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004

 コウ町の周囲には広大な草原が広がっており、それはダンゲロ山への通り道となる町の南部も例外ではない。

 岩肌が露出していることが遠目でもはっきりと分かり、訪れる者を拒絶しているかのような威圧感を放っているダンゲロ山は、瑞々しい緑の絨毯の中にあって、いっそうそのけわしさを際立たせていた。

 薬屋の少女エルトゥネと出会った翌日、トルトたちは事前に準備を整え、朝早くにコウ町を発った。雲ひとつない、見渡す限りの青空である。しかし、トルトの表情はそれほど晴れやかではない。

 出発の直前、エルトゥネが見送りに来ていた。トルトはそのときのことで、ひとつ気がかりがあったのだ。宿屋の主人がくれたパンを片手に、ずっと考えていた。

「あの、神官様……」

 トルトの意識は、コウ町を出る前にまでさかのぼっていた。エルトゥネが、眉をおとし、うつむきがちに言っている。

「だから神官じゃ……まぁいいや。じいさんが心配か?」

 トルトは、何気ない調子で問う。このときは、焦りや不安といったものはなかった。

「えっ、あ、その」

「なぁに、心配すんな。俺がちゃんと連れて帰ってきてやっからよ」

 なぜか口ごもったエルトゥネをとにかく安心させようと、トルトは笑顔を作ってみせた。

「……はい。わたし、待ってますから」

 エルトゥネの口元が笑った。ただ、眉はおとされたままであった。トルトが引っかかりを覚えたのは、このときだ。

 その場では、じゃあ、と言って町の外に歩き出したものの、違和感はぬぐえなかった。歩けば歩くほど、それは大きくなっていった。

 トルトの意識は、現在にまで追いついた。このあたりは、腕試しにと訪れる者たちによって特定の場所が何度も踏み固められ、それが道のようになっているので、考え事をしながらでも問題なく歩ける。

 あれは、単に心配していた、というだけではなさそうだ。そこまでは、予想できる。しかし、トルトは普段、こういう考えごとは面倒だとしてやらない種の人だ。人間観察などもってのほかである。そのため、エルトゥネの憂いの表情の真意は、結局分からない。

「……トルト、どうしましたか?」

 ひとりでうんうん唸りながら歩いていたら、ウィスに心配されてしまったようだ。我ながららしくねぇな、とトルトは苦笑した。

「いや、すまん。ちょっと考えごとをな」

「おや、あなたそういうこともするんですね」

「結論は出そうにないがね。やっぱ俺には無理だ」

 トルトは引っかかったものを吹き飛ばすかのように笑ってみせた。ウィスは、せっかく見直そうと思ったのに、とため息をついた。

「しっかし、やっぱ学者がそんな立派な剣持ってるって不思議だなぁ」

 トルトは気を取り直して、ウィスが腰に差している長剣をしげしげと眺めた。無駄な装飾はないが、しっかりとした作りであることは剣のつばを見ても分かる。鞘も、上質な皮で作られているようだ。職人の弟子たちが大量に作り上げた安物などではなく、都市の職人が直々に鍛え上げたもののように見える。実際、神殿側の援助で手に入れたトルトの愛剣と、遜色のない出来ではなかろうか。

「学者が武装するのは悪いですか?」

「いや、そういうわけじゃねぇけど。あんた、んな重いもん、本当に振り回せるのか?」

 トルトの疑念の多くはそこにあった。鋼の塊である剣を自在に扱うには、相応の筋力が要求される。身長のせいもあってスラリとした体型に見えるウィスの体に、この剣を振り回せるだけの力があるとは、トルトにはどうしても思えないのだった。そのウィスが、上物に見える剣を所持しているというのは、なおのこと不思議であった。華美な装飾が施された権威を感じさせるものならまだしも、彼のそれはきわめて実戦的なものだ。

「振れますとも。なんならここで試してみますか」

「いや、いい。あんたがやれるって言ってんだ、あとの楽しみにとっとくよ」

 おもむろに剣を引き抜こうとしたウィスを見て、トルトは慌ててとめた。一応、人探しのためにダンゲロ山へ向かっているのだ。道草を食っている場合ではないだろう。

 それに、とトルトは思った。剣を引き抜こうという、今の何気ない動作だけでも、ウィスの実力の片鱗がトルトには見えた気がした。直前まで自然体だったのに、動きに迷いがなく、なめらかな動きで剣に手が伸ばされていた。トルトの引き止めがもう少し遅ければ、ウィスは剣を抜き放てていただろうと思われるほど無駄がなく、すばやかった。それだけで充分だ、とトルトは判断した。

