二食目 氷魔法とほんのり甘い蒸しパン
「何か大皿の代わりになる物はないか?
そういえば隣の食堂に、ちょうど使えそうな足付き皿があった」
厨房の隣の食堂には大きな暖炉があり、マントルピースの上にくすんだ銀色の足付き大皿が飾られていた。
皿の表面には天使の姿が描かれ、俺でもこれはかなりの貴重品だと分かる。
貴重品を盗んで逃げた召使たちは、どうして足つき大皿を残したのだろう?
俺はマントルピースの足付き大皿に手を伸ばすと、皿に触れた一瞬だけ指先に静電気みたいな痛みを感じたが、気にせず皿を取った。
足付き大皿は見た目よりとても軽く、このサイズなら蒸しパンの容器にバッチリだ。
「普通のパンだと一次発酵二次発酵と手間がかかるけど、ベーキングパウダーを使った蒸しパンなら、三十分で蒸し上がるぞ」
俺が大皿を抱えて台所に戻って来ると、それを見たセピアが悲鳴を上げる。
「ちょっと待って下さい、ツカサ様。
それは先代の御当主様が、勇者と共に魔王を討伐した褒美として、天神族から授かった聖杯で、普通の人間は手に触れることもできないはず」
「そういえば皿を触った時、少しビリっときたけど、全然大丈夫だぞ」
俺は騒ぐセピアを無視して、足付き大皿を綺麗に洗う。
そして小麦粉とベーキングパウダー、水とホエーと砂糖を加えて混ぜ、蒸しパン生地を作る。
足付き大皿(聖杯)に蒸しパンの生地を流し込み、グツグツと湯立つ土鍋の中に大皿を入れると、布巾をかぶせ蓋をする。
「あーーーっ、聖杯を大鍋に入れちゃった!!
この世に一つしかない貴重な聖杯を鍋で煮るなんてぇ。
ホワイト姫様、どうしてツカサ様を止めないのですか!!」
頭の角を握りしめて叫ぶセピアに、ホワイト姫は大人びた仕草でため息混じりに答える。
「セピア、ツカサ様を止めても無駄です。
ツカサ様は『私たちに食事を与える』という契約で縛られているので、私は契約を遂行するツカサ様を止められません。
それにして汚れた氷の魔女の私が近くにいるのに、ツカサ様の異界の炎は勢いが衰えません」
そう話すホワイト姫の目の前で、聖杯を入れた大鍋から勢いよく湯気が噴きだした。
そして三十分後、俺は大鍋の蓋を取って足付き大皿を取り出すと、それを見たホワイト姫が歓声を上げる。
「大きく膨れ上がった、真っ白で綺麗なパンができあがりました」
「これは明日の食事分だけど、少し味見してみるか?」
綺麗なまん丸に膨れた蒸しパンは、6号ホールケーキぐらいの大きさで、どっしりと重たい。
俺は出来立て熱々の蒸しパンをちぎって、二人に味見させる。
「この白くてふわふわしたパンは、ハフハフっ、アチッ、モチモチしてかすかに甘味があります」
「ツカサ様、もしかしてこの甘みは西の大陸で作られる幻の甘味、砂糖ですね。
私は一度だけ、王都からの土産にもらった菓子を食べたことがあります」
「へぇ、こっちの世界にも砂糖が存在するんだ」
砂糖入りの蒸しパンは、二人の口に合うようだ。
「まだ釜戸の火は燃えているから、ついでにヨモギもどきを混ぜた蒸しパンを作るか」
それから料理に熱中した俺は、蒸しパンを二個作り終えて、ふと気が付くと食堂も廊下も暗闇で閉ざされていた。
この世界にも夜があるのだ。
「ああ、やっと明かりのある夜が過ごせます。
ツカサ様、食堂の暖炉に火を付けてください」
「火種なら、釜戸の火を分けたらいいじゃないか」
「でも私は魔力を持たないし、ホワイト姫様は火を扱えません」
そういえばこの世界は、マホウで火を起こすと言っていた。
俺は料理を一時中断すると、厨房の壊れかけた木の壁を剥がして、その破片を釜戸にくべる。
そして火が付いて松明になった木切れを、俺はホワイト姫の手を取って持たせた。
