栄光を継ぐ者達
ファンタジー。人間と魔性の生きる世界。伝承風?シリアス。
密やかに継がれゆく、それは一人の少女の願い…………。
この世界には、神と呼ばれる存在はいない。人間達が神を崇めていようと、この世界を創った神はいないのである。彼の神は、この世界を創り上げて後、新たなる世界を創る為に世界を離れた。自らの代理人として、世界の守護者たる時の番人を残して。
ここに、彼の時の番人がいる。姿形は人間と全く同じでありながら、全ての時間軸から逸れた存在である彼には、老いも死も存在しない。二十代半ば頃の青年の外見のまま、永遠に世界を見守り続ける事が彼の役目だった。
けれど、いかな彼とて、あまりに永い時間には飽いてしまった。彼はふと思い立ち、人間のフリをして賢者であると名乗り、人間の世界へと降り立った。特に何をするでなく世界を放浪するのは随分と楽しく、そして彼はその旅の終わり近くで一人の少女と出会った。
少女の名は、フィアランディア・ナスカ。旅から旅を続ける傭兵一族に生まれた、生粋の剣士である。幼い少女の外見を持ちながら、卓越した腕前と大人顔負けの頭脳を持っていた彼女は、一つの願いを持っていたのだった。
「フィア。」
「あら、いたの賢者。どうかした?」
「傭兵家業を辞めると聞いたが?」
「えぇ。やめるわ。だって、やりたい事があるんだもの。」
「やりたい事?」
目の前で楽しそうに笑うフィアランディアの笑顔を見て、時の番人は目を細めた。これほどまでに無邪気に微笑む彼女の願いは、いったい何なのだろうか。叶うならば助力をしてやりたいと思って、彼は先を促した。
緩く靡く黄金色の髪を一つに結わえ直しながら、フィアランディアはにっこりと微笑んだ。澄み切った空のような蒼い双眸に、番人はひどく心が洗われるのを感じる。彼自身の容貌は、闇に溶け込みそうな漆黒の髪と、深すぎる緑の双眸である。濃紺を基調としたローブを纏いフードを目深に被っている所為で、その顔をはっきりと見る者は少ない。彼は意図してそうしていたのだが。
「ねぇ、賢者。この世界には人と魔性とが混在しているでしょう?」
「あぁ。それがどうかしたのか?」
「人間は魔性に怯え、魔性は人間を警戒している。けれど、解り合えないと誰が決めたのだと思う?」
「…………フィア?」
「私は、この地に、人と魔性とが共存できる場所を創るつもり。私一人ではできないだろうけど、絶対に、いつか必ず成し遂げてみせるわ。」
にこやかに笑いながら、諦める事を知らない双眸で彼女は語る。その強さに、番人は惹かれていた。人間という者の強さ、脆さ、そしてその存在理由。その全てを兼ね備えたフィアランディアに、彼はこの世界の未来を見いだしていたのかもしれない。
彼女の語る夢は、あまりにも遠い。彼女の代で叶うわけがないだろう事が、番人にも解っていた。そしておそらく、彼女自身にも。それでも一歩を踏み出さねば始まらないと、フィアランディアは知っていたのだ。だから彼女は、誰に何と言われようとも、未来への一歩を記そうとしている。
不意に、番人はフィアランディアに手を伸ばした。少女は不思議そうに彼を見やる。笑みを浮かべたままで、彼は自らの思った事を彼女に告げた。そうする事が自分にできる最大の祝福だと、彼は知っていたのだ。
「フィア、賢者である身は、人よりも永く生きる。お前の願いが叶うように、受け継がれていく願いを見届ける役目を、私が担おう。」
「……構わないの?」
「あぁ。お前の願いは尊い。だが、お前一人の力では叶うまい。だからこそ私が、見届けてやろう。」
「ありがとう、賢者。でも、そうすると目印がいるわよね…………。」
うーんと唸るフィアランディアの姿に、番人は目を細めた。彼には解っていた。彼が人間世界に降りていられる限界が、近いのだ。もうこれ以上はフィアランディアの側で彼女の力になる事はできない。彼が次にこの世界に降りてこられるのは、何世紀も先の事だろう。
だからこそ、彼はフィアランディアを呼ぶ。幼い容貌を残した、気高き少女。彼女の願いがどこまでも直向きであるからこそ、彼はここまで入れ込んだ。神が創り上げた人間達が、ここまで素晴らしいモノだとは、思いもしなかったのだ。
「この名を、受け継いでいくといい。『ホド』という名だ。私はその名を頼りに、お前の子孫を捜していこう。」
「……ホド?」
「そうだ。」
「じゃあ、今日から私は、フィアランディア・ホド・ナスカというわけね?」
「そうなるな。」
「ありがとう、賢者。」
彼女は微笑んだ。その微笑みが、番人には嬉しかった。いつの日か、本当に、彼女の願いが叶う日が来て欲しいと、そう願う。たとえそれが、目の前の彼女の死後の事であったとしても。
「もう行くの?」
「え?」
「貴方は嘘がつけないのよ。私にそんな事を言うなんて、もう去っていくからでしょう?」
