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007

 翌日。トルトはねぼけたまま、伸びをするつもりで半身だけ起こそうとし、頭を天井、つまり屋根の裏側にぶつけた。

「いっ、つつ……」

 予期せぬ痛みに、思わずうめき声が漏れるとともに目が覚めた。そういえば昨夜は屋根裏部屋に泊まったんだった、と、ぶつけたところを片手でさすりつつ、トルトは心の中でつぶやく。その物音で目覚めたらしいウィスも、同じようなことをやって顔をしかめていた。

 お互いに苦笑しつつ、ふたりは荷物をまとめて屋根裏部屋から下りた。すぐにでも出立するつもりで、荷物ごとである。

 ワッリはすでに起きており、かまどと向き合っていた。

「おぉ、おはよう。もう朝食ができるところだから、少し待っておれ」

 ふたりに気づき、振り向いてニコリと笑顔を見せたワッリは、かまどの方に視線を戻した。おいしそうな香りが、ほのかに感じられる。昨晩食べた肉の香り焼と、似たようなものだ。

 ワッリが手渡してきたのは、肉を薬草で包み、火を通すだけという単純なものだった。草で包んであるので、片手で持って、歩きながら食べられるという。ワッリもすでに荷物をまとめていたので、コウ町に帰る準備は整ったということだ。

 トルト、ウィスの中にワッリが加わった三人は、日が昇りきらないうちから小屋をあとにした。

 ワッリが手渡してくれた肉の薬草包みは、粉状にしてまぶしてあるだけだった香り焼より薬草の主張が激しいものの、口にできないような味のものではなく、むしろ中の肉汁を吸い、その味が染み込んでいて、一般的な薬草とは思えないほど、食べやすくなっていた。

 薬草は、人の体にとって有益だが、そのまま口に入れるとあまりの不味さに卒倒しかける、というものが多いとされている。もちろん例外もあるが、薬草全てがそうだと思っていたトルトは衝撃だった。

 さて、山から町までの道中だが、ワッリの身体能力は、事前に目の当たりにした崖登りからも分かるとおり、老人といえど一般人のそれを超えており、トルトやウィスにも軽々とついてこれるほどで、ひそかに危惧していたような遅れは生じなかった。むしろ、このあたりの地理に明るいワッリの先導によって、行きのときよりも順調に進めたと言ってよいだろう。

 小屋を出てから、三日目。日が西にかたむき始めたころ、一行はコウ町のすぐ近くまで来た。

「十日ほどしか経っていないはずだが、少しばかりなつかしさを感じるのう」

 と、ワッリが目を細めていたとき。コウ町を囲っている簡素な石垣から、不意に何者かが飛び出してきた。暗い外套で身を包み、頭部を覆い隠している。顔は見えない。どうも、脇に女の子を抱えているようだ。

 石垣を飛び越え、町の外に身を躍らせたそいつは、周囲を気にもとめず、さっと向きを変えて走り去っていく。その、向きを変えた刹那、抱えられている女の子の顔が見え、トルトは目を丸くした。あれは、エルトゥネではないか?

「……っ!」

 何者かが去っていくのに、追いすがるようにしてワッリが走り出した。尋常ではない反応と気迫だ。おそらく、ワッリもエルトゥネの顔を見たのだろう。

「おい、待てよじいさん!」

 トルトがあわてて呼び止めようとするが、ワッリが立ち止まる気配はない。それどころか、トルトたちがいたことを忘れているのか、さらに速度をあげて、ひとりで追いかけていくつもりのようだ。

「くそっ!」

 あのままでワッリとエルトゥネになにかあったらことだ。いくら身体能力が常人並ではないとはいえ、得体の知れない誘拐犯を老人ひとりに任せるのは心配だ。トルトは、ふたりを追うように駆け出した。謎の人物を追っていたらしき男がちょうど町から出てきたところだったが、トルトはそちらには目もくれなかった。

