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雨の日模様  作者: 結衣
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第9話

「おい。ほんと、大丈夫か?」

「……え? あ、ごめん。呼んでた?」

 竜二が瑞希の顔の前で手を動かしてようやく瑞希は呼ばれていたことに気がついた。心配そうに顔を覗き込もうとする彼に慌てて謝罪する。するとなぜか竜二は苦笑した。

「……今の桜井、和彦に似てるな」

「え?」

 思いがけない言葉に瑞希はぽかんとしてしまう。何かの冗談だろうかと思ったが、彼の様子から本気でそう言ったのだということが感じられる。

「どこが?」

 わけがわからないといった風に質問すれば、竜二はどこかおかしそうに答える。

「誰かさんのことで頭がいっぱいなとこ」

「別に近藤君でいっぱいってわけじゃ……」

「和彦のこととは言ってないけど?」

 竜二の言葉に瑞希ははっとする。確かに彼は誰の名前も出していない。それにもかかわらず瑞希は当たり前のように和彦の顔を思い浮かべ、彼の名を答えていたのだ。

「そ、それは……」

「でも、気になるんだろ?」

「……理由はわからないけど」

 和彦のことが気になるのは事実だ。しかしその理由は彼女自身にもわからない。それどころかどんな人物なのかさえよく知らないのだ。

 最近は多少同じ時間を過ごす機会もあったが、明らかになったのは雨の日にこだわることや雨という少女に心を開いていること、周りに興味を示さないこと程度だ。

「本当によくわからないの。なんで気になるんだろうって、自分で思うくらいだもん」

「あいつもそうなんだと思うよ。雨の何かに惹かれて、夢中になってる」

 竜二は自らの足元に視線を落とす。

「桜井も似たようなもんだろ。つい和彦のこと考えちまうところとか、そのことばかり気にしちまうところとか。さっきだって声かけてんのに全然気づかないんだもんな」

 竜二は笑いながら、再び顔をあげる。

「ま、なんかあったらいつでも言えよ。アドバイスとかは得意じゃねえけど、聞くくらいならできるぜ」

 彼はそこで言葉を止めると、スマホを取り出した。待受画面を少し確認しただけですぐにしまう。そして和彦の様子をちらと窺う。

 瑞希はそんな竜二をただ横目で見ていた。和彦に比べれば遥かに友好的で、愛想もいい。初めて会った時、席がなくて困っていた瑞希を気にかけてくれたのも彼だ。今日も和彦に会う前の帰り道、彼は自分の話を聞いてくれた。

「それにしても、どうするかな」

 そして今も彼は自分の側にとどまっている。和彦の元に行きづらいと思っているのかもしれない。またはもうしばらく和彦と雨の様子を見守ってから近寄るつもりなのかもしれない。それでも彼が自分を気遣ってくれているのはわかった。

(……私、助けられてばかりかも)

 自分は何もしていないのに、気遣われてばかりだ。そればかりか和彦のことばかり気にして、竜二を気にかけようとすらしていなかった。

 そう思うと途端に自己嫌悪に陥り、頭の中は申し訳無さで満たされていた。

「ごめんなさい」

「ん? どうした?」

 気がつけば瑞希は謝罪の言葉を口にしていた。竜二が驚いたような反応を見せ、意外そうな瞳が自分に向けられる。瑞希の言葉の理由が全くわからない、といった様子だ。

「あ、その」

 瑞希も戸惑っていた。無意識のうちに口から漏れた謝罪の言葉、どうしたのかと問いたげな竜二の反応。なにか言わなければ、と瑞希は言葉を探す。

「阿部君の言うとおりで、近藤君のことばかり考えてるなって。阿部君いい人なのに、私何もできなくて……」

 さっきも呼んでたのに気づかなくて、と続こうとした言葉は竜二の声に遮られた。

「そんなん気にしなくていいのに」

 苦笑はしているもののその声は明るい。

「でも――」

「むしろそれでいいと思ってるけど?」

「え?」

「あいつが急にそっけなくなってからさ、少しずつ周りの奴らも離れていったって話はしたっけ? ……急に態度変わったって皆変な顔して離れてったんだ。あいつはあいつで誰とも関わろうとしねーし、やっぱ気になってさ。だから和彦のこと気にかけてくれてんの、いいことだって思ってんだ」

