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006

 崖を登った先の道は、先ほど見た通りなだらかなものだった。疲労困憊で足が鈍っているウィスでも、進むこと自体にはあまり苦労していない。トルトとウィスのふたりは、歩きながら携帯用のパンを食べていた。

「これから神官になろうという人が歩き食いとは、なんとみっともない」

 先を行きながらワッリが嘆く。それを聞いたトルトは、むっとした。

「うるせぇ。誰のせいでこんなことしてると思ってるんだ」

 ふたりがこんなことをしているのも理由がある。昼食をとるべく休憩しようとしたところをテリグに襲われ、撃退したと思ったら現れたワッリに先をうながされ、食事をとる暇がなくなってしまったのだ。

「そうですよ……少しくらい、意見を聞いてくれてもいいじゃないですか」

 ウィスがすかさず口をはさむ。さすがに体力が足りずにひどい目にあったからか、ワッリに恨めしい視線を向けている。礼儀作法などすっかり忘れた、という顔だ。

「はっはっは。それならそうと言えばよいではないか」

 なんでもないふうに言いつつ、ワッリは笑い飛ばした。

「あんたが有無を言わさず崖登るもんだから、言う暇なかったっつーの!」

 ワッリの態度を見たトルトは、手を振り回しながら憤慨した。

 と、こんな調子でふざけながらでも、一行は順調に進んだ。ワッリの小屋に着いたときも、日はまだ沈んでいなかった。

「さぁ、着いたぞ。中に入りなさい。椅子があるから、そこに座って待っておれ」

 ワッリにうながされ、ふたりは小屋の中に入った。

 小屋の中は、こじんまりとしていた。真ん中には、大きめの卓ひとつと椅子が四つ。椅子の数が多いのは、訪問者が複数人いても問題ないように、という配慮だろう。入り口の反対側の隅には、かまどや棚、寝具など、生活に必須のものが詰められるように並んでいる。入り口の脇にははしごが立てかけてあり、そこから屋根裏部屋に上れるようになっているらしい。いずれの物も、使い古され、年季が入っている。ただでさえ狭い小屋は、多くの物があるおかげで、なおさら窮屈な気分にさせられた。

 荷物をガタガタとぶつけないように注意しつつ、ふたりは椅子に腰を下ろした。背負っていた荷物の置き場所に困っていると、

「おぉ、そういえば荷物をどうすべきか言ってなかったな。ほれ、貸しなさい」

 と言いながら、ワッリがふたり分の荷物をまとめて担ぎ上げ、軽々とはしごを上っていった。ワッリの担いでいる荷物が、淡く光っているようにも見えた。

「んなとこで加護使うなよ……」

 トルトはあきれてため息をついた。当然ワッリに気づかれないように小声だったが、やはりワッリは聞きつけていた。

「生活の知恵と言ってもらおうかの」

 ワッリは、顔をニヤリとさせながら降りてきた。地獄耳かよ、とトルトはさらにあきれた。

「さて、とりあえず茶でもどうだ? このあたりで採れる薬草の中に、煎じて飲むとうまいやつがあるんじゃ」

 ワッリはそう言うと、卓の上に円筒形の杯を三人分用意し、そこに暗く濁った緑色をした薬湯をそそぐ。そうして自分も席につくと、さっさと杯を軽く傾けた。

「あぁ……うまい」

 薬草と聞いて初めは訝しげな顔をしていたふたりだったが、ワッリの様子を見て顔を見合わせると、おそるおそる薬湯に口をつけた。

「……うま」

 予想していた苦々しいものとは違い、わずかに甘みがある。しつこくない感じで、あとに残らないすっきりした味だ。

「えぇ、おいしいですね。このような薬湯は飲んだことがない」

 ウィスも驚いているようだ。ふたりの様子を見て、喜んでもらえてなにより、とワッリはほほえんだ。

「そういや、嬢ちゃんが薬屋がどうの、って言ってたな」

 トルトが聞くと、ワッリは、いかにも、と答えた。

「わしは、今ではコウ町で薬屋をやっておる。品物は全て自前じゃよ」

 つまり、薬師ということか。なるほど、薬師であるなら薬草に詳しいのも、うまい薬湯を作れるのも納得だ。いや、うまい薬湯は少々特殊かもしれない。

「んで、その薬屋のじいさんが、なんだってダンゲロ山に?」

 薬師であることは納得したが、それがダンゲロ山に来る理由にはつながらない。わざわざ危険をおかしてまで、というのが、引っかかった。

「わしは認定官だと言ったじゃろう? 首都から手紙が来たんじゃよ。ひとり、ダンゲロ山で試練を受けることになっとる者がいるとな。わざわざここまで来たのは、認定官としての役目を果たすためじゃ。残してきたエルトゥネが心残りだったがの」

