その日、世界一運が悪くて異世界召喚
バレンタイン前日、2月13日の金曜日。
PiPi、PiPiPi、Pi----------
「うっ、ぐわぁ、二日酔いの頭に響くぅ」
スマホの目覚ましアラームがけたたましく鳴り、俺はうめき声を上げながらベッドを這い出る。
手にしたスマホ画面にはメッセージが表示されていた。
【SNSメッセージ:姉より
愚弟よ、おはよう。
明日のバレンタイン、旦那と息子にプレゼントするチョコケーキを作るように】
【SNSメッセージ:妹より
グットモーニング、お兄ちゃん。
明日部活のメンバーにチョコを配りたいの。ガトーショコラ18人分お願いね】
「この飯マズ姉妹め。バレンタインケーキぐらい俺に頼まないで自分で作れ!!」
メッセージをみた俺は、思わず毒ずく。
俺の名前は高橋司、大学二年の二十歳。
我が家は七年前に両親が交通事故で亡くなり、当時成人したばかりの姉貴が俺と妹を苦労して育ててくれた。
そして現在、姉貴は結婚して一児の母。営業トップセールスを誇る敏腕キャリアウーマン。
高校二年の妹は、成績優秀でバスケ部キャプテンを務めるハイスペック女子。
しかしこの姉妹は天性の飯マズ女で、標準以上に料理を作れる俺が家の台所を仕切っていた。
姉を見捨てると三歳甥っ子に被害が及び、妹のチームメイトが集団飯マズテロに巻き込まれる。
そもそも俺はバレンタインに無縁、というか一週間前彼女に振られたばかりだ。
「高橋君、今までありがとう。やっぱり私たち、普通のお友達でいましょう」
その時は彼女の意思を尊重して悲しみを堪え別れたが、昨日お節介の友人に「あの女はバイト先の店長と二股だった」と教えられた。
その話を聞いた俺はヤケ酒に走り、現在二日酔いの真っ最中。
「うぐっ、脳味噌が、かき回されるように痛い。水飲んで、ぐわぁあぁ!!」
足元がおぼつかない俺は、タンスの角に足の小指をぶつけ、激痛で思わずスマホを手放した。
ピシッ
ガラスの割れる嫌な音が聞こえ、床に落ちたスマホの液晶に小さなヒビが入る。
「嘘だろ、なんて運の悪い、そう言えば今日は13日の金曜日だ」
そう呟いて床に倒れた俺は、体力気力絶不調。
昼過ぎになってやっと動ける状態になり、外に出ようと玄関で靴を履くと、ブチリッと音を立てて靴紐が切れた。
それでも気を取り直して近所のショッピングセンターに出かけ、注文した調理器具を受け取り、バレンタインケーキ作りの材料を買う。
「彼女に振られた俺が、バレンタインケーキを作らなくちゃいけないなんて、空しすぎる」
しかしそこでも俺の不運は続き、支払いの時財布の中の小銭をぶちまけ、自販機下に転がった500円玉を拾い損ねた。
「もしかして今の俺は、世界で一番運の悪い人間かもしれない。
次は転んだら、買った卵を全部割る未来しか見えないぞ。
くそぉ、こうなったら意地でも卵は潰さない」
俺は怪しい独り言を呟きながら、家へと続く急な地獄坂を上り、中間地点のマンホールの蓋の上で立ち止まって一息付いた。
ペリッ、ペリペリっ
その時何故かビニールの手提げ袋に穴が開いて、レモンが1個飛び出し、坂道を転がり落ちてゆく。
「おいアンタぁ、落ちてくるぞぉ!!」
「すみません、今すぐ拾います」
「きゃあ、早く逃げてぇ!! トラックが、落ちてくる」
女の悲鳴と、金属の擦れる音が坂の上から聞こえた。
そして鉄骨を積んだ無人トラックが、猛スピードで坂を下るのが見える。
さすが13日の金曜日、潰れるのは卵じゃなくて俺だったのか。
俺は逃げる時間すらなく、目の前に大型トラックが迫っていた。
「姉貴と妹よ、手作りは諦めて市販のチョコケーキで我慢してくれ。
それと元カノ、バイト先の店長は四股だぞ。ざまぁっw」
一秒にも満たない時間の中で、俺、高橋司の人生が走馬燈のように駆けめぐる。
その瞬間……。
足下のマンホールに不思議な赤い文様が浮き上がり、突然マンホールの底が抜けた。
「ぎゃあーーーーぁ!!
トラックに潰されると思ったらマンホールに転落死なんて、13日の金曜の呪い、どんだけ強烈なんだ」
マンホールの穴に落ちた俺は、卵が割れないように買い物袋を両手でかかえた体制で落下する。
まるで地球の裏側に落ちてゆくような、長い滞空時間。
そして突然周囲の様子が一変し、俺は生臭い血の香りと埃っぽい空気が立ちこめる、薄暗い倉庫のような場所に立っていた。
***
外は荒れ狂う嵐。
ハロイ大陸の東の果てに位置する断崖絶壁の岬に、その廃城は建つ。
壊れた調度品が大広間の床に転がり、部屋の中央には粗末な祭壇が据えられていた。
その祭壇の前に立つのは、喪服を思わせる黒のドレスに白いエプロンを着た栗色の髪の娘。
娘の頭に生えた羊のような角は片方が途中から折れて、目の前の祭壇に折れた角と、一房の金色の髪の束が捧げられていた。
「もうすぐ食料が底を尽きて、私たちはここで餓え死ぬだろう。
ああ、私のお仕えする御当主や姫様を、汚れた異端と呼んだ勇者王が憎い」
この地を支配する勇者王から異端の烙印を押され、彼女の仕える一族は殆どが滅ぼされた。
この城に籠城して戦った一族の当主も、暗殺者の刃に倒れる。
一族の当主は息絶える瞬間、持てる魔力のすべてを使い、城の周囲に強靱な結界を張った。
そして最後に残された自分と当主の一人娘だが、彼女たちは生きる術を持たない。
「こうなれば私の命を贄として、異界より大いなる禍を呼び寄せる。
そして勇者王と、付き従う人間どもに復讐する!!」
そう叫んだ娘は、右手に持った細いナイフで自らの腕を傷つけた。
聖なる血を持つ彼女の手が、床に描かれた奇妙な文様の魔法陣に触れると、得体の知れない巨大な禍々しい気配が、魔法陣の底から沸き起こる。
「伝承では、天上には清らかな神人の国、そして地底には邪な魔人の国があるという。
私は異界の扉は開き、こちらの世界に悪喰の魔人を呼び寄せる。
この世界を喰らい尽くし、我が一族の恨みを晴らそう!!」