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三河 桜井松平氏

(桜井松平氏)


松平信定 (*~*1537?)桜井・松平・内膳。松平長親の息子。松平信忠の弟。親織田(西条吉良)派。守山城主・織田信光は娘婿。1529年「岩崎城攻略」に子息・清定とともに先陣の武功。尾張品野城主。清康亡き後、清康祖父、松平長親の命で松平の盟主となり、広忠を岡崎から追放。刈屋・水野、大給・長沢の松平と婚姻関係。清康の弟・三木信孝と鵜殿康孝も従う。1537年不在時に岡崎城を奪取される。家老・石川康長、その息子・石川康利、康定兄弟は殺害される。


石川康長 (*~1537)桜井松平家の家老職。信定の家臣。1537年岡崎城を攻撃され落城戦死。息子に康利、康定。


・・・・・・


桜井松平清定 (*~1543)家重。信定の息子。元・親織田派。父に従い吉田城、品野城攻略に従軍。息子に家次。品野城主。三河上野城主。


・・・・・・


桜井松平家次 (*~1563*)松平家次・監物・家久。桜井松平家。清定の息子。兄に家重。元・親織田派。のち義元直属。1545年松平広忠に敗北。与力に酒井忠尚、榊原長政。1553年東条松平忠茂と抗争。1556年今川義元は東条家を厚遇。1558年山崎城の信長家臣・竹村長方と抗争。1560年「大高城救援」に従軍。1563年三河一向一揆に一向宗側として叛乱。尾張品野城主。息子に忠正、忠吉。娘婿に菅沼(野田)定盈。


酒井忠尚  (*~*1563)(坂井忠賀?)・左衛門尉・将監。酒井忠次の叔父、または兄。1546年10月石川式部とともに今川軍に従い「吉田城攻撃」。1542年松平信孝に従い叛乱。1563年三河一向一揆に一向宗側として叛乱。上野城主。乱後は今川家に逃走。


榊原長政 (*~1562)孫十郎。酒井忠尚の与力。清長の息子。弟に一徳斎。息子に清政、康政(一徳斎の養子)。


長江景隆 (*)今川義元方。品野城桜井松平家の与力。尾張国桑下城主。息子に半之丞(蜂須賀家に出仕)。


戸田直光 (*)戸田家光の息子。今川義元方。品野城桜井松平家の与力。尾張国落合城主。息子に直頼。


・・・・・・


桜井松平忠正 (1544~1577)与一郎。桜井松平家嫡流。松平家次の息子。碧海郡桜井城主。今川家人質随伴衆、常に家康に近侍した。家康の妹婿。1563年父・家次は三河一向一揆に、荒川義広に同心し失脚。忠正は中立し家康に許される。1568年遠江侵攻に従軍し掛川城攻略に軍功。1570年「姉川の合戦」に従軍。野田菅沼定盈の後詰。野田城を守備。のち武田家に降伏し定盈とともに人質となる。1575年「長篠の合戦」に従軍。酒井軍団に所属。息子に家広。


桜井松平忠吉 (1559~1582)桜井松平家嫡流。松平家次の息子。兄・忠正の戦死により、甥・家広を後見。兄の未亡人(家康の妹)を室とする。桜井軍の陣代。


*****

(本編登場人物)


桜井松平家次 (*~1563*)松平家次・監物・家久。

・・・・・亡くなられています。(物語の話上、清定を壱代とばしています)


桜井松平忠正 (1544~1577)与一郎。

・・・・・叔母に織田信光夫人の於北御前。大相撲に出場して、頑張りました。


桜井松平忠吉 (1559~1582)桜井松平家嫡流。

・・・・・小相撲に出場して、頑張りました。





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