織田奇妙丸の事績
(登場人物)
織田信忠・幼名:奇妙丸 旅の偽名:勘九郎信重。
森長可・幼名:於勝 旅の偽名:勝蔵。
団忠正・幼名:於八 旅の偽名:男平八。
池田之助・幼名:九郎丸 旅の偽名:正九郎。
蒲生氏郷・幼名:鶴千代 旅の偽名:俵三郎。
作中での名前変換が大変ですが、頑張ってついてきてください。
織田信忠
(生誕:1555*異説あり~没年:1582年)
奇妙丸・勘(菅)九郎・信重。
生駒吉乃と織田信長の間に生まれた。織田家の嫡男。
1572年7~9月「江北出兵」に初陣。12月遠江「二俣城落城」。「味方ケ原の合戦」織田軍、武田信玄に敗北。
1574年2月美濃「明智城救援」、1574年6月「高天神城救援」、1574年7~9月織田信忠軍団「伊勢長島一揆討伐」、8月遠江「高天神城落城」小笠原長忠離反。
1575年5月織田信忠軍団遠征「長篠の合戦」諏訪勝頼率いる武田軍に勝利。織田信忠軍団、東美濃「岩村城攻略」に軍功。
1576年1月波多野離反。5月石山本願寺一揆蜂起。原田直政戦死。織田信長負傷。
「天王寺表の合戦」に負傷し前線を退いた父・信長に代わり以降、織田軍の最高司令官として指揮権を振るう。
1577年2~3月堀秀政指揮の「信長馬廻衆(近衛軍)」とともに、北畠信雄軍団・長野・神戸軍団・佐久間信盛軍団・羽柴秀吉軍団・荒木村重軍団・別所軍団・瀧川一益軍団・惟任光秀軍団・惟住長秀軍団・筒井順慶軍団を率い「雑賀・根来征伐」。1577年松永久秀謀反「大和信貴山城攻略」に惟任光秀軍団・長岡藤孝軍団・筒井順慶軍団を率いる。10月羽柴秀吉軍団播磨派遣。10月惟任光秀軍丹波派遣。
1578年1月安土万見邸にて信長「新年茶会」に信忠とともに重臣12人列席。1578年2月別所離反。4月「本願寺攻略」北畠信雄軍団・長野信包軍団・神戸信孝軍団・津田信澄軍団・瀧川一益軍団・惟任光秀軍団・惟住長秀軍団、蜂屋頼隆を率いる。1578年5~7月「播磨三木城攻囲」林秀貞(信忠後見人)軍団・北畠信雄軍団・長野信包軍団・神戸信孝軍団・惟住長秀軍団・瀧川一益軍団・長岡藤孝軍団・荒木村重軍団・津田信澄軍団を率いる。7月「上月落城」尼子滅亡。1578年9月家老・斎藤長龍軍団(臨時編成)の「飛騨侵攻」。1578年10月荒木離反(籠城1年8カ月)。10~11月「有岡城攻略」北畠信雄軍団・長野軍団・神戸軍団・惟任光秀軍団・羽柴秀吉軍団・瀧川一益軍団・惟住長秀軍団・蜂屋頼隆軍団・佐久間信盛軍団・越前衆・武藤舜秀軍団・津田信澄軍団を率いる。
1579年3月浮田直家軍、毛利方の美作三星城奪取、織田家に転じる。4月「播磨出征」北畠信雄軍団・長野軍団・神戸軍団・津田信澄軍団・惟住長秀軍団・筒井順慶軍団・越前衆を率いる。6月丹波の波多野兄弟処刑。7月美濃衆・井戸才介誅殺。8月「摂津出征」瀧川一益軍団・蜂屋頼隆軍団・武藤舜秀軍団・惟住長秀軍団を率いる。7~9月徳川家内紛、三河「築山殿・岡崎信康事件」。9月信雄「伊賀乱入」敗戦。12月有岡城捕虜処刑。
1580年1月「三木落城」別所滅亡。5月南條元続帰属。7月「花隈落城」荒木滅亡。4~8月本願寺の石山退去。9月「伊賀乱入」信雄・御名代「総大将」、信忠後詰軍。1580年8月林秀貞・丹羽氏勝追放。佐久間信盛軍団解体後、筒井順慶軍団も直属の指揮下。摂津国に信忠後見人の池田恒興軍団成立。11月家康、横須賀出陣。12月信長馬廻、猪子・福富・長谷川・西尾が軍監として派遣される。
<この年、長男「三法師」誕生。織田信忠軍団の主力部隊、東方の戦線に移動し対・武田軍に動く。>
1581年1月東海道方面軍の徳川家康軍団と連携し、遠江「高天神城後詰」準備。1月遠江の前線、横須賀城へ尾張水軍の水野直盛・水野忠重・大野衆先陣。
<1月織田信忠、高天神城攻囲の援軍派遣。信忠軍団諸将、東美濃から武田領を圧迫か。>
1581年2月上洛「京都馬揃え」。3月伊勢神宮に所領安堵。
<以降、3~7月まで信忠謹慎期間とされてますが。本当にそうなのでしょうか?>
3月21日「高天神城落城」武田勝頼の後詰失敗(4~7月の勝頼の動向を追えば、信忠軍団の活動がみえるのでは?)
