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 翌日。トルトは、宿の個室で椅子に座り、ぼんやりと剣を研いでいた。

 今日は、元々はウィスやワッリとエルトゥネの魔術行使についての話し合いをするつもりだったのだが、部屋へ様子を見にいったウィスによると、エルトゥネはともかく、ワッリもぐっすりと眠り込んでいて、とても起きそうになかったという。

「お昼ごろまでは、待ってみましょう。ワッリさんも、疲れたはずですからね」

 と言うウィスに従うことにしたトルトは、途端に暇になった。暇つぶしにと宿から外へ出てみたら、今度は住民にものすごい勢いで囲まれそうになり、結局宿の中へ引き返すしかなくなったのだ。

 どうやら町の住民にとって、クラフティ盗賊団は相当な悩みの種であったらしい。その盗賊団の首領をたったひとりで倒し――神殿の発表でそういうことになっていた――、一夜にして壊滅させた英雄として、トルトは今、町の住民の憧れの的となっているようなのだ。一歩でも外へ出れば、英雄の顔を一目見たいという好奇の視線に晒されるばかりでなく、話をしてみたいという興味に駆られた住民が殺到するのは、必然の状況となっていた。

 トルトがおとなしく部屋にこもっているのは、そういう事情である。幸い、宿の主人は気を使ってくれて、野次馬根性を発揮している住民は宿から追い出されており、突如部屋に見知らぬ人が乱入してくるような心配はない。

 窓から外を眺めようにも、同じ景色が見えるだけであり、トルトにとっては退屈だった。あげく、窓から顔を出しているところを発見され、一騒ぎ起きそうになったので、もうたくさんだ! と叫びたくなるのをこらえつつ、顔を引っ込めるしかなかったというのもある。

「……はぁ」

 ため息のひとつも、つきたくなるものだった。ウィスの方は住民に絡まれないらしく、彼は気ままに散歩を満喫しているらしかった。体を動かしている方が好きなトルトとしては、羨ましい限りだ。

 そうこうしているうちに、剣もあらかた研ぎ終えてしまった。光を反射してキラリと輝く刀身を眺め、こんなに研いだのいつ以来だ、と思わず苦笑しつつ、鞘に収めて、壁に立てかけた。

 ことを大きくさせた町の神官に呪詛でも送りつけてやろうか、と思考が迷走し始めたときだった。コンコン、と扉が軽く叩かれた。

「あいてるぜ」

 誰だろう、と思いつつ、トルトは入室をうながした。宿の主人の配慮があるので、見知らぬ住民が来たというわけでもあるまい。

 扉は慎重にひらかれ、少しだけできた隙間から、おそるおそるといった風に、かわいらしい顔を覗かせている者がいた。エルトゥネだ。

「おぉ、嬢ちゃんか。目ぇ覚めたのか?」

 いつのまに、と思いつつたずねると、エルトゥネはコクコクとうなずいた。

「俺に用事か? じいさんが呼んでるとか」

 言いながらトルトは腰を浮かせたが、エルトゥネは体をビクッと一瞬震わせてから、ややあってフルフルと首を横に振った。

「んん? ……なら、食堂にいくか? ここはなんもねぇしな」

 すると、エルトゥネは今度はブンブンと激しく首を振った。食堂は嫌、ということなのだろうか。

「……まぁ、いいや。とりあえずはいんな。いつまでもそこで突っ立ってるわけにもいかねぇだろ」

 エルトゥネの行動に首をひねったトルトだったが、分からないことを考えても仕方ない。椅子に座りなおして、エルトゥネを手招きした。エルトゥネは困ったような表情になり、部屋にはいるのをためらっている様子だ。

