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雨の日模様  作者: 結衣
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第1話

 ある日の昼食時。瑞希は学食に向かった。食事時以外は雑談や学習スペースとしても開放されている場所だ。

 学食には長テーブルがずらっと並んでいる。窓際には四人がけのテーブルが置いてある。

 雨は降っていないが太陽はでていない今日は少し寒さがある。いつ雨が降るか分からないというのも理由だろう、席は人で埋まっていた。

 席では学食の日替わりランチを食べる学生がいれば、購買やコンビニで買ったり家から持参したりした昼食をテーブルに置いている者もいる。

 よさそうな席はないかと探している瑞希は、窓際に置かれた四人がけのテーブルが空いていることに気がついた。しかしすでに一人の学生が座っているのも見えた。


(……さすがにあそこに行くのは気まずい、かな)


 もうすぐ空くかな、と淡い期待を抱き瑞希は近づく。そして相手の横顔がはっきり認識できる位置まで来た時、瑞希はそれが和彦だということに気がついた。

 全く知らない相手ではないが、だからといって声をかけるのも緊張する。とりあえずテーブルの横まで進み、彼の様子を見る。

 和彦はぼんやりと窓から外を眺めていて、時折「雨、降るかな」と呟いている。

 お昼時にも関わらず、昼食らしきものは近くにない。すでに食べたのか、これから食べるのかはわからない。


「……あの」


 瑞希は声をかけてみたが、やはり和彦は何も言わなかった。こちらを見ることすらせず、窓の外に視線を向けている。


「何してんだ?」


 突然声をかけられ、瑞希はびくりとしながら後ろを振り向いた。そこにはボサボサ頭の男が立っていて、手にはパンの袋を持っている。


「あ、席が空いてなくて、その……」


「だったら座れよ」


「……いいんですか?」


「ああ、他に誰も来ないからな」


 見知らぬ彼は椅子に座る。そしてここに座ればいいとでも言うかのように、隣の椅子を軽く引いて座りやすくした。


「ありがとうございます」


 瑞希は困惑しつつ、着席した。自分の隣に知らない男が座り、彼の正面に和彦が座る形となった。

 瑞希は周囲の様子が気になりながらも、鞄から弁当箱を取り出した。卵焼きを一つ、口に含む。


「お前食べてないじゃないか。食わないともたないぞ」


 隣に座る彼は親しげに和彦に声をかける。和彦はまだ外を見ていたが、彼がもう一度話しかけるとぽつりと言葉を漏らす。


「……遅かったな」


「いやー、購買かなり混んでたんだよ。やっぱ授業が長引くとダメだな」


「長引くのはいつものことだろ」


 そう言いながら和彦は窓から視線を離し、彼に目を向けた。その隣にいた瑞希に気がついたのだろう、彼は妙な顔をした。


「……おはよ、近藤君」


 和彦は何も言わない。何でここにいるんだ、とでも言いたげにしている。

 瑞希は気まずさを隠すかのように、お弁当の中身を見つめる。


「なんだ、二人って知り合いなのか?」


 和彦の友人は二人の顔を見比べている。気楽そうな顔だ。


「授業で席が隣なだけだ」


「ふうん。おはよって言ってんだから返事くらいしろよな」


 友人は軽く注意をすると、瑞希に困ったような笑みを浮かべる。和彦はどうでもいいといった感じで、ぼんやりしていた。