「……あぁ、すまない。」
「どうして謝るのよ。貴方のお陰で随分と楽をさせて貰えたわ、ありがとう。最後に我が儘を言わせて貰えるなら、名前を教えて貰えないかしら?」
「…………名前……。」
彼には、そんなモノは存在しなかった。彼は時の番人であり、世界の守護者であった。ただ、それだけの存在であった彼を呼ぶモノはなく、彼は名前など必要ないと思っていた。ずっと、そうだと思っていたのだ。
そして彼は、少女に告げる。不意に脳裏に浮かんだその言葉を、自らの名前として。それを聞いてフィアランディアは、嬉しそうに笑った。さようならと告げる彼女の声を耳に残して、番人は踵を返した。二度と彼女に会う事はないと、知りながら。
それから十数年。フィアランディアはかつての仲間であった青年と結婚し、彼との間に一人の男の子をもうけた。魔性と人とが共存できる場所を作り続ける為に日々を過ごす彼女の姿を、番人は世界の外側から眺めていた。
そして、その日が訪れる。
魔性に組みする者として、フィアランディアとその夫は、その世界の宗教者達の手によって捕らえられた。どれほどの拷問を加えられても、彼女達は自らの信念を捨てなかった。それは彼女達の強さであったが、この場合、それは彼女達の死を意味する以外の何物でもなかった。
番人は、目線をそらさずに見ていた。十字架に貼り付けられ、足下から焼かれていくフィアランディアとその伴侶。それでもその瞳が強さを失う事はなく、彼女は信じて続けていた。自分の想いを継いでくれる者がいる事も、いつかそれが叶う世界がくるという事も。火に焼かれ、その生命が尽きる時まで、フィアランディアは、フィアランディアそのものだった。
フィアランディアとその伴侶の死によって、全ては終わったかのように思えた。けれど番人は知っていた。彼女の血を継ぐ者が、彼女から名を継いだ者が、まだ生きているのだという事を。フィアランディアの息子は、生きていた。
いずれ自分達が処罰されるだろう事を、フィアランディアは予測していた。だからこそ、罪もない息子に咎が及ばぬように、彼等は友人に息子を託していた。旅から旅を続ける傭兵である男は、快く彼等の息子を引き取り、自らの息子として男で一つで育て上げていた。
赤子が幼児になり、幼児が少年になり、傭兵は息子として育てた少年に全てを告げる。お前は自分の息子ではなく、友人夫妻の息子であるという事。そして少年の両親が、人と魔性の共存を望んで、宗教者達に火炙りにされて殺されたという事。
それらを聞いて、少年は涙を流した。今の今まで自らを息子として育ててくれた男に対する感謝と、自分を護る為にあえて友人に預ける道を選んだ両親に対する感謝と。そして、強い志を抱いていた両親を殺した者達に対する怒りと。少年の涙はひどく純粋な思いで生まれ、そして彼は誓った。親の志を、自ら継ごうと。
少年の名は、クロフォード・ホド・ロートルト。父親の姓を受け継ぎ、母親からホドの名を受け継ぎ、養父から名を与えられた少年。彼はやがて吟遊詩人となり、志半ばで死んでいった両親の事を、サーガとした。旅を続けながら竪琴を奏で、誰にも屈する事なく失われた人達の志を語り続けた。
そんな彼が青年になった頃、一人の踊り子と出会った。孤児であった少女は母親の面影を求めて踊り子になり、旅をしていたのだと笑った。親の顔を知らないという点においては、彼と何ら変わらない。そんな思いから、彼らは惹かれ合い、共に旅を続けながら愛を育み続けた。
緩やかな旅は、突然終焉を迎える。魔性に組みする唄を歌う在任として、彼らもまた罪人とされた。生まれたばかりの娘を踊り子の生まれ育った孤児院に預け、二人は逃げも隠れもせずに旅を続け、捕らえられた。
何を恐れるのかと昂然と顔を上げ、彼等は最後の時まで唄を歌い、踊り続けた。その思いが人々の心に何かを残した事は確かだったが、彼等の死は免れなかった。二人の最後の願いを聞いたのは、かつてから魔性と共存できるのではないかと考え続けていた、一人の青年司祭だった。夫妻は娘に彼等の手紙を渡してくれるように願い、司祭はそれを受け入れた。
処刑の数日後、長い旅を続けてようやっと孤児院にたどり着いた司祭は、母親の美貌と父親の聡明さを受け継いだ娘に出会う。クロフォードの娘は、彼からホドの名を受け継いでいた。その事実を重くとらえる者はいなかったが、齢十になっていた娘は父親からの手紙を粛然として受け取った。
娘の名は、アリエノール・ホド・ロートルト。孤児院で心優しい働き手として育った彼女は、旅の学者と恋に落ちた。その青年学者と結ばれた彼女は、旅から旅を続ける夫を待ちながら、孤児院で子供達に語って聞かせた。
