009
トルトの一閃を浴びたクラフティの体が、一瞬、まばゆい光で覆われた。剣は、間違いなくクラフティを斬り裂いたはずだったが、血しぶきのたぐいは出ない。
場が、静寂に包まれる。いや、凍った、と表現した方が近いかもしれない。時が止まったかと錯覚するほど、静かになった。一瞬のことではあったが、その一瞬が、嫌に長く感じられた。
「……あぁ……」
始めに音を発したのは、クラフティだ。情けないうめき声をあげると、口から泡をふきながら、力なくその場に倒れ伏した。その身は、全く傷ついていない。
「……ふぅ」
クラフティが気絶したことを確認すると、トルトは緊張を解いた。トルトの剣は、光によって、殺傷能力を一時的に失ったのだと思われる。トルトは本気で斬ったが、できれば殺さずに終わらせたい、と考えていた。そう念じたとき、トルトはなんらかの力が働くのを感じたのだ。どういう仕組みかは分からないが、クラフティが傷つかずに気絶した理由は、間違いなくあの光だ、とトルトは妙な確信を持っていた。
――傷つけぬか。それもまた、よし。
声がそう告げたかと思うと、トルトの剣を覆っていた光が、パッ、と霧散して消えた。元の平凡な――とはいえ職人手製の良質な物だが――剣へと戻ったそれを、トルトは持ち上げてしげしげと眺めた。やかましいお告げだったな、と内心つぶやき、トルトは剣を鞘へ収めた。
「……ひとまず、お疲れ様です」
ウィスが、声をかけてきた。振り返ってみると、なんとも言えないような、微妙な表情をしている。
「おう、遅かったな。あんたの活躍所は全部俺がもってった」
トルトがニヤリとしてみせると、ウィスはばつが悪そうに頭を掻いた。
「いや、申し訳ない。今度からは、私の分も取っておいてもらえると助かります」
最初のトルトのため息を合図に、周囲も行動を開始していたようだ。いつの間にか、ものものしい格好の神官たちが、ほらあなの中へはいってきていた。
「おかげで長年悩まされてきた大悪党を捕らえることができた。礼を言おう」
ひとりがトルトにそう声をかけ、もうひとりが会釈をする。
「あぁ、いや、俺は別に」
と、トルトが慌ててなにか言おうとするころには、彼らは気絶しているクラフティをひきずり、広い場所を確保してから、縛り上げていた。神官たちは、エルトゥネを大事そうに抱えているワッリの指示に、従っている。一方的に礼だけされたな、と苦笑しつつ、トルトは壁に寄りかかり、腕を組んでその様子を眺めた。ウィスもそれにならい、トルトの隣で壁に背を預ける。
「しっかし、よくここが分かったな」
トルトがたずねると、ウィスは作業中の神官を示した。
「そこのコムバ様が、先導してくれましたので」
「先導?」
「あなたがいなくなったあとに、コムバ様が現れたのですよ。クラフティが逃げていったことを知ると、すぐさま追いかけていき、この場所を確認して戻ってきて、その足で道案内をしてくれたのです」
なるほど、とうなずきかけて、トルトは引っかかりを覚えた。なぜウィスが、誘拐犯がクラフティであったことを知っているのか。
そのことについて質問すると、ウィスは、それはですね、と教えてくれた。
「あのクラフティを追って町から出てきた男性、いたでしょう? 彼が、あいつはクラフティに違いない、と断言したのですよ。特徴を聞いたコムバ様も、太鼓判を押していました」
私が遅れたのは神官様に応援を求めたからでもありますね、とウィスは付け加えた。
「ふぅーん……」
トルトが鷹揚にうなずいていると、今度はウィスのほうから質問してきた。
「トルト、なにやら剣が光っていましたが、あれは? 光の神々しさから、加護かなにかだとは思うのですが」
「あぁ、そのことか。えぇーっと……」
トルトは、言葉に詰まった。なんと切り出してよいものか。詳しく説明しないと、状況を理解してもらえないとは思うが、こんなところで長話をする気にはとてもなれない。
「一言で言うと、神のお告げ、ってやつだ」
トルトが極めて簡潔に答えると、クラフティを抱えている神官たちを連れ、エルトゥネを背負ったワッリが、こちらへ歩いてきた。
「お前さんらのおかげで、命拾いしたわ」
ワッリはそう言って、頭を下げた。
「お、おい、よしてくれって」
トルトは慌てて、顔を上げてくれるよう頼んだ。ワッリが渋っている隙に、ウィスがコムバ様と呼んでいた神官が、話しかけてきた。
「トルト殿だな? 神官見習いの」
「あぁ、そうだぜ」
自分では名乗っていないが、恐らくワッリが教えたのだろうな、と推測できる。
「神官のコムバと申す。ワッリ様は私の父だ」
「あんたが?」
トルトは驚いた。そういえば、確かワッリは長男に神官業を次がせたと言っていたはずだ。なるほど、ワッリの指示に従う立場になるのも納得できる。ワッリはいまだ影響力を持っている、ということだろう。