「ちょっと、トルトまでどうしたんです!? 待って――」

 ウィスの驚いた声が聞こえたが、トルトは構わず走った。あとには、困り果てた顔のウィスと男が取り残された。





 誘拐犯は思いのほか速く、はじめはふたりとも視界にとらえていたトルトだったが、みるみる引き離されてしまって、誘拐犯の方は見えなくなってしまった。必然、すでに小さくなっているワッリの背だけが頼りになる。そのワッリも、距離的には見失ってもおかしくないほど長く走っていたが、心当たりがあるのか、その足に迷いは見えない。なんの手がかりもないトルトは、ワッリを信じて、必死に追いかけるしかなかった。

 そのワッリが、不意に姿を消した。遠く離れて見えなくなった、という消え方ではなく、ふっ、と、どこかへ入り込んだかのように消えたのだ。トルトは、ほらあなか、とあてをつけ、ともかくワッリが先ほどまでいた地点へと急いだ。日は、西へ大きくかたむいていた。

 そこは、小さな丘のようになっており、横合いに予想通りの空洞が口をあけていた。中はそんなに深くないらしく、明かりがわずかに漏れており、口論がなされているようだ。ふたつ聞こえてくる声の、片方はワッリのもので、もう片方は男のものだった。恐らく誘拐犯だろう。

「――ぬぅっ!」

 トルトがほらあなの中に入ろうとしたとき、ワッリのうめき声が聞こえてきた。トルトは血相を変えた。

「じいさん、大丈夫か!」

 トルトは、剣を引き抜いて、ほらあなの中へ踊り込んだ。

 たいまつが地面に転がっており、ものを見るのに不自由はない。トルトが見たのは、まさにワッリに向かって剣を振った誘拐犯と、それを加護の光による防壁で防いだワッリ、そしてワッリの背後に隠れるようにしているエルトゥネであった。

「てめぇ、じいさんから離れやがれ!」

 トルトは、迷わず誘拐犯へ斬りかかる。それを横目で見た誘拐犯は、さっと飛び退ってトルトの一撃をかわした。剣をかわされてもあわてず、トルトはワッリの前へ出て、誘拐犯とにらみ合う格好になった。

「し、神官さま!」

 ワッリの後ろで恐ろしげに震えていたエルトゥネが、トルトを見て声をあげた。

「待ってろ、すぐ片付けてやる」

 トルトは振り向かずにそれだけ言った。背中に小さく、はい、という声が聞こえてきた。

 向かい合ってみると、それまで観察する暇がなかった誘拐犯の特徴がよく分かった。体格は、細めながらしっかりしているので男のようだ。ウィスと似ているな、と言えた。顔は相変わらずよく見えない。が、剣の構えは素人のそれではない。それひとつとっても、この男がただものではない、ということが伝わってくる。また、男の片刃の剣に、トルトはわずかに見覚えがあった。

「てめぇ、どこかで……」

 トルトがぽつりとつぶやくと同時に、男はクックック、と、肩を震わせて笑った。

「貴様は……。なんという偶然。この私に、ふたつの仕返しの機会を、同時に授けてくれるというか、神は」

 外套で覆われた隙間から、ギラリと男の目が光る。

「仕返し? なんの話か知らねぇが、じいさんも嬢ちゃんもやらせねぇよ。なにをしでかそうとしたか、打ち負かしてからたっぷり聞いてやるぜ!」

 トルトは、男に向かってぐっ、と踏み込んだ。剣を両手で下に構え、左へと切り上げる。男はトルトに対し、真上から剣を振り下ろした。ふたりの剣があわさり、キィン、という甲高い金属音をかなでて、お互いに弾かれた。

 そこから、お互い一歩も譲らぬ打ち合いが始まった。トルトが右から左へ薙ごうとすれば、男は左側で剣を振り下ろしてはたき落とそうとする。男が喉元を突こうとすれば、トルトは首元で剣を立て、切っ先をそらそうとする。剣と剣とが、際限なく交じり合う。