 2人の短い旅は、初日はなにごともなく進んだ。日が高く昇ったころに、昼休憩をとった。トルトが持ってきた乾燥した肉を、火にかけて焼く。それに塩をふりかければ、ちょっとしたご馳走に早変わりである。トルトは2ヶ月に及ぶ旅路でこの術を身につけ、自慢のひとつとなっていたが、ウィスには、そんなところを探求しなくても、とあきれられた。

 その後も問題は起きず、野営地を決めたあたりで日が暮れた。道から少し外れたところに簡易天幕を張り、そこで一夜を明かした。

 翌日。どちらからともなく起き上がり、手早く天幕を片付けて、2人は先へ先へと進んでいった。予定では、日が暮れる前に山の麓へとたどり着いているはずである。

 日は、高くなりつつあった。ダンゲロ山も、次第に大きくなってきている。順調に近づけていることで、2人は少し気が緩んでいた。

 そろそろ昼食を考えないと、という話になったとき、2人の視界に茂みが入った。茂み自体はそれまでも道端で何度か見ていたが、その茂みはおかしかった。殺気がもれ出ていたのだ。よく見れば、その茂み以外にも、周囲には身を潜められそうな箇所がある。

 トルトもウィスも、流石にハッとして身構えた。お互いに危険があると認識していることを確かめあって、剣の柄に手をかける。そうしてから、トルトは茂みに向かって呼びかけた。

「おい、そこにいるのは分かってるんだ。出てきやがれ、腰抜けが!」

 トルトの挑発に、ヒヒヒ、と下賎な笑いで応じながら、茂みの中からひとりの男が姿を現した。暗い外套で顔まで覆い隠した、いかにもな格好をしている。男が出てきたことに呼応してか、トルトたちの周囲から何人もの盗賊が現れた。トルトは、その格好に既視感を覚えた。

「ヒヒッ。背中の荷物を置きな。そうすりゃ、命まではとらねェかもな?」

 最初に現れた男が言った。男の物言いに、トルトはまた引っかかった。似ていないか? あいつらに。

「兄ちゃん、よく見たらいい剣持ってるじゃねェか。それを売っ払えば、しばらくは遊んで暮らせそうだぜ」

 男が言うと、ちげぇねぇ、などと周囲の者が応える。獲物を前に舌なめずりしているかのようだ。

「てめぇら――この近くの村を襲った不届き者だな!」

 トルトの疑念は、確信に変わった。数日前、トルトが一夜の宿を借りた村が、襲われた。襲ってきた盗賊団は、こいつらに違いない。

 トルトの言葉を聞いた盗賊たちは、しかし誰も大した反応はしなかった。強いてあげるなら、何言ってるんだこいつ、と言いたげな顔をしている者が多かった。

「村を襲った? なんのことか分からねェな。人があれば襲うし、物があれば奪う。他人のものは自分のもの、命も例外ではない。それが俺たち、クラフティ盗賊団の流儀よ」

 初めに現れたあの男が、ヒヒヒとまた下賎な笑みを浮かべた。暗に、村を襲いすぎていつのどこのことか見等がつかない、と言っている。

「てめぇら、クラフティ盗賊団っていうのか」

 トルトは怒った。間違いなく、彼らは非道の者だ。そう感じたトルトは、義憤を覚えたのだ。このような低俗な輩、許すわけにはいかない。トルトの頭の中によぎったのは、そういう感情である。

 トルトが怒りに任せて剣を引き抜こうとしたそのとき、どこからともなく声が聞こえてきた。

 ――感情で動いてはならぬ。

 声は、そう言っていた。不思議と、その声はトルトの中でよく響いた。トルトははっとしたが、周囲の者は誰も訝しげな顔をしていない。トルトが剣を抜こうとする直前と、全く変わらぬ様子であった。それはウィスも同じであり、彼は黙って事の次第を静観するつもりのようだ。

 俺にしか聞こえなかったのか。トルトはそう思った。今の声のおかげで、トルトは冷静さを取り戻した。声の響きがそうさせたのか、と冷静になった頭でトルトは考えた。ではなぜ、声が聞こえたのか?

