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三河 酒井・坂井氏

(三河 酒井・坂井氏)


酒井忠尚 (*~*1563)上野酒井・(坂井忠賀?)・左衛門尉・将監。康忠の息。酒井忠次の叔父、または兄。1546年10月石川式部とともに今川軍に従い「吉田城攻撃」。1542年松平信孝に従い叛乱。1563年三河一向一揆に一向宗側として叛乱。乱後は今川家に逃走。上野城主。


大原* (*)左近右衛門。酒井忠尚の与党。


今村* (*)伝次郎。酒井忠尚の与党。


酒井忠次 (1527~1596)井田酒井・(吉田)・小平次・小五郎・左衛門。酒井忠善の息。松平清康の娘婿(家康の叔母・碓井姫)。家康の15歳年長の叔父。1558年の松平元康初陣に従軍。1563年「三河一向一揆」鎮圧に軍功。1564年東三河の拠点、吉田城の城主。東三河の旗頭。1569年石川数正とともに総先手侍大将。1570年「姉川の合戦」に4隊長のひとり。1572年「味方ヶ原の合戦」に7隊長のひとり。1575年「長篠の合戦」に別働隊。軍功を挙げる。1579年織田家に使者。岡崎信康の誅殺計画を相談。1582年家康とともに上洛。「本能寺の変」に家康とともに伊賀越えで帰還。江戸時代徳川16神将のひとりに撰ばれる。1586年秀吉から京都に隠居領を貰う。息に家次。井田城主、吉田城主。70歳。


酒井忠域 (*)井田酒井・下総守。酒井忠善の息。忠次の弟。井田城主。


石原* (*~1572)十度右衛門。酒井忠次家臣。1572年「味方ケ原合戦」に従軍、戦死。


酒井正親 (1521~1576)雅楽頭・政家。松平清康、広忠、三代に仕える。石川清兼の娘婿。1549年今川領駿府入りに供奉。1558年の松平元康初陣に従軍。大高城攻略に小荷駄奉行。1563年配下の菅沼藤十郎・定顕が佐崎村の兵糧を徴収したことから三河一向一揆勃発。1569年石川軍団に配属。のち西尾城主。尾張・三河国境の抑え。息・重忠。


酒井重忠 (1549~1615)与四郎・河内守。酒井正親の息。1558年の松平元康初陣に従軍。父、正親の遺領を継ぎ西尾城主。石川軍団に配属。高天神城攻略に活躍。「小田原城攻略」に徳川軍の先陣を勤める。相模甘縄、武蔵河越1万石。上野厩橋城主を務めた。


酒井忠利 (1559~1627)与七郎・備後守。酒井正親の三男。石川軍団に配属。のち将軍・家光の家老となる。


******

(本編登場人物)


酒井重忠 (1549~1615)与四郎。

・・・・大相撲出場。酒井忠次と石川数正が家康軍団の旗頭となったことにより。一地方の城主へと地位の転落した父・酒井正親に代わり、次世代の旗頭を目指している。


酒井忠利 (1559~1627)与七郎。

・・・・小相撲、虎松と対戦。兄と共に酒井家の本流となるべく頑張っている。



徳川家康の軍団制度も、武田信玄の初期軍制の様な両職体制なのではないでしょうか。

武田家でいえば、板垣と甘利の双璧。

織田家でいえば、柴田と佐久間の両翼。

徳川は酒井と石川。

最初は、どの戦国大名も、この体制で始まっているような気がします。

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