灰色の髪の神官と犬騎士
「今夜は俺とバイオレットが交代で見張りをしよう。
ホワイト姫の張った結界と焚き火があるから、魔獣は洞窟に近寄らないはずだ」
「ちょっと待ってください、ツカサ殿。
なにか大きな獣が、猛スピードでこちらに向かってきます!!」
それまでヤキトリを腹一杯食ってダラケていたバイオレットが、突然大斧を構えて立ち上がると、漆黒の闇に包まれた荒野の先を睨んだ。
『ハァハァ、ぎゅるぎゅる、ハァハァはぁ、ぐーぐー』
暗闇の向こう側から、荒い息と不気味な音が聞こえてくる。
しかし、ぐーぐーってなんだ?
バイオレットは焚き火を背にして結界の前に仁王立ちして、セピアはホワイト姫の手を引いて岩陰に隠れ、俺も巨大フォークを構えた。
そして焚き火の明かりが届く場所に現れたのは、人間の服を着た巨大な犬?だった。
「バイオレット、あれは魔物か、それとも人間?」
「ツカサ殿、あれは犬人族です。しかし様子がおかしい。
あの姿は神聖騎士なのに、半獣人の本性が出ている」
「それに犬の背中に人が乗って、ああっ、振り落とされた」
背中の人間を振り落とし身軽になった犬人は、猛スピードでこちらに向かい、大斧を構えるバイオレットの手前で高く跳躍した。
「ツカサ殿、武器を構えてください。半獣人が結界の中に入ってきた!!」
「ああっ、ツカサ様危ないっ」
俺は大慌てで向かってきた犬人に巨大フォークの先を向けたが、簡単によけられて……。
『くんくんくん、くんくん、ペロリっ』
犬人はさっきまで焼き鳥を乗せて焼いた巨大フォークの匂いをかぐと、肉の焦げが残っている部分をぺろぺろ舐め始めた。
紺色の立派な制服を着ているけど、うん、これは完全に犬だ。
そして犬人の背中から振り落とされた人物が、全身土にまみれながら続いてやってくる。
「ああっ、恥ずかしい。
いくらお腹が空いているからって、やめてくださいブルー!!」
「えっと、この人たちは旅の途中で行き倒れ寸前って感じだ」
「しかしツカサ殿、灰色の髪の男は勇者教の神官です。
そして犬人族の男は神聖騎士、こんな辺境に神官がいるなんて不自然すぎる」
バイオレットが神官を睨みつけると、顔も土で汚れた神官は申し訳なさそうな声を出した。
「申し訳ありません、旅のお方。
我々は巡礼の旅の途中、この荒野で巨大イセサソリに襲われました。
そこにいる犬人族の騎士はイセサソリの毒針に刺され、私が解毒魔法をほどこしました。
しかしその副作用で、獣の本性が現れたのです」
そして神官が犬騎士に声をかけると、嬉しそうに尻尾を振る。
しかし俺は神官の話を聞いて、とても嫌な予感がした。
「巨大伊勢サソリに襲われたって、どういう事だ?
俺たちは海の方向から来たが、一匹も伊勢サソリを見なかったぞ」
「我々を襲ったイセサソリは、人間と同じくらいの大きさでした。
どうやら大量の餌を食べたイセサソリが変化して、巨大化凶暴化したと思われます」
魔獣が餌で変化するというのは、花魔蜘蛛が進化したのを見たから分かる。
しかしなにも無い荒野で、伊勢サソリが進化するに充分な食料は……一つだけ思い当たることがあった。
俺は声を潜めて、バイオレットに質問する。
「バイオレットは城に戻る前、沢山の伊勢サソリを食べたと言っていたな。
その伊勢サソリは、頭から足まで全部食べたのか?」
「まさか、ツカサ殿。毒を持つイセサソリの尻尾と頭は食べられません。
でも腹部分は海のエビみたいに、とても柔らかくて美味しいです。
自分が捨てた頭と尻尾部分は、他のイセサソリが喰ってましたよ」
これはもしかして俺の予感的中?
バイオレットの喰い残しを共食いした伊勢サソリが、巨大化凶暴化して人間を襲ったのか。
目の前の犬化した騎士と困った様子の神官を見て、俺の額に冷や汗が浮かんだ。
「それはたいへんだぁ、どくさそりにおそわれて、ごくろうしたことでしょう。
旅は道連れ、世は情け。こんやはおれたちのどうくつでやすんでください」
「ツカサ殿、感情のこもらない棒読みでどうしたんですか?」
コラぁ、伊勢サソリが巨大化凶暴化したのはバイオレットのせいだぞ!!