 神のお告げ。なんとなく、そんな言葉が思い浮かび、そしてそれはしっくりくるものだと思った。神と言えば、トルトの故郷の奉じている神は、「正」をよしとする神である。正しきこと、分かりやすく言えば正義を信ずるものの神だということを、トルトは思い出した。

「おい、どうした兄ちゃんよォ。怖気づいたかァ?」

 盗賊の誰かがそんなことを言い、周囲がヘヘヘと笑いを漏らしながら距離を詰めてきた。トルトが黙りこくってから、そこそこの時間が経ったということだろう。俺が挑発に乗って逆上するとか、向こうは思っているに違いない。が、トルトにその気はなかった。

 隣に立っているウィスが、わずかにはらはらしている気配を感じる。怒りのままに攻めかかって勝てる人数差ではないと、トルトの出方を心配しているのだろう。トルトは、剣の柄に手をかけたときのうつむいた姿勢のまま、ウィスに目配せした。まぁ見てろ、という意味だ。

 せっかく、神官を目指すのだ。早めに神官気分を体験してみるのも、悪くないか。トルトはそう思っていた。

「……へっ、誰が怖気づいたって?」

 トルトはそう言いながら、剣に伸ばしていた手を静かにおろした。その行動に、盗賊たちは訝しげな目を向けた。

「てめぇらのような正義なき者を恐れる理由などどこにもない。襲いたければ襲えよ。俺の正義でもって叩き潰してくれる」

 すっと背筋を伸ばしたトルトは、盗賊たちをその長身で上から睨みつけ、腕を組んで仁王立ちになった。さぁ、悪逆のみを楽しみとする愚かな奴らよ、来るなら来い。

「なにをばかげたことを。お前ら、俺らの力をそのアホに見せてやれェ!」

 男の号令でもって、盗賊たちは一斉にトルトに襲いかかった。トルトの挑発に乗せられたのか、隣のウィスには目もくれない。ウィスはトルトから一歩離れて、成り行きを見守るつもりのようである。トルトが負けるとは思っていなさそうだ。

 トルトは、まず最も接近してきた左側の盗賊の腹に、右の肘打ちを喰らわせた。うめき声をあげて倒れそうになった盗賊の体を担ぎ、その場でぐるりと一周回ってから、勢いよく投げ飛ばす。回転に巻き込まれ、4人は吹っ飛んだ。

 自然体に戻りかけたトルトの体は、さっと後ろへ振り向き左の手刀を振り下ろす。ぐっと腰をかがめて、両の平手を左右に突き出す。振り返りざまに脚を振り上げる。脚を戻す勢いを利用し、右へ肘を突き出す。腹を抱えた盗賊を掴み、反対側へ叩きつける。流れるような一連の動作で、トルトは襲いかかる盗賊たちを次々に倒していった。

「……ん、もう来ないのか?」

 怯んで動かない盗賊たちを見て、トルトは挑発する。

 剣もなしに徒手空拳で圧倒されているのを見て、男は明らかにうろたえた。

「お、おい、隣だ、隣にいる奴を人質にしろ!」

 顔を引きつらせて、腕を振りながら叫ぶ。その声にはっとした盗賊たちは、雄叫びをあげながら3人ほどウィスに突っ込んだ。体型のせいでなめられて当然のはずだが、よほどトルトが怖いのか、盗賊たちは必死の形相である。

 不意に標的にされた形だが、ウィスは慌てなかった。さっと手を剣にかけると、引き抜きながら斜めに払った。ひとりの盗賊の鼻を、切っ先がかすめる。うおっ、と言いながら盗賊は踏みとどまった。次いでウィスは向きを変えると、別の盗賊に突きを放つように見せかけ、盗賊の首を貫く直前に振り返り、他の盗賊へ袈裟切りするかのごとく振るわれた剣は、盗賊の胸元でぴたりと止められた。

 ウィスがゆったりとした動作で剣を引くと、ウィスへ跳びかかった3人は、まるで本当に斬られたかのように体から力が抜け、情けなくしりもちをついていた。

「おや、私は素振りをしただけなのですが」

 じりじりと後ずさる3人を見回し、ウィスは困ったように笑った。やはりできるな、とトルトは内心うなった。突っ込んでくる相手に当たらないように剣を振るのは、難しい。剣は振り回すのに力がいるのと同じように、ぴたりと止めるのにも力がいる。当然、力だけでなく技術も要する。それを涼しい顔で、かつ無駄なく正確にやってみせたウィスの実力は本物だろう。