「どうした? はいんねぇのか?」

「……その、親しくない男性の部屋にみだらに入ってはいけないって、おじいちゃんに」

 遠慮がちなエルトゥネの言葉を聞いて、トルトは思わず吹き出した。

「……なんで笑うんですか」

 ばかにされたと思ったらしく、エルトゥネはぷくーっと頬を膨らませていた。それがまたおかしくてトルトは笑いそうになったが、今度はこらえた。というよりは、その前の分の笑いに混ぜて誤魔化した、といった方が近い。

「いや、すまんすまん。じいさんは過保護だなぁ、って思っただけさ。ま、英雄様の部屋に一回入るくらいなら大丈夫だろ」

 英雄様、に若干の自嘲の意味をにじませつつ、トルトは改めてエルトゥネに入室をうながした。エルトゥネはしばらく周囲を気にしていたが、そっと部屋に入ると、静かに扉を閉めた。椅子に座るように手で示すと、エルトゥネは足音を立てないように抜き足差し足でおそるおそる椅子のところまで歩いてから、チョコン、と腰掛けた。部屋に入ったことを余程ワッリに知られたくないのか、並々ならぬ神経の使い振りに、トルトは頬が緩むのを必死に堪えなければならなかった。

「……で、どうしたんだ?」

 椅子の上で縮こまってなにもしないエルトゥネの様子を見て、耐えかねたトルトが切り出した。エルトゥネは少し考えるそぶりを見せてから、口を開いた。

「……あの。怖い人をやっつけてくれた、んですよね? 宿のおじさんから聞きました」

「怖い人……あぁ、クラフティか」

 一瞬判断に迷ったが、他に思い当たる人物がいない。トルトの反応を見て、エルトゥネは深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、神官様」

「だから神官様じゃねぇっての。まだ見習いだ」

 反射的に訂正をいれると、見習い? と、エルトゥネは首をかしげた。

「よく分かりませんけど、神官様は神官様です」

 自信満々に言い放たれてしまったので、トルトはそれ以上突っ込む気力を失った。

「はぁ……で、他には? もしかして、そんだけか?」

 トルトがたずねると、再び困ったような顔で黙り込んでしまった。うかつに聞くんじゃなかった、とトルトは頭をわしゃわしゃと掻いた。

 場が、気まずい沈黙に包まれてしまった。どうにかして話題を見つけないと、とトルトは内心焦った。

「……そうだ! なんかよ、この俺に聞きたいことはないか? 今ならなんでも答えてやるぜ」

 咄嗟に思いついたことを、試しに口にしてみる。困り顔だったエルトゥネも、場の空気がつらいと感じていたらしく、まじめな顔つきになって思案し始めた。

「……ウィスさん、でしたっけ? 神官様の、命の恩人だって言ってましたけど、それって一体?」

 しばらくしてから、エルトゥネが口をひらいた。またウィスだけ名前呼びかよ、と思い、ウィスひとりでのんきに散歩しているのを含めて内心やつあたりしつつ、トルトは気まずさを破るために、明るく返事をした。

