城の攻防で嫡男・十郎が戦死。1558年「浮野の合戦」に戦死。息子に一豊、康豊。黒田城主。
山内一豊 (1546~1605)猪右衛門・対馬守。尾張岩倉織田信安の老臣・山内盛豊の息子。1570年、越前朝倉攻略「金ヶ崎の殿軍」に初陣。1573年上洛軍秀吉馬廻衆。秀吉「黄幌衆」のひとり。1582年高松城攻囲に一軍の将。1590年「小田原征伐」に関東遠征一軍の将。7万石。のち羽柴秀次の家老となる。
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(本編登場人物)
林秀貞 (*~*1580)<稲葉・一柳>・新五郎・佐渡守・通勝。
・・・・・尾張に残り清州城の城代として専横。奇妙丸に城を引き渡し、那古屋城に戻る。
林勝吉 (*)山内・伊賀守・伝助・伝左衛門・一吉。
・・・・・兄たちが、上洛軍や、伊勢出兵に従軍しているため、父と共に留守居。友に山内一豊。
山内一豊 (1546~*)猪右衛門・対馬守。
・・・・・林家に居候している。友に林勝吉。