「ひぃっ、な、なんだ、なにもんだこいつら……」

 男は目を見開いていた。男の顔が、外套ごしにも恐怖で歪んでいるのが、はっきりと分かる。一歩、また一歩と下がっていき、あるときなにかにつまずいた。

「あっ!」

 男の体がふらっと揺れたかと思うと、どさりと崩れた。上半身だけを起き上がらせ、なおもじりじりと後ろへ下がる。

 男の抱いている恐怖は、盗賊たち全員に伝播していた。あちこちで得物を落とすカランという音が響き、引きつった声があがっている。

「や……やられっぱなしで、たまるかよォッ!」

 そのとき、ひとりの盗賊が、鬼気迫る表情でトルトへ踊りかかった。手には短剣が握られている。

 トルトは、短剣を持っている方の手首を左の腕で下からさっと打ちすえ、盗賊の手から離れた短剣を落とさずに手づかみすると共に、空いた右手で首元へ掴みかかり、地に叩きつけた。そして、この集団の中心となっているらしい男に向かって、つかんだ短剣をサッと投げた。

「ヒィッ!」

 投げる前に、トルトは男を睨みつけ、溢れんばかりの殺意を叩きつけた。間違いなく殺されると思ったのか、男は首をすくめて目をつぶった。男の耳に、短剣が空を切り裂く音が届いたことだろう。トルトは、男の顔より、わずかに左を狙ったのだ。狙いに寸分違わず短剣は飛び、男の顔には刺さらなかった。

「に……逃げろォーッ!」

 盗賊たちの意気は、これで完全に挫けた。誰かがそう叫ぶと、我先にと踵を返し、思い思いの方へ散っていった。

「はっはっは。てめぇらの主に伝えろ。正義は勝つ、ってな!」

 トルトは勝ち誇ったように笑った。力の象徴ともいえる、剣を抜かずして盗賊をくだした。すがすがしい気分であった。

「なぁウィス、見たか? あいつら尻尾巻いて逃げ出し――」

 トルトが得意げに振り返ってウィスの方を見ると、ウィスは顔をしかめていた。

「……んだよ、しけたツラしてんな」

「あなたやっぱり馬鹿ですね」

 あきれた、という風にウィスはため息をついた。

「なっ」

 むっとしたトルトはなにか言い返そうとしたが、ウィスにさえぎられた。

「こんなところに盗賊団ですよ? 件のワッリさんも襲われていたかもしれません。適当にひとり捕まえて話を聞きだすべきところを、素直に逃がしてしまったのではね」

「……げっ、そうか」

 指摘されたことで、初めてトルトはその可能性に気づいた。やつらが逃げ出す前に、ひとりくらいつかんでおけばよかった、と後悔した。

「くそっ、一本取られた気分だぜ……」

 トルトがわしゃわしゃと頭を掻いていたとき。ガサッ、と茂みが揺れた。

「誰だ!」

 咄嗟にトルトが叫ぶと、茂みから何者かが飛び出し、全速力で離れていこうとしていた。格好をよく見ると、先ほどの盗賊である。

「待ちやがれ!」

 慌てて後を追う。ウィスもトルトと同時に走りだしていたが、盗賊とは走り始めた場所から違う。間に合わないか、とトルトは焦りを感じた。ところが、不思議なことが起こった。盗賊が、突如なにかに足をとられ、無様に地に倒れたのである。