「おう。ちっと話が長くなるが、まぁ俺も退屈してたところだ。それでもいいってんなら、喜んで話させてもらうぜ?」

 興味津々、という様子で盛んにうなずかれた。トルトは心の中で苦笑しながら、自分がこの町まで来て、ウィスに助けられるまでのいきさつを話した。





「……じゃあ、神官様が死んじゃいそうになったのって」

 話を聞き終えたエルトゥネの、第一声である。やっぱそこつっこむよなぁ、と、トルトは情けなさを感じながらも、答えるしかなかった。

「おう。盗賊を深追いしすぎて、その隙に荷物を盗られたのが原因だな」

「……かっこわるいです」

 真顔で言い放たれてしまう。トルトの心に、矢がつきたったかのような痛みが生じた。

「に、人間誰しも失敗はするもんだぜ。ははは」

 それっぽいことを言い、笑って誤魔化す。乾いた笑いしかでなかったが、こういうときは勢いで押し切って、話題を変えればいいのだ。

「そんなことより、いい加減俺のこと神官様って呼ぶのやめてくれよな」

「どうしてですか?」

「そりゃあ、俺がまだ神官じゃないからだ」

 トルトの言葉に、エルトゥネは不思議そうな顔で首を傾げた。

「でも、神官様はみな神に選ばれた高貴な血筋で、生まれたときから神官様だって、おじいちゃんが言ってましたよ?」

「あぁ? ……あぁ、なるほど」

 エルトゥネの物言いに少し混乱したが、要はエルトゥネが言っているのは、神官の家の者の話だろう。確かに、神官の家に生まれた者は、選ばれし者として、一般市民からは幼少の頃から尊敬の念をもって接される。将来加護を受け継ぎ、新たな神官となることが決まっているからである。しかし、それには例外があるのだが、エルトゥネはそのことを知らないのかもしれない。

「俺は違うぞ。神官になろうとしてるだけの一般人だ」

 エルトゥネは、ますます不思議そうな顔をした。

「そういうやつもいる、ってことだよ。俺は神官の家に生まれたわけじゃねぇが、ある条件を満たして、神官になることを目的に旅をしてるんだ」

「えっと、つまり……」

「俺はまだ神官になってない。なれるかどうかも、まぁ、認められるかどうか次第、ってとこだな」

 すると、エルトゥネは急に、困ったように眉を下げた。

「でも、あなたから加護の力を感じるって、お母さんが……」

 そこまで言ってから、エルトゥネはしまったというような顔をして、口元を手で押さえた。

「……んん? お母さん?」

 どういうことだ。エルトゥネの親は、現在ふたりとも行方不明なのではなかったか。トルトは、彼女の親とは、面識がないはずだ。では、そのエルトゥネは母が、トルトから加護の力を感じるとはどういうことなのか。そもそも、なぜトルトから加護の力を感じるのだろうか。

「あ……やっぱり、知ってます?」

 トルトの訝しげな言葉に、エルトゥネは伏し目がちになった。

「あぁ、じいさんから聞いたぜ。あんたの親は行方不明だってな。違うか?」

 確認の意味でたずねると、エルトゥネは小さくうなずいた。

「……私、親の顔、知らないんです」

 ぽつりと、エルトゥネがこぼした。トルトは目を見開いた。初耳だ。ものごころついたときには、親は旅立ったあとだった、ということだろうか。

「優しくしてくれた、って話は、おじいちゃんから聞きましたけど。どんな人だったのか、何をしていたのかだって、知りませんでした」

 知らされなかったってことだろうな、とトルトは推測した。エルトゥネの生い立ちは、複雑すぎる。神に選ばれたのに、使命を放棄して家を抜け、傭兵になった夫。神官と対立する立場にあり、神をも恐れぬ諸行をする者として忌み嫌われる、魔術師の妻。おそらく、ふたりが結ばれた時点で、少なくとも表面上、夫は神官の家の者とは扱われなくなったはずだ。それに、神官による支配は、必然的に魔術師に対する世間の目を、冷たくする。どちらも、隠しておいたほうがいい、と周囲の者は判断したのではないだろうか。

 とはいえ、さきほどお母さん、という言葉が出てきた理由は、まだ分からないままだ。しかし、無理に聞くわけにもいかないだろうな、と思い、トルトは黙っているつもりだった。ところが、エルトゥネの方から、口を開いた。

「お母さんが、教えてくれました。自分は魔術師だ、って。私にも、魔術の才能がある、って」

「どういう、ことだ?」

 気づいたときには、トルトは疑問を口にしていた。やっちまったか、と思い、咄嗟に謝ったが、エルトゥネは、気にしないでください、と首を振った。

「どこからともなく、声がするんです。自分のことを怖い魔術師だって言いながら、とっても優しい声で。私、それまで親のことなんて何一つ知らなかったのに、大事にされてるんだなぁ、って」