「えっ、氷の魔力持ちの私が持っているのに、この炎は消えない!!」
「こっちの世界はマホウを燃料にして火は燃えるけど、この炎は木を燃料に燃えている。
だからホワイト姫でも火を扱えるんだ。あっ、火傷には気を付けろ」
「ツカサ様、火傷って何ですか?」
そう言いながらホワイト姫は派手に燃える火に手をかざし、そして炎を掴まえようとする。
「姫様っ、火に触れてはいけません!!」
次の瞬間、ホワイト姫の手のひらから薄い氷の膜が現れると、炎を包み込む。
そして火は消えることなく、薄い氷に包まれながら燃える。
「うわぁ、氷の中で炎が燃えている。
しかも氷は冷たいから、火傷する心配もない。
水を自由に出せるし氷で火を包んで持ち運べるなんて、ホワイト姫のマホウは素晴らしい!!」
「役立たずで呪われた私の氷魔法を素晴らしいなんて、ツカサ様、それは本当ですか?」
「本当もなにも、火を氷の膜で包めば火傷や延焼の心配がない。ホワイト姫のマホウは凄いぞ」
俺の言葉に、何故かホワイト姫は瞳を潤ませて、そしてうれしそうに笑った。
氷に包まれた炎を暖炉に運び、暖炉の中で薄い氷を割ると、あっという間に火が点いた。
「やっと暖炉に火が点きました。ああ、何て暖かいのかしら」
「こんなに勢い良く燃える大きな炎は、上位の炎魔法使いでも起こせないでしょう。
それにホワイト姫がいても、異界の炎は消えません」
これまで暗く寒い夜を過ごしていた二人は、火の焚かれた暖炉の前で大騒ぎしている。
「ホワイト姫は、今までどうやって温まっていたんだ?」
「私の体を温めてくれるのは、眩しい太陽の光と人肌の温もりです」
「寒い夜はいつも私・セピアが、ホワイト姫様を温めています」
暖かな暖炉の前に陣取るセピアは、ホワイト姫を温めていると言うより抱き枕状態にしていた。
食事をして暖炉で暖まるホワイト姫も、青白かった頬が微かに赤みを帯びている。
「それじゃあ俺はもう少し料理を作るから、二人はここで休んでくれ。
火の用心は、ホワイト姫の氷魔法があるから大丈夫だな」
今日会ったばかりの見ず知らずの俺がそばにいたら、二人は安心して休めないだろう。
台所に大きな長椅子があるから、俺はそこを寝床にしよう。
***
暖炉に火が入るのは、半年ぶりの事だった。
仮眠から目を覚ましたセピアは明るい暖炉の炎に驚いて、そして自分が異界の扉を開き、悪喰の魔人を召喚したことを思い出した。
「確かにツカサ様は私たちを救ってくれたけど……。
私は世界を滅ぼす力を持つ魔人を召還したはずなのに、魔力を持たない普通の人間を呼び寄せてしまった」
魔法陣の上に現れたのは全く装飾のない黒いコートを羽織り、リュックを背負い手提げ袋を持った男。
服装はくすんだ灰色の毛糸の上着に農奴が穿くズボン(ダメージジーンズ)、そこら辺を歩いている若い男にしか見えない。
顔立ちは少々整っているが、黒髪が少し珍しいくらいで特別ではない。
ただし淀んだ赤い瞳とその奥底にある不気味な気配が、ツカサは自分たちとは違う異形のモノと感じとれた。
すると物思いにふけるセピアの腕の中で小さな体が身じろぎ、そして言葉を発する。
「セピア、あなたは悪喰の魔人の言い伝えを勘違いしているわ」
「ホワイト姫様、起きていたのですか。
でも魔人は禍をもたらし この世界を喰らい尽くすのでしょ?」
「いいえ、魔人は禍をもたらすのではなく、禍を喰らうと、お父様はおっしゃっていました。
今この世界の大きな禍は、増え続ける魔獣。
それと自らの地位を守るため、罪無き人々を滅ぼす……あの勇者王」
厨房の長椅子で寝ているツカサという魔人は、まるで海に沈む落日のような赤い瞳をしている。
「私はツカサ様が、どうやってこの世界の禍を喰らうのか、とても楽しみです」