 なんだ、と目をこらしてみると、長剣が転がっていた。どうやら、盗賊はこれで足をすべらせてしまったらしい。

 盗賊は起き上がろうともがいていたが、その間にトルトとウィスは追いつき、あっさりと捕まえることができた。

「ちくしょう! 放しやがれ!」

 トルトに首根っこをつかまれ、持ち上げられた盗賊は、大いに暴れた。トルトは意に介さず、元の道のところまで歩きながら、ウィスに問う。

「んで、聞くにしてもどうすんだ?」

「そんなもの、脅すに決まってるでしょう」

「脅すって、随分直接的に言うなぁ」

「こういう手合いは、力関係をはっきり示してやらねば、口を割りませんからね」

「そうかもしれねぇけどよ。具体的には?」

「剣を喉元に突きつける、などが有効でしょう。あとは、指を一本ずつ折るとか」

「へぇ。ま、いたぶって殺すなんてしないだけマシかもな」

「最後まで話さないようであれば、そうなるかもしれません」

 ふたりの少しばかり物騒な会話を聞いていた盗賊は、顔を真っ青にし、恐怖で震え上がった。道まで戻るころには、すっかりおとなしくなっていた。

「で、そういうわけなんだけど、どうする?」

 盗賊を座らせ、ニヤリとしながらトルトが聞くと、盗賊はヒィッ、と情けない声をあげた。

「分かった! 話す! なんでも話す!」

 盗賊は青ざめた顔でそう言った。

「俺たちクラフティ盗賊団は、このあたりじゃ有名な盗賊団だ。残虐で、逆らう者には容赦しない。俺が残ってたのは、隙あらばあんたらを殺すためだ。無理だと悟ったけどな。ここで待ち伏せを始めたのは2日前で、あんたら以外には誰も見てねぇ。それと、ここには来てないはずだが、俺たちは相当な規模でな、別行動をしてる隊がいるんだ。そっちにはお頭がついてた。村を襲ったって自慢してたやつがいるから、あんたが襲われたのはそっちの方じゃねぇのか。俺たちはここ一ヶ月村なんか襲えてねぇよ。あんたが荷物を盗まれたとしたら、もう売っ払われたあとじゃねぇかな」

 よほどふたりの会話が堪えたらしく、盗賊はまくしたてるように説明した。他にも、実は自分には妻が、などのどうでもいい個人情報や、どこそこの町はこういうものが高い、などこれまた無関係なことまで喋り出し、最後の方は息切れするありさまであった。

「な、なぁ、まだなにか聞きたいことはあるか?」

 盗賊はなおもおびえた様子である。トルトが問うような目線をウィスに投げかけると、ウィスは首を振った。

「私としては、いつ待ち伏せを始め、どんな人物と遭遇したのかを聞きたかっただけです。もう充分すぎるほど吐いてもらいましたよ」

 ウィスは言い終えると、手でさっさっと追い払うようなしぐさをした。それを見た盗賊は、一度己の目を疑ったかのように目をこすった。が、やはりウィスが手を振っているというのを認めると、

「お、覚えてやがれェーッ!」

 という、ありきたりな捨て台詞を吐いて逃げ出した。

「……なぁ、逃がしてよかったのか?」

 盗賊が見えなくなったあたりで、トルトは訝しげな目をウィスに向けた。あの盗賊は、既になんども盗みや殺しを働いているようであり、明らかな罪人だ。捕まえて町の神殿につきだすべきだったのでは、とトルトは思っている。

「逃がす以外に、どうしようもありませんよ。私たちはダンゲロ山に急ぐ用事がある。縛り上げても、町の神殿まで連れていけませんから」

 あっさりとウィスは言い、無造作に落としていた荷物をテキパキとまとめあげた。盗賊にこだわる気はなく、もう出発するつもりのようだ。

「……そうかもしれねぇけどよ」

 トルトは多少名残惜しそうにしたが、ウィスの言うことも最もだと理解できた。それに、いまさら文句を言ったところで、盗賊は既に去ったあとだ。どうしようもない。トルトは諦め、ウィスにならって荷物をまとめ、背負った。

 盗賊団の襲撃があったこともあり、トルトたちがダンゲロ山に到着したのは、日が暮れかかったころであった。夜の登山は危険だ、という認識はふたりとも共通しており、ワッリがこのあたりに来たという痕跡も見当たらない。

 焦っても仕方ないということで、ふたりは山の麓で休むことにした。

「そういえば、トルト」

 それぞれ寝具に潜りこんだあと、おもむろにウィスがつぶやいた。

「なんだ」

「昼のとき、あなたはてっきり盗賊の挑発に乗るのではないかというくらい怒っていたように見えたのに、いざ戦闘が始まってからはやけに冷静でしたよね。あれ、なにかあったんですか?」

 なるほど、外からだとそう見えていたのか、とトルトは思った。

「それか。なんつーかな……」

 トルトは、言ってもよいものかどうか迷った。確かに声は聞こえたと思っている自分と、あんなのは気の迷いだ、と思っている自分とがいるのだ。それに、声自体も、よく考えると不気味だった。どこかで聞いたことがあるような気もする。そんなはずはない、と強く思っているからこそ、不気味なのだ。

 とはいえ、確かにトルトは、あの声がなければ逆上していただろう。それは認めざるをえないし、自然と声が聞こえたという事実を信じる気にもなった。

「ま、神のお告げっていうかな」

「神のお告げ?」

「ともかく、そういうのが聞こえたんだよ。怒られたぜ、感情で動くな、ってね」

「そんなでたらめな……」

 ウィスの声は、あきれた風に聞こえた。トルトも、他人から神のお告げがどうの、などと言われたら同じような反応をするだろう。ウィスの態度に文句をつける気は起きない。

 ふたりの会話は、それっきりであった。ダンゲロ山の麓での夜は、静かにふけていく。

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