 穏やかな表情で、エルトゥネは語っていた。

「悪意がないって分かったから、私はお母さんって呼んでるんですけど。でも、本当に私のお母さんなのかは、分からないんですよね」

 そう言うと、エルトゥネは、真っ直ぐにトルトの目を見つめた。

「あの。おじいちゃんは、私の母親について、なんて言ってましたか?」

「……大魔術師だ、って、言ってたぜ」

 エルトゥネの真剣さに、トルトは目をそらしそうになったが、堪えた。しっかりと、エルトゥネの目を見つめ返して、言った。

「そう、ですか。じゃあ、やっぱりお母さんなんだ……」

 つぶやきながら、エルトゥネはなにかを大事そうに抱えるように、両手を胸元においた。

「……なぁ。その、母ちゃんとやらの声が聞こえるようになったのは、いつからなんだ?」

 無粋かとは思いつつ、耐え切れなくなって、トルトはたずねた。

「……随分前から、です」

 なにかつらいことを思い出したのか、エルトゥネの表情が曇った。トルトは、やってしまった、という顔をした。

「あぁ、悪い。無理に話さないでもいいぞ」

「えっ、でも」

「思い出すのもつらい、って顔してるぜ」

 申し訳なさ半分で指摘すると、エルトゥネは黙ってうつむいた。すみません、というか細いつぶやきが、聞こえたような気もする。やっぱり聞くんじゃなかったな、と、トルトは頭を掻いた。

「……初めから、私には魔術師としての才がある、とは言われていたんですけど、いざ教えてほしいと頼んでも、はぐらかされてばかりでした」

 それだけ、教えてくれた。そうか、と答えたトルトは、また別の疑問ができた。

「でも、昨日は魔術みたいなの使ってたよな。あれは?」

「あのときは、突然声がして、あなたに私の力を分けてあげる、って、言われて。不意に、自分の中に、なにか大きなものを感じるようになったんです」

「それが、あの派手な炎か」

「多分、そうです。私、かぁっと全身が熱くなって、おじいちゃんを守らなきゃ、って思って、わけが分からないうちに、力を解き放った、って感じでした。次に気がついたときには、もう宿の部屋で寝かされてたので……」

 なるほど、とトルトはうなずいた。腑に落ちる思いがしたのは、自分も似たような状況で、突然大きな力を発揮したからだろう。他人事だとも、荒唐無稽だとも、思えない。

「宿で目が覚めたとき、おじいちゃんは寝てましたけど、また声が聞こえてきて。魔術師になる覚悟はあるか、って、改めて言われました」

「改めて?」

「昔から、何度か言われてました。私は毎回ある、って答えてたんですけど、まだダメだ、って、いつもそれでいなくなるんです。でも、お母さんは、私を魔術師にしたがっているんだと思います」

 確信をもった様子で、エルトゥネが言った。

「あんたは、魔術師になってもいいのか? それまで、ただの人間だったんだろ?」

 心配になってトルトが聞くと、エルトゥネはうつむいてためらっているようだったが、やがて顔をあげ、はっきりと言った。

「……力が欲しかったんです、私。誰かを助けるための。それに、魔術師を馬鹿にしている人を見返すための」

「力が?」

「はい」

 その目に確固たる意志がみなぎっているのを、トルトは感じた。この少女は、本当にそう思っているのだろう。おそらく、なにかのはずみに、悔しい思いをしたことがあったのではないだろうか。

 思えば、山へ出発するトルトを見送ったときのあの悲しげな目。あれは、自分で助けにいきたいけどそれはかなわない、誰かに託すしかない、という諦めの表情だったのではないだろうか。そういえば、初めてエルトゥネと出会ったとき、彼女は自力でワッリを助け出すつもりで、ダンゲロ山へ行こうとしていたはずだ。それに、クラフティと戦っている最中の、つぶやき。あれも、そうなのだろう。

「力、か……」

 エルトゥネの固執ぶりに、自分の姿を重ね、トルトはひとりごちた。

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