小市民的幸福の在り方
現代。ドタバタ家族ギャグ?コント?
多くを望むわけではなく、たわいない平穏を望みましょう。家族皆が共に過ごせるような、そんな生活を。誰一人欠けることなく、笑って食卓を囲めるような。ささやかな生活を幸福として、生きましょう。
何故ならば、それが小市民の幸福なのですから。
ここはとある一家の朝の食卓でございます。その風景を、少しばかり覗いてみましょうか?別段何か変わった事があるわけではない、当たり前な食卓です。白いご飯に焼き魚、ジャガイモとタマネギの味噌汁に、浅漬け。そんな些細で、けれどよく見かけるような食事が並んでおります。
「親父さん、醤油取って。」
「……年頃の少女が言う言葉ではないだろうに……。」
「ほらよ、醤油。」
「サンキュ、兄貴。」
「いやいや、気にするでないぞ、妹よ。そのかわり俺に塩をくれ。」
「はいよ。」
食卓を囲んでいるのは、大黒柱である壮年の父親に、一家を陰から支える穏やかな微笑みを浮かべる母親。同じように食卓に着いているのが、高校生の長男と、中学に入ったばかりの長女である。兄は運動部に所属しているのか、すらりとした長身に、陽に灼けたそれなりに引き締まった身体付きをしております。妹の方はといえば、派手さはないにせよ化粧やアクセサリーを着けて、可愛らしく飾り立てております。
家族一緒に朝食の食卓を囲める。それはこの上ない幸福でございます。通学通勤時間の関係上、家族が共に食卓を囲めないのが普通でございます。それを考えれば、この一家は幸福といえるのではないでしょうか?
「親父さん、今晩帰り遅いの?」
「いや、別に遅くはないが、何だ?」
「今日はあたしが腕を振るって夕飯を作る予定。
母さんが婦人会の集まりにいっちゃっていないから。」
「…………母上よ、俺は今日は友人とファミレスなどで夕飯を食べに行ってこようかと……。」
「どういう意味よ、兄貴!」
「お前の料理の腕前を、俺はよく知っている。卵焼きを焦がし、うどんを焚けばぶくぶくにし、お粥に至ってはかちかちになる!」
「悪かったわね!!」
ばんっと机を叩く妹を見て、兄は方を竦めております。ごく平凡な、微笑ましい兄妹の遣り取りでございます。こういった、ささやかな会話を交わせる兄妹が絶えて久しい今日を思えば、内容が少々物悲しくなる事を差し引いても、素晴らしい事なのではないでしょうか?少なくとも、父親と母親は嬉しそうに微笑んでおります。
兄妹仲が良いというのは、素晴らしい事です。喧々囂々と口げんかを繰り広げていようと、兄に突っかかる妹がいたとしましても、やはり幸福なのです。こういう当たり前な生活を幸福と呼ぶのでございます。
「カレーなんだから、馬鹿でも出来るわよ!」
「…………焦げるぞ。」
「なんて事言うのよ!」
「解った。解ったとも。母上様よ、俺は一つ提案しよう。」
「あら何かしら、お兄ちゃん?」
「中学生時代に料理部で培った俺の腕前を、披露しよう。妹を支え、ごく普通のカレーが食卓に並ぶように、努力しよう。」
「………………兄貴。」
「助けてやろうと言っているだけだ、信じろ。」
「良いわよ、どうせあたしは料理音痴よ。」
ふて腐れた妹を見て、兄は困ったように笑いました。誰にでも苦手なものはあるだろうと、兄は妹を励ましております。優しい兄なようです。妹の機嫌を損ねたと悟ったらしい兄は、宥めるように言葉をかけています。そんな二人を見て、父親は苦笑しています。
さて、どうでしょうか、皆様?このような、非常に平凡な遣り取りこそが、幸福だと思われませんか?彼等の、そんな日常の、一風景です。それが幸福なのでございますよ。
小市民の求めるべき幸福は、こういうものなのです。
FIN