 何度も斬り合っているうちに、トルトは引っかかるものを感じた。この剣筋、一度受けたことがあるような。

 しかし、少しも気をとられている余裕はない。トルトが過去の出来事を思い返そうと意識を向けると、それだけで劣勢になり、防戦一方を強いられるのだ。一度それで崩されかけ、トルトは思い出すことを諦めて戦いに集中した。

「ククク……クハハッ」

 不意に、男が笑った。激しい剣戟のためか、男の顔を隠していた外套は背中へと押しのけられ、素顔がそのまま晒されている。狂喜に歪んでいるような、笑い方である。

「なにがおかしいっ!」

 叫びながらトルトが渾身の力を込めて剣を振り下ろすと、男は飛び退って距離を取った。相変わらず、楽しくてたまらないという風に、肩で笑っている。

「おかしいとも。私が恨みを抱いているうちの片方はマトモに戦うこともできず、もう片方はどうやら真実に気づいていないらしい。滑稽ではないか」

 男は、口元を不気味に歪めながら言った。

「なに……?」

 トルトが訝しげに眉をひそめると、男はとうとう高らかに笑い出した。

「クハハハハハッ! これだけ言って、まだ察しがつかないか! 痛快だな!」

 男はそう言うと、剣の切っ先をまずエルトゥネに向けた。

「そこの小娘の親には、一時期散々世話になった。あの忌々しいふたりがいただけで、こちらは商売上がったりになったものだ。ゆえにその大切そうな娘を無残に斬り殺し、やつらの家に晒してくれる」

 男の宣言を聞き、エルトゥネは震え上がったようだ。が、男がすぐに不快そうな表情をしたところから察するに、エルトゥネは、男をキッ、とにらみつけたのだろう。最大限の勇気を、振り絞って。

「チッ、忌々しい顔だ。その反抗的な態度も、すぐに崩してくれる」

 男は吐き捨てるようにそう言うと、今度は切っ先をトルトへ向けた。

「……二度も私の狩りを邪魔するとはな、神の奴隷風情が」

「なんだと……!」

 神の奴隷、とは神官に対する最大限の侮辱のひとつだ。所詮操り人形に過ぎない、と言われたに等しい。それだけでも、トルトは烈火のごとく怒りそうになった。

「村で青年をかばったのは貴様だろう。もう少しで恐怖に歪む死に顔を拝めたというのに、貴様が割って入ったせいでそれはかなわなかった。よく覚えているとも」

 男の言葉に、はっとした。こいつは、トルトが村に泊まっていた際に襲ってきた盗賊団の、首領格。トルトが世話になった村の若者を斬り、そのまま殺そうとしていた。あいつではないのか。

「……てめぇ、まさか……!」

 トルトがにらみつけると、男はおかしそうに口を歪めた。

「ようやく気づいたか。そうだ、貴様が世話になっていた村を襲い、村人どもを殺した盗賊団。その頭にして、村一番のつわものを後一歩のところまで追い詰めたのはこの私、クラフティよ」

 男――クラフティの双眸が、不気味に光る。強烈な殺気が、クラフティから放たれた。

「……こいつぁ、やべぇな……!」

 クラフティの殺気は、尋常ではなかった。思わず後ずさりそうになったほどだ。だが、トルトとてひるんでいるわけにはいかない。トルトが恐れで背を向ければ、クラフティは間違いなくその無防備な背を斬るだろうし、そうしたら次はワッリとエルトゥネがその凶刃に晒される。クラフティと直接の関係はなく、後ろめたいことなどなにもない少女が虐殺されるなど、あってはならないのだ。

