第6話
瑞希は折りたたみ傘を開いた。竜二も青い傘を取り出し使用する。激しいとまではいかないが弱いとも言えない雨が二人の傘を濡らす。
「天気予報大当たりだな。ひどくなる前に家に着けりゃいいけど」
「雨が多くて嫌になりそう」
「桜井んち、この近くか?」
「あと十五分くらい。あのコンビニを左に曲がってまっすぐ行くの」
「せっかくだしお邪魔してこうかな」
「え!?」
思いがけない言葉に瑞希が驚けば、竜二はにやりとしていた。
「冗談だよ。俺はコンビニで右に曲がんなきゃいけないし」
そして二人はコンビニの前までたどり着く。コンビニの前にある道を左に曲がれば、あとはまっすぐ進むだけで家に着く。
「じゃあ、私こっちだから」
「ああ、じゃあな」
竜二が笑顔で別れの挨拶を言えば、瑞希は小さく頭を下げた。頭を下げていた時間はほんの数秒のはずだが、頭を上げた時竜二は怪訝な顔をしていた。
「どうしたの?」
自分が何かをしたのではないかと不安になる瑞希。竜二は何も言わない。瑞希を見ているわけではなく、視線は瑞希よりもずっと後ろを見ているようだった。
瑞希は彼の態度を不思議に思い、後ろを振り向いた。何かあるのだろうかと視線を左右に動かせば、数週間前に潰れてしまった雑貨屋の辺りに人影があった。
「え? あれって」
黒い髪の毛に青いシャツ、紺のジーンズ、ぼんやりとした表情。雨だというのに傘をさすどころか持ってさえいないように見える。雨に濡れながら立っている青年--それは和彦だった。
瑞希が驚いてその場で見つめていると、竜二が瑞希の横を通り過ぎていった。そのまま前へと進み、雨に濡れ続ける和彦に近づいていく。
瑞希ははっとし、竜二の後を追う。幸い距離はそれほど離れておらず、すぐに追いついた。瑞希は竜二の少し後ろで立ち止まる。
「お前、また濡れてんのかよ。風邪引くぞ」
「問題ない」
和彦を傘に入れようとする竜二だが避けられる。次に彼は余分に持っていた傘を渡そうとするが、それも乱暴に払われる。和彦に向けられた折りたたみ傘は水たまりに落ち、水がはねた。
「何すんだよ」
「俺はこのままでいいんだ」
「よくねえだろ。心配したんだぞ? 大学にも来ねえし、見つけたかと思えば雨に濡れてるし。……どうしたんだよ」
竜二は折りたたみ傘を拾うと、服で拭いた。服が濡れることなどどうでもいいようだ。もう一度渡そうとするがやはり拒絶される。
「なんでそんなに傘嫌がるんだよ。寒くないのか?」
「問題ない」
竜二と和彦のやりとりを瑞希は静かに眺めていたが、ふと和彦と目が合いそうになり慌てて視線を外す。どうしていいか迷ってしまう。
適当に視線を彷徨わせる。閉店した雑貨屋、雨のせいか人通りのない道。やむ気配を全く見せない雨。水たまり。
(そういえばここ、この前雨ちゃんに会った場所だ)
この前と同じ雨の日ということもあり、瑞希はそんなことを思いつく。そして同時に、雨という少女と出会った場所を和彦に伝えたことを思い出した。雑貨屋の前だと話したかどうかは定かでなかったが、この辺だということぐらいは伝えた気がする。
(近藤君、雨ちゃんのことすごく気にしてて。会いたいとも言ってたよね。今日は雨。もしかして……)
「ここで雨ちゃんを待ってたの?」
瑞希の口から自然と言葉がこぼれる。それは小さめのものだったが、竜二には聞こえたらしく瑞希に振り向いている。
瑞希は一歩前に出た。竜二の隣に立ち、恐る恐る和彦に問いかける。
「ねえ、ここ、雨ちゃんに会った場所だけど。もしかして雨ちゃんのこと待ってるの?」
図星だったのか、和彦は「だったらなんだよ」とでも言いたげな顔をする。
「ここ何日か大学に来てないって言ってたけど……」
「大学なんてどうでもいい」
「でも周りの人だって心配して――」
「そんなのどうでもいい」
「お前、本気かよ。雨って奴以外どうでもいいように聞こえるぞ」
「悪いか?」
和彦は悪びれた様子を全く見せない。
「わ……阿部君のことも、どうでもいいの?」
瑞希は自分の名をあげる勇気などなく、竜二の名前だけを口にする。自分の名前を出したところで、どうでもいいと言われるのは分かりきっていたから。
「あいつに会えれば、それでいい」
和彦ははっきりと言い切った。その瞳に迷いやためらいは一切ない。本気なんだ、と瑞希は強く感じた。
竜二は顔をしかめ、瑞希は困ったように黙りこむ。和彦も何も言おうとしない。通行人もいないので誰の声も聞こえない。ただ雨の降る音だけが辺りに響くのみ。
竜二は和彦に傘を渡したそうにはしているが、諦めたのか行動はしない。竜二の持つ折りたたみ傘は本来するはずの仕事もせず、閉じられたまま彼の左手に掴まれている。
「誰もいないけど、ここにいれば雨に会えるのか?」
しばらくしてようやく竜二が言葉を口にした。
「さあな。でも可能性はある」
「根拠は?」
「雨が降ってる」
「それだけか?」
「あいつが現れるのは決まって雨の日だ。だから雨が降れば--」
「でも最近は会えてないんだろ?」
「最近どころか二、三年は会ってない。でも会えるはずだ」
「いつまでそうするつもりだ?」
「会えるまでだな。……お前は帰れよ」
和彦は竜二に背を向け、数歩前へ移動した。
「いや、帰らない。俺も付き合うよ」
竜二はその場から動こうとせず、ただ彼の背を見つめ宣言した。竜二の姿は堂々としており、その意志が強いのだと瑞希は感じた。後ろ姿しか見えない和彦の表情は分からないけれど、彼も帰る気はないのだろう。
瑞希は雨の音を聞きながら、腕をさする。少し肌寒い。雨に濡れ続ける和彦はもっと冷たいだろうに、それを全く感じさせないでそこにいる。
気がかりなので自分も残りたい瑞希は願うが、それをしていいものか判断がつかない。困ったように別の方向を見る。少しだけ彼らから離れ、周囲を見回す。
ある一点を見て、瑞希は我が目を疑った。誰もいない……はずの道を、一人の少女が歩いていた。右手にカゴ、左手に透明のビニール傘を持った姿は、今まさに話題になっている少女――雨のものだった。