かつて彼女が寝物語に聞いたサーガを。人と魔性の共存を願って生き続けた人の話を。時折身振り手振りを交えて語る彼女の周りには、いつも子供達があふれていた。子ども達は魔性を恐れる事はなく、彼女の話に耳を傾け続けた。
平穏が、続くはずだった。けれどそれを見ていた番人は、小さくため息をついた。遠く離れた地で、彼女の夫は死んでいた。学者故の知的好奇心を抑えきれずに各地を回っていた青年は、戦に巻き込まれて死んでしまったのだ。もれなく彼女の元にも知らせがいくだろう。彼女の悲しみを思うと、番人はそっと目を伏せざるを得なかった。
悲しみに明け暮れたアリエノールは病に倒れ、まだ若い身のままで死んでしまった。まだ乳飲み子にも等しい息子を一人残して、彼女はこの世を去ってしまった。最後まで、息子を気遣いながら、院長や多くの孤児達に囲まれた静かな死だった。
アリエノールの息子は、エリオット・ホド・ベルガーという名前を持っていた。けれど彼は、まもなく地方貴族のタイタニア家に引き取られる。母親の美貌を受け継ぎ、父親の頭脳を受け継いだ子供は、貴族の嫡男として着々と成長していった。
エリオット・ホド・タイタニアと呼ばれるようになった子供は、自らが孤児である事をしっかりと覚えていた。孤児仲間達が語って聞かせた母親の伝えたサーガを、彼は養父母にも語っていた。それを聞いても不快感を露わにせず、養父母は優しく彼を見つめてくれた。
番人は、ようやくその時が来たのかと思った。彼女、フィアランディア・ホド・ナスカの願いが叶う時。それが可能になる時代が来たのかもしれないと、彼は思う。そう思いながら、彼はエリオットを見つめ続けていた。少年が青年になり、貴族の当主の座を継いでいく課程を。
エリオットは、付近の貴族達と協定を結び、人と魔性が共存できる場所を作ろうと動き始めた。右腕となる親友と、彼の思想に共感した多くの同年代の貴族達。反発する親世代を振り払うだけの強さを持って、彼等は理想に向けて走り出した。
その途中でエリオットは親友の妹を娶り、彼には一人の娘が生まれた。幸先がいいように思えたその矢先、人と魔性が共存する共和国を設立しようとしたその矢先、エリオットは病に倒れ、帰らぬ人となった。
けれど、希望は費えなかった。全ての人々が彼の死と同時に諦めた時、立ち上がった者がいた。エリオットが残した、彼の志を継ぐ者。エリオットの親友であった伯父と共に父親の志を継いだのは、まだ十代の少女だった。そしてその少女は、ヒトと魔性が共存する共和国の、初代国王となった。
その時、番人は人間の世界に再び足を踏み入れた。賢者と名乗り、共和国へと足を運ぶ。ホドの名を継ぐ娘が長となった、人と魔性が共存する共和国。誰もが願ったささやかな平穏が存在する彼の共和国へ。
「貴方が旅の賢者殿ですか?」
番人の前に現れた少女は、美しかった。緩く靡く黄金色の髪に、深く明るく澄み切った蒼の双眸。かつて番人が心奪われた少女を体現したかのような、けれど彼女と全く違う存在である少女は、番人を見て微笑んだ。
豪奢な王の衣装を纏いながら、彼女から感じるのはひどく穏やかなモノだった。安らぎを与えてくれるような、優しく暖かい、母の腕の中を思わせる何かだった。何処までも強く逞しく誇り高かった彼女とは、違う。けれど、何かが似ていた。
「私はこの共和国の長、フィアランディア・ホド・ナスカと申します。
「…………ナ、スカ?」
「はい。旧姓はタイタニアと申します。先日結婚しましたから。」
ニッコリと笑ったフィアランディア。その笑顔は、番人が見知っていた少女と良く似ていた。彼女の傍ら、伯父である右腕以外の若い青年に番人が気付いた。クロフォード・ホド・ロートルトという名であった青年に良く似た、穏やかな眼差しの青年が。
受け継がれていくのだと、彼は思った。全てはこうして、回っていく。彼女の願った未来がこうして訪れたように。望んで叶わぬ願いはないのだと、番人は思う。
「お名前を聞いても宜しいでしょうか?」
「…………我が名は、セフィロト。」
「素敵なお名前ですわね。どうぞ、ごゆっくりお過ごし下さいな。」
「……フィア、ランディア、殿。」
「はい?」
「ホドの名を、どうか、受け継いで下さい。その名がある限り、この国は滅びません。人の輪を逸れた賢者の言葉と思い、どうかお聞き下さい。」
「この名は、捨てられませんわ。父から授かった、大切な名前ですから。」
「…………ありがとう、ございます。」
不覚にも涙が滲み、番人は俯いた。かつて彼は、フィアランディアという名の少女に、セフィロトと名乗った。彼女が自分をそう呼ぶから、彼は以後自分の名前をセフィロトにした。名前など持っていなかった彼が、彼女から与えられた大切な宝だった。
その名は、全ての始まりの樹の名。世界の全ての始まりに存在した彼の樹の名。何時しか忘れ去られた、力の名。
そしてホドとは、彼の樹の内側に眠りし、栄光の名。
FIN