 ワッリは、それで思い出した、とつけ加えると、立ち上がって棚のあたりでごそごそしだした。戻ってくると、トルトの前に小さな円形の記章を差し出してきた。

「おい、これって」

 トルトが目を見開くと、ワッリはうなずいた。

「うむ、認定記章じゃ。帰るまでなくすでないぞ」

 認定記章。加護継承に足ると判断した認定官が、継承者に授ける証である。持ち運びを重視し、このような小さい物になっている。

 首都から指示を受けた認定官は、条件を満たした継承者に、首都からの手紙に同封されている認定記章を渡す。それを受け取った継承者は、最終的に試練を達成した証としてそれを地元の神殿に差し出し、神殿は首都に返還する。簡潔な仕組みで、記章自体にはなにも力がないが、神官を目指しているトルトにとっては、手に入れなければ始まらない物であった。

「ってことは、俺ぁ合格なんだな!?」

 トルトは、半ば興奮気味にワッリにたずねた。そうだ、と苦笑しながらワッリが答えると、トルトは手放しで喜んだ。

「いよっしゃあ! これで認定記章全部そろったぜ!」

 内心、小躍りしたいほどであった。このような狭い小屋でそんなことをすれば、大惨事なのは目に見えているが。なにしろ、加護の力を手に入れることは、トルトの夢でもあった。その夢が、もう少しで実現するのだ。あとはディヴィンまで無事帰り、神殿に記章を捧げるだけである。

 トルトがいそいそと認定記章をしまおうとしていたとき、ふとウィスの顔が目に入った。怪訝そうな顔をしている。

「……ウィス?」

 トルトが不思議に思って問うと、ウィスは、いえ、と一旦はかぶりを振ったが、しばらく難しい顔をしてから、ワッリに向かって言った。

「やけにあっさり認めますね」

 それを聞いて、急になにを、とトルトは一瞬思った。が、ウィスの言うことももっともだと思い直し、トルトもワッリに視線を向ける。

「いやなに、お前さんらの戦いぶりは、崖の上でしかと見ておった。特にトルト、お前さんの動きはすごかったな。テリグの攻撃をあれほどいなしつづけ、かつ反撃の手まで出せる者はそうそうおらん。そもそも、テリグを下したというだけで充分すぎるほど強さは分かるわい」

 ワッリは、特に焦る様子もなく説明した。

「それだけ? なんかもっとこう、死霊者をぶっとばせ、とか言われるもんだと思ってたんだが」

 トルトが思ったことを口にすると、ワッリはそりゃ無理じゃ、と多少怒った風になった。

「死霊者など、あろうことか神官が軽々しく利用するわけにはいかん。それに、継承者を認めるか否かは、認定官の裁量にゆだねられているのでな。わしの判断は、例え首都の高位の神官と言えどくつがえせんよ」

 ワッリの言葉を聞いていたウィスは、眉をひそめた。

「……もしかして、ワッリさんは意外といい加減なのでは」

 ワッリはそれには答えず、ただ豪快に笑った。

 




 外を見ると、日はすでに沈んでおり、闇の世界が広がっていた。トルトたちが歩いてきた道も、もはや見えはしない。

 ワッリの、今日は泊まっていけ、という好意に甘え、ふたりはのんびりしていた。ワッリを探すという依頼も、トルトの加護継承試練も、どちらも達成したので、もうダンゲロ山でやらなければならないことはないのだ。今夜の分の食事も、ワッリが用意してくれた。

 薬草を香料として用いた、肉の香り焼であった。肉の臭みが薬草でかき消され、食べやすく仕上がっていた。トルトのみならず、ウィスもおいしそうに頬張っていた。現在は、食事も終わったところである。

