森長可の事績(尾張 森氏)
奇妙丸と縁の深い森一族です。
<a href="https://17453.mitemin.net/i708759/" target="_blank"><img src="https://17453.mitemin.net/userpageimage/viewimageicon/icode/i708759/" alt="鬼武蔵"></a>
森 長可
(生誕:1558~没年:1584)
(林長可)・勝蔵・武蔵守・可長・長一。森可成の次男。兄に可隆。母は林通安の娘。正室に池田恒興の娘、側室に加木屋正次の娘。
弟に森蘭丸(成利)・坊丸・力丸。「鬼武蔵」の異名をとる荒武者。
1570年父の死後に家督相続。美濃可児郡兼山城主(当時13歳)。
1573年河内国「交野城攻略」に従軍(16歳)。
1574年頃形勢された織田信忠軍団に所属し、伊勢「長島一向一揆征伐」、
1575年「長篠の合戦」に従軍。
1577年荒木村重「有岡城攻囲」に従軍。
1582年2月団忠正とともに「甲州乱入」に先陣を勤める。上野に侵入し小幡・内藤・真田氏を降す。戦後、北信濃4郡を与えられ、信濃国・海津城主。飯山に蜂起した武田一揆を鎮圧する。信忠直臣の若手の将校として期待される。
(関係者)
森 可成
(1523~1570)
(大橋可成)・与三・三左衛門・三郎左衛門。可行の息子。母は大橋重俊の娘(青木秀三の娘とも)。弟に可政。美濃出身、元・斎藤家臣。室は林通安の娘。
1556年叛した林・柴田に対し信長側で「稲生の合戦」に従軍。
1557年岩倉織田氏との「浮野の合戦」に従軍。
1560年「桶狭間の合戦」に従軍。
1563年美濃国「新加納の合戦」に柴田勝家とともに殿軍で軍功。美濃攻略時に、東美濃支配に貢献。1568年近江宇佐山城主。
1568年9月上洛に従い柴田勝家とともに「青龍寺城攻略」。柴田勝家・原田直政・坂井政尚とともに京畿の政務に係る。
1569年8~10月「伊勢北畠平定戦」に従軍。
1570年4月「越前侵攻」に従軍。1570年6月「姉川の合戦」に従軍。
1570年9月宇佐山城で浅井・朝倉氏と戦い、織田信治とともに討死。
息子に可隆、長可、蘭丸(成利)、長可、長氏、忠政。娘婿に木下勝俊、関共成。
森 可政
(1560~1623)
(大橋可成)・九一郎・惣兵衛・対馬守・勝也・勝成。森可行の息子。母は大橋重信の娘。森可成の弟。高木政清の娘婿。織田信忠の旗元衆。息に重政、可澄、成正、可春、正次、正信。
森 可隆
(*~1570)
(林可隆)・伝兵衛。可成の長男。林家と親戚。坂井(余語)政尚親子との不仲で有名。尚恒に遅れまいと武功を焦り手筒山に討死。
林 為忠
(1556~*)
小次郎・長兵衛・常吉・入道道休。林通安の息子。室は塙義元の娘。森可成、長可の家老。同僚の各務元忠とともに高遠攻略に軍功。義兄弟に森可成、井戸宇右衛門。息に直親、娘婿に各務元峯。信濃飯山城主。
各務元正
(1542~*)
勘次郎・清右衛門。森長可の家老。1581年播磨国「三木城攻略」に負傷。「小牧・長久手」に遠山利景の東美濃侵攻を防ぐ。
***************************************
(本編登場時の設定) 第9話(兼山城編)、
森於八
森勝法師(のちの森武蔵守長可)
・奇妙丸の小姓・傍衆としました。
・性格は燃える男です。父の死と母の信仰により、於八の心も変わっていきます。
・武道一般に秀でていますが、当代隋一の猛将・柴田勝家に憧れ、槍術に特化していくことを望み、修行に励んでいます。
・武器は十連針兼定の刀槍を愛用しています。
・姉を恐れています。
森於九(のちの森可政)
・奇妙丸の小姓・傍衆としました。於勝とは叔父・甥の関係だが年齢は、ほぼ同じとしました。
・叔父の名誉にかけて於勝とは何かと張り合うライバル関係です。
森乱法師(有名なお蘭になります)
・・・・於乱。於勝の弟。好奇心旺盛な少年。母の御栄ノ方と伴ノ桜と共に誘拐される。
森御栄御前 第9話(兼山城編)に登場する。
・・・・御栄ノ方。森可成の正室。於勝、於乱の母。林通安の娘。
林通安 第9話(兼山城編)に登場する。
・・・・右衛門尉。兼山城の留守居。娘婿に森可成。落ち着いた爺さんの印象です。
森於高姫 第14話(一宮城編)に登場する。
・・・・於勝の姉。女武将として尾張国内でも有名。領地の隣接する関家の一宮城城下に乱入する。
津島・大橋家や林、塙家との繋がりが重要かと。