「悪いな。こいつ愛想悪いから。気、悪くしないでくれ」


「う、うん……」


「そういや名前なんて言うんだ?」


「桜井瑞希です」


「俺、阿部竜二。コイツとは小学校のときからの付き合いなんだ。よろしくな」


 そう言って彼――竜二はにかっと笑った。明るくて社交的な人なのかな、と瑞希は感じる。


「こ、こちらこそ」


「何年?」


「三年です」


「なんだ。俺も三年だしタメでいいよ。俺もコイツと同じで経済学部なんだけど、桜井は?」


「文学部」


「じゃあやっぱ本読むのか? 和彦も本が好きだから、仲良くしてやってくれよ」


 竜二は和彦の肩を思い切り叩く。和彦は叩かれた拍子に少し態勢を崩すが、すぐ下に戻って彼を睨みつけた。


「何すんだよ」


「わりいわりい」


 瑞希は二人の様子をただ見るしかなかった。

 付き合いが長いのだということは竜二の発言からわかる。竜二は和彦に対し友好的だ。しかし和彦が彼をどう思っているのかは分からない。


「それ、何の本?」


 二人から視線をそらした瑞希は、和彦の側に置かれた本の存在に気がついた。当たり前のように答えはない。


「聞かれてんぞ」


 竜二が呆れたように促すと、和彦はぼそりと応える。


「……『雨の日の物語』」


「……それ、どんな本? おもしろい?」


「……普通」


「そっか」


 瑞希は困ったように窓の外を見る。空は曇っていて、いつ雨が降るだろうかと心配になる。

 和彦はぼんやりと窓の外を眺めるばかりだ。それ以外のことに興味がないように感じられる。


「お、桜井のそれうまそうだな」


 しばらく誰も話さない時間が続いたが、竜二が突然声をだす。彼の目は瑞希のお弁当に向いている。


「あ、ありがと」


「自分で作ったのか?」


「うん。あんまり料理とか得意じゃないんだけどね」


「へー」


 竜二は弁当を指さしながら和彦を見る。


「見ろよ、手作りだってさ。すげーうまそうだぞ」


 当然のように和彦は反応を示さない。


「やっぱ飯はいいよな。腹が減っちゃ午後もたねえよ」


 無視されているはずの竜二だが、気にしていないのかそのまま自分のパンにかぶりついた。

 瑞希が箸でつかんだご飯を口に運ぼうとした時、彼女は和彦が何も食べようとしないことを思い出した。


「近藤君、お昼は?」


「……静かにしてくれ」


 和彦は迷惑そうに、ため息混じりに返す。


(人と関わるの、やっぱり好きじゃないのかな……? 阿部君とは昔からの付き合いみたいだけど、あんま喋らない。でも……)


 少なくとも自分よりは親しいし、気を許しているのかなと思い、瑞希はなんとなく居心地の悪さを感じる。

 気にしないようにしながら窓を見ると、曇り空だった。いつ降りだしてもおかしくない。


「外、曇ってる。また雨かな」


 誰にともなく瑞希がつぶやくと、竜二が賛同した。


「降りそうだよな。今日寝坊して天気予報見なかったんだけど、降水確率いくつなんだろうな」


「確か90%だって言ってたよ。ほんと、雨降りそうだよね


 そして和彦の様子を見ようとして……。


(……え?)


 瑞希は目を見開いた。信じられないものを見た気がする。


「ん? 桜井、どうしたんだ?」


「あ、えと……なんでもない」


 瑞希はすぐに表情を戻し、そしてもう一度ドキドキしながら和彦をちらりと見た。


(……気のせい?)