この二人は不幸な被害者だ。
「俺たちは伊勢サソリを捕まえるために、荒野を旅しています。
あなた方を襲った凶暴な伊勢サソリを、このまま放っておけません」
俺は何とかこの場をごまかして、犬騎士と神官を保護する。
後でバイオレットはお説教だ。
***
犬騎士に舐め回された巨大フォークを洗って、再びバケツカマドに乗せ、残りのヤキトリを焼く。
「ううっ、なんだ、この匂いは。
はっ、気がついたら目の前にご馳走が並んでいる。天は我を見放していなかった」
あれから30分ほどで解毒の副作用が収まり、犬騎士は正気に戻った。
「ツカサ様、貴方がこの集団のリーダーですね。
実は彼が半獣人化して四つ足で走ったり物を舐め回した事を、本人には言わないでください。
彼は神聖騎士として生きるために、とても努力してきたのです」
「えっ、俺はただの雇われ料理人で、旅のリーダーはバイオレットさんですよ」
「アタシはリーダーじゃないよ。ツカサ殿に喰わせてもらっている女戦士だ」
旅に出る前の打ち合わせで、俺はバイオレットの従者設定だったが、さっきバイオレットを叱っていたのを神官に見られたのだ。
「ツカサ様のような普通の男が、豪腕族の女戦士を従わせるとは。
しかし言われてみれば、ツカサ様はただ者でないドス黒い気配をまとっています」
平々凡々の俺なのに、この世界に来てから禍々しい眼とかドス黒い気配とか悪喰の魔人とか、やたら不当な評価される。
「ツカサ様にお願いがあります。
我々は水や食料を失ってしまい、このまま旅を続けることは……」
「俺はマホウなんて使えない普通の人間だし、これ以上他人を世話する余力はない。
伊勢サソリの件は俺たちで何とかするから、飯食って夜が明けたら、アンタたちはここから出ていってくれ」
神官が話を言い終える前に、俺はきっぱりと断った。
今の俺はホワイト姫とセピアとバイオレットを喰わせるだけで精一杯なのに、これ以上負担が増えるなんてとんでもない。
「しかしこのままでは、私たちは先の集落にたどり着くことも出来ません」
「アンタたちには持てるだけの食料を渡すから、それで何とかしてくれ」
俺がきっぱり断ると、神官は意を決したように両手を膝の上に置いて座り込んだ。
「それでは私を荒野に置いて、他の者たちだけでもお助けください。
私はここで、皆様の旅の無事を祈りながら、ぐぎゅ〜〜〜う、ぐうぐう」
俺たちがこんなやり取りをしていると、焼けたヤキトリを口に運ぼうとした犬騎士が神官のそばに駆け寄ってきて、隣にどっしりと胡座をかいた。
「まさかサンド様、俺たちのために命がけで嘆願するなんて。
俺もサンド様と同じく、この場に残り、ぐうぐうぐうぐうぐう」
「いきなりハンガーストライキ起こしても、俺は本当にこれ以上他人の世話は出来ないんだ。無理無理っ」
「ぐぎゅ〜〜〜う、ぐうぐう」
「ぐうぐうぐうぐうぐう、ぐぐきゅ〜〜〜ん」
広い荒野に二人の腹の虫の音が響きわたり、俺の良心を攻める。
そのうち正座していた神官は空腹で意識が薄れて体が左右に揺れ始め、犬騎士は本能が押さえきれず髪の毛に隠れていた犬耳がピンと立ってきた。
「ダメだダメだ、本当に俺は今で手一杯なんだ!!」
そしてセピアの後ろに隠れてじっと状況を見守っていたホワイト姫が、俺に駆け寄ると潤んだ瞳で見つめてくる。
「ツカサ様、神官と犬騎士はとてもお腹が空いて、まるであの時の私たちと同じ。
私からもお願いします、ふたりを集落まで連れて行ってください」
ホワイト姫に見つめられた俺は、無意識のうちに額に手を当てる。
バンダナの下に隠している契約の印が、ジクジクと疼き始めた。
「分かったよ、集落までアンタたちの飯の準備をしてやる」
「おお、なんて心の広い御仁、まさに貴方は聖人だ」
「私たちは神に見捨てられていなかったのですね。これで皆、助かります」
「えっ、今皆っていったけど、アンタたち二人じゃないのか!!」
その時、闇夜の向こう側から人の声がひとつふたつ聞こえてきた。
「あそこに神官さまと騎士さまがいるぞ」
「サンドさま、ご無事でしたか」
「食い物もあるぞ、助かったぁ」
そして悪喰の魔人の俺は、ホワイト姫たち三人と行き倒れ寸前の神官一行六人、計十人分の食事を作る羽目になった。