「此度は世話になったな。ワッリ様も、あなたがいなければ危うかったと聞く。感謝する」
コムバは、軽く頭を下げる。
「クラフティ盗賊団壊滅には、あなたが大きく貢献したということを町の住民に公開しよう。おそらく報酬も出るはずだから、神殿から呼び出されるまで町に滞在していてほしい」
トルトがなにか返事をする前に、コムバは矢次早に言葉を重ねると、では、とだけ言って踵を返し、もうひとりの神官と共にさっさとほらあなの外へ出ていってしまった。あまりにも一方的で性急だったので、トルトは唖然としてそれを見送った。
「で、お前さん。加護、使えるのか?」
神官たちが出ていったのを確認したワッリが、目をするどくしてたずねてくる。
「あんたも聞いてくるか……」
つぶやき、トルトは頬を掻いた。ウィスに対して、長々と説明していたら悲惨だった。二度手間になるところだったのだから。我ながら賢明な判断をしたな、とトルトは内心で、自分を賞賛した。
「まぁ、立ち話もなんだからさ。一度、町に戻って腰を落ち着けないか? ここで何があったかウィスに説明もしたいし、そうなると長くなるだろ」
トルトの提案を、ふたりは、そういうことなら、と聞き入れてくれた。一行は、外へ出た。
夕日が、世界を赤く染め上げていた。ここから町まで戻るとなるとどう考えても暗くなりそうだが、ウィスが松明を手にしていた。ほらあなの中が暗くなっているので、拝借してきたのだろう。明かりの心配はないということだ。神官たちは、既に立ち去ったあとで、姿は見えなかった。
道すがら、ワッリがウィスに、ほらあな内での出来事の、簡単な流れを説明していた。その説明を聞く限り、やはりワッリにとっても、エルトゥネの魔術の行使は、予想外のことだったようだ。ウィスが興味を示したのも、それと、トルトのはなった加護のような光についてであった。
町の明かりが、見えてきた。あたりはすっかり暗くなってしまったが、まだ夕食をとる余裕はあるだろう。家々の窓からも明かりが漏れているので、そこまで遅い時間ではないはずだ。
「とりあえず、宿屋に行こうぜ。俺ぁ疲れたよ……」
トルトが愚痴をこぼしつつ、一行は町へと足を踏み入れる。すると、その姿を見た町の住民が、パッと目を輝かせた。
「英雄だ! クラフティ盗賊団をやっつけた英雄の帰還だぁっ!!」
ひとりが、そう叫ぶ。よく見れば、クラフティを追いかける際にトルトとすれ違った男性だ。叫びに呼応するかのように、あたりは、ワァァッ、という歓声で包まれ、トルトたちのもとに人が殺到した。
「……はぁっ!? おま、ちょ、待っ――」
トルトの必死の求めもむなしく、一行は人の波に飲み込まれてしまった。
「はぁー……マジでなんなんだ、ありゃあ……」
ぼやきながら、トルトは卓へと突っ伏した。あれというのは、町の住民のことだ。トルト達が町に入るなり、あちらこちらから大歓声が上がった。その様子に戸惑っていたら、あれよあれよというまに人混みに飲み込まれていたのである。誰もかれもが口々に、ありがとう、ありがとう、と言っていたので、悪意ある行動ではないことは確かだが、クラフティと激戦を繰り広げたあとのトルトにとっては、かなりきつかった。背負っているエルトゥネを気遣ったワッリが一喝していなければ、宿屋まで逃げ込めたか分からない。
そう、トルトたちは住民の包囲網を突破し、宿屋に駆け込んだのだ。宿の中でもお祭り騒ぎだったが、トルトの様子を見て察してくれた主人が、宿の個室をタダで三つ貸切にしてくれた上に、人払いまでやってくれたのである。おかげでトルトは今、与えられた部屋で一息つくことができていた。
「いやぁ、ひどい目にあいましたね……」
元々体力が多くないウィスも、くたびれた様子で椅子の背もたれに寄りかかっていた。
「まったくだぜ。あんな中外へでるじいさんも大変だ」
さすがのワッリも、エルトゥネのことで気を張っていたためか、疲れをみせていた。が、当事者として事情を説明してくると言って、神殿の方へでかけていった。エルトゥネは、与えられた別の個室の方に寝かされていた。かなりの騒ぎに巻き込まれていたが、まだ意識は戻らないらしい。
「帰りは遅くなりそうじゃからな。わしは、明日聞くことにするわい。とりあえず、今は、加護が使えるか否かだけ教えてくれんか」
でかける前に、ワッリはそう質問してきた。トルトの答えは、
「否」
である。実際、あれから何度か念じてみようとしたが、加護の光など影も形もない。
「そうか」
ワッリはそれだけ言うと、部屋をあとにした。
「……トルト。そろそろ、教えてもらえませんか」
ふたりとも疲れでしばらく動かず、先に切り出したのはウィスだった。あー、と間延びした返事をしつつ、トルトは卓から身を起こした。