 一瞬だが、瑞希は和彦が嬉しそうに頬を緩ませたのを見た気がしたのだ。しかし再び確認した時、すでにその顔は無表情だった。


「雨、降らないかな……」


 その雰囲気は、雨を望んでいるように感じられた。


「近藤君て雨が好きなの?」


 気がつけば瑞希は和彦に問いかけていた。


「この前、傘もささないで雨の中立ってたよね。それって――」


「お前、またささなかったのか」


 瑞希の言葉は竜二の声に遮られた。


「いいだろ」


「よくはねえよ。風邪ひくぞ」


「その時はその時だ」


「お前な……」


 竜二は呆れたような心配したような口ぶりだ。竜二の言葉からして、和彦が傘をささないのは日常茶飯事なのだろうと瑞希は推測した。

 瑞希はためらいがちに口を挟む。


「ねえ、どうして傘をささないの?」


「あんたには関係ないだろ」


 和彦は素っ気なく呟くと、大きくため息をつく。


「でも……」


 言いたいことは色々とあるはずなのに、和彦の拒絶するような態度に口ごもってしまう。

 瑞希はなんといっていいのか悩み、竜二に視線を向けた。彼は和彦をまっすぐ見つめており、決意したように口を開いた。


「それは俺も聞きたい。なあ、教えてくれよ」


 竜二の真剣に話しかけるが、和彦は無言だ。何も言わないし、何も見ない。


「……いつからだっけ? 傘を使わなくなったの」


 そんな彼の態度を無視するかのように、竜二は問いかける。

 その後に少し「うーん」と考える素振りを見せていたが、思い出したように言葉を続ける。


「……そうだ。高校の二年くらいからだ。そんくらいから、お前急に傘を使わなくなったんだよな。前はちゃんとさしてたのに」


「……よく覚えてるな」


「そりゃ、長い付き合いだからな」


 竜二は真面目な表情で返す。


(……そんなに? 今が大学三年だから、高二っていうと、四年前?)


 傘を使わない期間が思った以上に長かったことに、瑞希は驚きを隠せない。彼は何を考えているのだろう、とまた和彦を見る。気になるのに、何も分からない。


「傘を使わない理由は?」


「関係ないだろ」


 瑞希はおそるおそる質問する。案の定、答えは明らかにならない。


「でも濡れると寒いし、風邪ひくかも――」


「うるさいな。ほっといてくれ」


 相手に嫌われただろうか、言わなければよかった、怖い――和彦に乱暴に突き放され、瑞希は色々な思いで頭の中がいっぱいになる。

 ちらりともう一度和彦を見る。彼と目線があう。素っ気なく目をそらされる。


「ほんと、誰に対してもそっけなくなったよな、お前」


 ぽつりと竜二が呟く。

 瑞希はお弁当を食べる手を動かし続ける。中身が空になった容器を急いで鞄にしまい、席を立った。


「もう行くのか?」


 竜二に声をかけられ、瑞希は困ったような顔を見せる。


「うん」


「まだ次の時間には早くないか?」


「次、ゼミの発表なの。確認とかしたいから……」


「へえ。桜井って真面目なんだな」


「じゃあね。おじゃましました」


「あ、桜井」


 瑞希が足早に立ち去ろうとするのを、竜二は引き止めた。そしてポケットに手を突っ込む。


「メアド教えてくれよ」


「え?」


 竜二はスマートホンを取り出して見せた。黒い本体に少し傷がついている。


「また会うかもしれないだろ」


 竜二は愛想のいい笑みを浮かべる。本当に友好的だな、と瑞希は感じる。


「う、うん……別にいいけど」


 断るのが悪い気がして、瑞希も淡い色の携帯電話を取り出した。画面に自分の連絡先を表示し、それを竜二に見せる。

 少しして彼からもメールアドレスと電話番号が記載されたメールを受信し、連絡先の交換は終了した。

 その間、和彦が言葉を発することは一度もなかった。


「和彦は知ってんの? 知らないなら聞いとけよ」


 スマートホンをいじりながら、竜二は和彦に声をかける。


「何を」


「桜井の連絡先。俺達には貴重な女の子じゃん」


 竜二はからかうように笑うと、「教えてもいいか」と瑞希に聞く。しかし瑞希が答える前に、和彦は「必要ない」と拒絶する。


「……じゃあ、行くね」


 やっぱり嫌われてるんだろうなぁ、と瑞希は思わざるを得なかった。


「発表がんばれよ」


「うん、ありがと」


 学生たちで賑わう学生食堂を、瑞希は一人早歩きで立ち去った。

 次の教室に向かう途中で外を見たら、雨が降り始めていた。まだ弱いが、これから強くなるのかもしれない。


(近藤君、傘さしてくれたらいいけど……)


 雨が降るのを見ながら、瑞希は心配になる。どうしようもないと自分に言い聞かせ、ため息をついてから教室へと歩みを進めたのだった。


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