「薬師の料理ってのぁ、すげぇなぁ。じいさん、料理人目指せるだろ」

 トルトは頭の後ろで手を組み、背もたれに寄りかかっていた。そのくつろぎぶりを見て、ウィスは眉をひそめた。

「あなたねぇ……一応、他人様の家ですよ」

 指摘するのを聞いたワッリが、また豪快に笑った。

「気にするな。遠慮なくくつろいでもらってかまわんよ」

「ほら、家主もこう言ってるしいいだろ別に」

 トルトは体勢を変えず、どうだ、と言わんばかりの顔をしている。その様子にウィスは、やれやれ、と首を振った。

「ところで、ワッリさん。ひとつ、お尋ねしたいことが」

 ウィスは表情を戻し、ワッリの方を向いた。

「なんじゃ、改まって」

「さきほどあなたは、コウ町に住んでいる、と言われた。ですが、この小屋は一時的に使えるならよいという構造ではなく、本格的に暮らせる作りに見えますし、実際使い込まれている。これはどういうことなのかな、と思いまして」

 するとワッリは、ふむ、と考え込み始めた。

 ウィスの質問を、トルトは驚愕の思いで聞いていた。よくもまぁそんなところまで気づけるな、というのが正直な感想である。しかし、言われてみれば、確かにおかしいというのは分かる。それに、首都から連絡が来る度に山登りをしていた、というわけでもないだろう。いずれにせよ、トルトは黙って話を聞いていることにした。

「そうさな。少し長くなるが、昔話をしてやろう」

 しばらくあごに手をやっていたワッリは、閉じていた目を開いて、まずこう言った。

「わしは昔、コウ町の神官じゃった。その縁でな、上の息子に跡を継がせて自分は隠居、のつもりじゃったときに、ダンゲロ山の認定官としての役目を継いでほしい、と前任の者に頼まれたのじゃよ。最初は断ったが、首都からの通達もあって、やむなく引き受けることにした」

 ワッリの語り口は、ゆったりと、かつはっきりとしたものだった。聞き取りやすいようにという配慮が感じられる。

「それで、わしはダンゲロ山で暮らすために、前任から譲り受けた山頂の小屋を利用した。わしが使いやすいように多少の手入れはしたが、元がよかったのでな。数年の間は、そこで暮らしておった。薬師としての技術や知識も、この頃に一気に身につけたものよ」

 ワッリの話を、ふたりはただ黙って、じっと聞いていた。口をはさむ必要も、余裕もないと思ったからだ。

「ところでな、わしが認定官になる直前に、下の息子が家出しておった。ソルディというのじゃが、この放蕩息子、数年も連絡をよこさんで、あるときひょっこり帰ってきおった。わしら親族をはじめ、町の者はみな驚いておったよ。ソルディのやつ、フラという女を連れてきおった。それも、魔術師じゃ」

 トルトの目が、大きく見開かれた。魔術師、と、思わず声が漏れる。それに、ワッリはうなずいた。

「聞けば、ソルディは傭兵をしていて、仕事仲間としてフラに出会ったという。みな、狂気の沙汰だと思っておったよ。神官の家の者が、あろうことか魔術師と関わりを持つなど、とな。じゃが、当のソルディとフラは本気だったようじゃな。ふたりを正式に町の住民として受け入れるか否か、揉めに揉めていたのじゃが、ふたりが町に戻ってきてまもなく、子どもが生まれた。女の子じゃった」

 ワッリは、ここまで我が子に対して口では批判的だが、顔は昔を懐かしむような風になっている。

「それで、ふたりがひとところに落ち着いていないと娘がかわいそうだ、という意見が出てな。神官どもが追い出しづらくなって黙り込んでいるあいだに、ふたりは一軒の家を借り、そのまま当たり前のように暮らし始めておったよ。いよいよ追い出すわけにもいかなくなり、神殿側もしぶしぶ、ふたりとその娘を町の住民として認めた。それから数年、ふたりはあちこちと気ままにいなくなることなく、娘の面倒を見ながら、町の住民の力となっていた。幸せそうじゃったよ」

 ワッリの顔も、優しさで溢れたものとなっていた。

「そうそう、ふたりとも凄腕じゃったぞ。ソルディはその怪力で何者も寄せ付けぬし、フラの魔術はかなり高等なもので、住民を困らせた者は容赦なく塵となった。ふたりが町にいたあいだは、平和そのものじゃった」

 ここで、不意にワッリの眉が下げられた。

「じゃがな。平和なときも、長くは続かなんだ。十年前、ふたりは突然どこかへ行ってしまった。家に書置きを残してな。書置きには、昔の依頼人からの仕事でどうしても断れなかった、すぐに戻る、とあった。みな、初めは信じていた。あれほど強いのだから、きっとすぐ帰ってくる、と」