 殺しについては、とやかくは言えない。現に、トルトは今、クラフティを殺すつもりで戦おうとしている。だが、殺しには、それ相応の理由が伴われるべきだ。なぜなら、殺しとは人の命が失われる行為であり、悲しいことだからだ。理由もなく、悲しいことをしていいはずがない。ましてや、そこに楽しみを見出すなど、言語道断である。クラフティの態度は、明らかに殺戮を楽しんでいるものだった。

 それだけで、トルトが怒るには充分だった。

「クラフティ……てめぇは、俺がぶっつぶす! 覚悟しやがれっ!」

 トルトは、吼えた。深く一歩を踏み込み、力強く、全力で突っ込む。

 右上に剣を構え、袈裟斬り。かわされると見るや、即座に剣を取って返し、右に薙ぐ。飛び退られる。大きく踏み込みながら、左への斬り上げ。金属と金属がぶつかる、甲高い音が鳴り響く。

「ハハハッ! 随分と熱くなっているじゃないか! 親の仇でもないだろうに!」

 クラフティは、あざ笑うかのような声をあげた。

「なんだと……!」

 発言の真意が汲み取れず、トルトは言葉を返す。斬撃を、乗せてだ。

「確かに私は村人を殺した。それ以外にも多くの愚か者をこの手にかけたとも」

 力のこもった剣を、クラフティに軽く体を傾けるだけでかわされる。

「だがっ!」

 掛け声とともに左足で踏み込んだかと思うと、トルトの腹に、滑り込むような握り拳がとんできた。

「うぐっ……!」

 止められず、トルトの体が宙に浮く。衝撃で後ろへ下がり、距離があいた。

「だが、それがどうした! 貴様にとってその有象無象は親しき者でもなんでもあるまい!」

 腹を抱え、なおしっかりと立ってにらみつけるトルトだったが、クラフティは言葉を浴びせてくる。

「……てめぇが外道だからだ。ただ自らの喜びのために人を殺すなど、外道の極み。それを、誰がゆるせるものかよ。俺は正義の鉄槌を、てめぇに下してやる!」

 問いに、トルトは答えた。それを聞いたクラフティは、肩を揺らしながら笑った。

「私が外道? 笑わせる。では、私が殺した村人が外道であったら?」

「なにをでたらめな――」

「断言できるのか?」

 突拍子もない言葉にトルトがあきれかけたとき、クラフティはトルトの声をさえぎった。

「貴様は、村人のことを知るまい。その貴様が、なぜ村人は無実であったと証明できる? できるはずがないだろう!」

 クラフティの言っていることは、正論だといえる。

「貴様の怒りも所詮、個人的な感情に過ぎない。大儀などどこにもないではないか。その程度で正義を語ろうとはなぁ?」

 クラフティは、トルトの短気をあざ笑うかのように顔を歪めた。己の信念をばかにされ、トルトはこめかみに青筋をたてた。

「そうだ。貴様が去ったのち、あの青年はきっちり殺してやったぞ。泣き喚き、無様に命乞いをしていた、愉快な最期だったよ」

 この言葉のでたらめさ、明らかな嘘に、普段ならば気づけただろう。だがこのとき、トルトの頭は冷静ではなかった。むしろ、トルトの中で、なにかが弾けた。

「……クラフティィィィィィッ!!」

 怒りが、頂点へと達してしまったのである。両手で剣を握り、大きく踏み込んで、力強く跳び上がる。ありったけの力を込めて、トルトは真上から剣を振り下ろした。

 だが、トルトの渾身の一撃は、クラフティにあっさりとかわされた。

「なっ――」

 トルトは、無防備な側面を、クラフティへと晒している。勢いがついていて、体勢を立て直すのは難しそうだ。その隙を、クラフティが見逃すはずもない。

「ふっ……青すぎたな、若造」

 クラフティが、余裕を持って、剣を高く掲げた。振り下ろされるのは、時間の問題だろう。

「……死ねっ!」

 叫びと共に、刃が迫る。ダメだ。避けられない。抗いがたい恐怖に、トルトは思わず目をつむり、縮こまった。

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