「さっきも言ったとおり、神のお告げだよ。ほら、ダンゲロ山登る前にも言っただろ。あれ」
投げやりにトルトが言うと、ウィスは怪訝そうな顔をした。
「神のお告げって、前も思いましたが、またうさんくさい話ですね。いまどき、神の声を聞けるなんて言いだす人は嘘つきだと評判になるものですが」
「そもそも儀式がまだなのに加護の力を使ったって時点で、怪しさ満点だろ。なんて言ったら信じてくれるんだ」
トルトの言葉に、思うところはあったようだ。ウィスは、渋々黙り込んだ。
「お告げ、とは言ったけど、やかましかったぜ。ああしろこうしろってうるせぇんだ。おかげで助かったようなもんだし、文句は言えないけどよ。ま、そんだけだ」
トルトがそう言うと、ウィスはなにか気になるようで、顎に手をやって考え込み始めた。
「……もしかすると、そのお告げとやらが、竜伝説につながるかもしれない……」
しばらくしてからぶつぶつとつぶやいたウィスは、顔をあげてトルトの方へ向き直った。
「その、お告げの内容。もう少し詳しくお願いできますか? ダンゲロ山へ向かう道中の件も含めて」
「んぁ? あー……」
トルトは熱心に興味をもたれるとは思っていなかったため、ぽりぽりと頬を掻きながら言うべきか一瞬迷った。
「ま、いいか。信じる信じないはあんたに任せるぜ」
トルトはそう前置き、話すことにした。
「まず始め。盗賊団と戦う前に血が上りそうになったら、えーっと、『感情で動いてはならぬ』だったかな、って言われたんだ。こんときは、声に面食らって逆に冷静さを取り戻せた、ってだけだった」
「口調からして尊大ですね」
「そうだな。次、クラフティと戦ってるとき、隙をつかれてあいつに斬られる! って思ったら、『諦めるでない』って声がして、気づいたら加護の光で俺の体が覆われてた。クラフティの剣を弾いたし、守りに使ってたな」
「神のお告げらしき声とともに、守りの働きを持った加護らしき光の発動……」
そこでウィスが考え込み始めてしまったので、トルトは待った、と手で制した。
「まだあるぜ。そのあと、嬢ちゃんの魔術でクラフティの剣が焼けて、いよいよ追い詰めた、でも俺の体はボロボロで動けねぇ、ってときに……あー……そうだ、『今こそ好機。汝に、我が力を一時的に授けよう』って聞こえたな。そしたら俺の体が光に包まれて、傷が治ったかと思ったら今度は剣が光をまとった」
「我が力を一時的にって、すごいそれっぽい台詞ですね」
ウィスは再び考え込むと、なにか思い当たったのか、顔を上げた。
「ワッリさんが加護の力を使った、という線は?」
そう考えるよな、と思いつつ、トルトは首を振った。
「残念だが、そりゃないな。加護の光が出るときは毎回俺の体の内に力を感じたし、大体爺さんがあんだけ驚いてんだぜ。驚く理由もあるし、あれで実は爺さんがやってた、はまずないだろ」
「うぅむ、確かに」
トルトの意見に納得したのか、ウィスはまた黙り込んでしまった。
「まだだ、最後。光の剣でクラフティを斬ったあと、『傷つけぬか。それもまた、よし』って声がしたのと同時に、剣がまとってた光が霧散するように消えた。これ以降はさっぱりだな」
「そういえば、クラフティには傷一つついていませんでしたね」
そう、それなんだよ、とトルトは身を乗り出した。
「俺は、まぁ、殺すのは負けた気がするな、って思いつつも、容赦なく剣を振ったんだ。でも、剣があいつの体に触れたかと思うと、ピカーッとあいつの体が光っただろ。あれ、剣振り切ったんだが、手ごたえなんてなにもなかったぜ。実際クラフティの体は傷つけられてなかったってのに、あいつはなんでか気絶した。そこが分からねぇんだよな」
トルトの言葉に、ウィスは真剣そうな面持ちでしばらく思案していた。
「……これは、あなたの話を全面的に信じた上での、ひとつの仮説ですが」
口の割には信じられないという顔つきだったが、ともかくウィスは話し始めた。
「声は『一時的に力を貸す』と言っていたのですよね。その力が、相手を傷つけるも救うも思いのまま、という性質を持っていて、トルトの正直な思いに呼応し、クラフティを傷つけずに気絶させる、という風に力が作用したのではないでしょうか。理屈は全く分かりませんが、その後の『傷つけぬか』という文言から、そう推測することができます」
ウィスの説明を聞いたトルトは、腑に落ちる思いがした。なにか、しっくりくる、というか。よく分からないが、正しく収まった、という感じを受けたのだ。
「あー、そんな気がする。あぁ、そうだな、多分そんなんだろ」
「また曖昧ですね」
どうしてもふわふわした言い回しをしてしまうトルトに、ウィスの率直な感想は痛い。
「その曖昧さが、私の好奇心をくすぐるのですがね」
ウィスは、小さく付け加えた。褒められているのかけなされているのか分からず、トルトは複雑な思いになった。