 ワッリの晴れない表情を見て、トルトもウィスも、その先を聞かずとも、ある程度察しはついた。

「が、ふたりとも戻ってこんかった。しかも悪いことに、ふたりの家が火事になった。町のみなが、もしかして戻ってこないんじゃないか、と思い始めた矢先の出来事じゃったよ。娘の世話をしていた者は、黙って逃げ出そうとして大火傷を負った。家もかなり燃えて、ボロボロじゃった。が、娘はなんともなく、ぐっすり眠っておった。みな、不気味に思ったよ」

 それを聞いて、ウィスは訝しげな顔をした。口を開きかけるのが見えたので、トルトは黙って、ウィスを肘で小突いた。恐らく、ここで疑問を口にしても、なにも意味はないだろう。火事の原因が分かるならワッリが説明してくれるだろうし、それがないなら、今でも分かっていないということだ。話の腰を折るのは、得策ではない。

 ウィスはむっとした視線をトルトに向けていたが、トルトは気にしなかった。

「ここで問題が起きた。娘の面倒を、今後誰が見るのか。恐らく親は帰ってこない。神官と魔術師の子という、数奇な生まれの娘を、引き取ろうとする者はおらなんだ。初めに世話をしていたものは火事で重傷を負い、生活の余裕がないという。他に有志の者はおらんので、自然と候補は親族にしぼられた。が、わしの上の息子は、やはり余裕がないと言って断った。子どもが三人もいるので、面倒を見切れないといってな」

 ワッリは娘の名前を、ずっと伏せていた。が、トルトは、もしかして、という思いが浮かび始めた。ウィスの今の表情は、読めない。もっと早くに、感付いていたのかもしれない。

「すると、もはや残るはダンゲロ山で暮らすわしひとりよ。わずか三歳でしかない娘っ子を、放っておくわけにもいかない。わしが引き取るしか、なくなった。わしは長い付き合いとなりつつあった小屋に別れを告げ、コウ町に下りて、娘を養うために薬屋を始めた。引き取った娘こそ、エルトゥネじゃ。わしがこのような小屋を持ちながらコウ町に住んでいるのは、こういう経緯があってのことよ」

 ワッリの話は、そこで終わった。

 トルトは、やはり、という思いだった。ワッリの話を受けると、あのエルトゥネという少女は、神官の家の父と魔術師の母を持ち、その両親は物心つくかつかないかごろに行方不明となり、おまけに火事に巻き込まれた、という過酷な過去を背負っていることになる。

 エルトゥネは、トルトたちが出発する直前、妙な顔をしていた。それも、こういう過去があってのことなのだろうか。トルトは深く思案していたが、考えても仕方ないと、この場は割り切ることにした。

「それでは、コウ町に戻ってからは、認定官としての仕事はどうされていたのです? やはり毎回山登りを?」

 ウィスの問いに、ワッリは、まさか、と苦笑した。

「そんなことはせぬよ。それに、あまりエルをひとりにさせたくなかったのでな。ここ十年は、依頼は全て断っておったよ。今回ばかりは、さすがに無理だったがの。いい加減働け、ということじゃろう」

 ワッリはなんでもないように笑っていた。が、トルトはふと、あることに気づいた。

「ちょっ、待ってくれ。それ、じいさんがいなくなって嬢ちゃんが心配することになった理由、半分くらい俺じゃねぇのか……?」

 肩を落としながらトルトが言うと、ワッリは吹き出した。

「お前さんが気にすることはあるまいて。元々、継承者は自由に試練を受けられるわけではなく、神官家から後援を受け、首都からお達しが来るまで待たねばならぬしな。お前さんの意志は、関係なかろう」

「お、おう……」

 トルトは、神妙にうなずく他なかった。

「さて、今日はもう遅い。ふたりとも、もう寝なさい。客用の寝床が屋根裏にあるゆえ、その梯子を上っていかれよ」

 ワッリは立ち上がり、大きく伸びをした。続いてあくびをかみ殺すさまを見て、トルトとウィスは顔を見合わせた。

「んじゃ、お言葉に甘えて。おやすみ、じいさん」

「ワッリさん、おやすみなさい」

 ふたりはそれぞれワッリに声をかけ、はしごを上った。

「おぉ、おやすみ」

 というワッリの声を背に受けつつ、高さがない屋根裏部屋へ滑り込むようにあがった。いつの間にか用意されていた寝床におのおの入りこみ、かなり近い天井を目にしながら、ふたりは寝静まった。

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