1581年8月長良川に馬場建造。9月「伊賀乱入」に父・信長とともに入国。11月池田元助軍団「淡路遠征」。
<この年、勝頼の養子となっていた弟・武田勝長の生還。>
1582年正月、佐久間信栄再出仕。2月「甲州乱入」に、森・団先発。1582年3月北陸方面軍から金森長近軍団、東海道方面軍から徳川家康軍団を動員し、武田家を滅ぼす。信忠後見人の川尻秀隆軍団成立。家老の森長可軍団、毛利秀頼軍団成立。「甲州乱入」の副将・瀧川一益が関東御警固役として方面軍軍団長に就任。
1582年6月京都上洛。惟任光秀軍の「京都乱入」により二条御所で討死(鎌田新介、介錯)。
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(本編での設定)
織田奇妙丸(旅中の仮称名:勘九郎信重)
・1年でも長くこの世にいて欲しかったので、1555年生まれ説をとりました。「花の散るのを惜しむ」です。
・兄に村井家の某、埴原家の乙殿(本編中では長久)としました。
・弟に茶筅丸(のち北畠信雄)、三七丸(のち神戸信孝)。
・弟に出自が不詳の武田勝長。信長の養子とし、出自を武田信玄に幽閉された武田義信の隠し子としました。武田義信の年齢が子供がいてもおかしくない年齢であること、信玄も嫡子である義信の子をすべて抹殺しないであろうと考え、とりあえず遠山氏の跡職を継承するなら在命を許すであろうと想定しました。
・愛刀は相州貞宗としました。現存するは小刀のみのようですが、大小のものを揃えていたのではなかろうかと考えています。
・愛馬の名称は特に伝わっていませんが、岐阜城下に馬場を作るほどの馬への入れ込み様から、愛馬がいたものと推測しました。1582年頃随一の馬といえば、琵琶湖渡で有名な明智某の大鹿毛・・。これと同じ名の馬としました。
・妹に五徳姫と冬姫。二人は同じ年齢とします。五徳が姉で、冬が妹です。
・幼いころから山城で生活していたので身体能力は抜群です。
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http://17453.mitemin.net/i185253/ <奇妙丸 14歳>
挿絵(By みてみん)
読んでいただきありがとうございました。
『小説家になろう』初めての投稿で、システムがよく解っていなかったため、話が乱立してしまいましたので、10話までを一つにまとめ『―奇妙丸道中記―失われた世代』としたいと思います。
運営の方々には文章削除の為、検索などで穴をあけてしまって申し訳ありません。
未熟者の為、ご迷惑をおかけしました。どうか御寛怒下さい。
続きは、織田信忠ー奇妙丸道中記ーの方で、一話ごとに章単位でまとめて継続掲載したいと思います。
これからも、どうぞ宜しくお願い致します。
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-追記-
9月23日、奇妙丸道中記の人物紹介をすることに決めました。内容を大幅に変更しましたので、ご了承下さい。
(謹言)