「……いいこと」

 消えそうなほど小さい声で呟かれた瑞希の言葉に竜二は笑う。

「気にかけてくれる奴がいれば何か変わるかもって思ったからさ。こっそり期待してたんだぜ?」

「そうなの?」

「ああ。だからありがとな」

「お礼とかいいよ。それに話そうとするなら阿部君だってやってたわけで、阿部君の方が大変だったでしょ?」

 瑞希はこの数カ月の和彦しか知らない。それも親しいやり取りもなく、一方的に気になっていただけだ。

 対して竜二は和彦の幼なじみだ。長い付き合いがあり、様子が変わる前の和彦のことも知っている。だからこそ昔と今を比較して思うことも色々とあったはずだ。

「これは俺が好きでやってることだし、別にそうでもねえよ」

 そんなことより、と話題を変える。

「今はあいつのことだろ」

 竜二が和彦達に視線を向け、瑞希もそれを追う。そこにいる和彦は楽しそうに雨の話を聞いている。瑞希や竜二の話についてはほとんど興味を示さない彼が、彼女の話に耳を傾けている。

「それでね、その時に雨宿りしているネコさんがいてね。お話したんだよ」

「へえ、そうなのか」

「ネコさんはアメ食べないけど、瞳キラキラさせてアメを見てたの」

「食べたかったのかもな」

 雨が楽しげに話をし、それに対し笑みを浮かべた和彦が相槌を打つ。雨がよく喋るので、和彦は聞き役に徹しているようだ。

「会いたがってただけあって本当に嬉しそうだね。雨ちゃんも楽しそう」

 自分もあんなふうになれたらいいのに、とつい思ってしまう。そして少しばかり胸が苦しくなり、ため息が溢れる。

 雨は手に持つカゴを和彦に見せ始めた。中には色とりどりのアメが入っているらしい。そしてまた笑う。

「今の和彦見て、どう思う?」

 ふいに竜二が口を開く。その視線はじっと和彦に向いたままだ。

「どうって……そうだなぁ。楽しそうで、嬉しそう。なんていうか、幸せってこういうのを言うのかなって思っちゃう」

 素直に感じたままを口にする。本当にそう見えるから。恐らく竜二も同じような感想を抱くだろうと思っていたが、彼の反応は違った。

「和彦って本当に幸せって言えるのかな」

「え?」

「桜井は和彦が幸せそうに見えるんだろ?」

「うん。阿部君はそう思わない?」

「確かに今はそう見えるけどさ。普段のあいつは元気がないというか無気力というか、いつもつまらなそうだろ」

「多分雨ちゃんがいないから、だよね」

 普段講義を受けている彼の横顔、大学内を歩いている時にたまたま見かけた後ろ姿。なぜか昼食を同じ席でとることになった時の彼の窓を眺める姿。どれを見ても楽しそうには見えないし、暗い印象を受けた。

「でも今、近藤君すごく楽しそう。雨ちゃんがいて、幸せなんだって思うよ」

 雨の日に彼を見かけ、傘を貸そうとしたあの日。あの日も雨が降っていて、彼は傘もなく突っ立っていた。あの日も今日も傘をささず濡れているのは同じだ。

 だけどその雰囲気は全く違う。前回はぼんやりとしていて、今思えば何かを待っているように感じられた。今回は嬉しそうに目の前の少女と談笑している。

 雨という少女がいるか否か……それが和彦に影響を与えているのは明らかだ。

「でもそれって、本当に幸せって言えるのかな。何かに夢中になるのは仕方ないさ。俺だって好きなことしてるときは楽しいさ。でもそれ以外はどうでもいいってなると……」

 竜二は真面目な声で語ると、最後にぽつりと付け加えた。

「何も見えなくなる気がするよ」

 そして何を思ったのか雨と和彦に近づいた。

「お兄ちゃんもこっち来たんだ」

 それにいち早く気がついた雨が明るい表情で彼を迎える。

「よ、邪魔するぜ」

「お名前、竜二お兄ちゃんだったよね。和彦お兄ちゃんのお友達?」

「ああ。よろしくな」

 竜二は一度瑞希を振り返り、手招きする。こっちへ来い、と言っているようだ。和彦の反応が不安で立ちすくんでいたら、雨も自分に向かって手を振り出した。彼女が呼んでいるなら、と誰にともなく言い訳をし彼女は恐る恐る歩を進める。

「雨ちゃん、さっきはごめんね。アメ、無駄にしちゃって」

「大丈夫だよ。お姉ちゃんこそ、大丈夫なの?」

「うん。ありがと」

 瑞希はちらと和彦に目をやる。彼は言葉でこそ何も言わないが、少なくとも自分たちがいることを快くは思っていない気がする。

「本当? アメ、嫌いじゃない?」

「雨ちゃんのアメこの前食べたけど、本当においしかったよ」

 実際には雨に対しては複雑な気持ちもあるのだが、それは口にしない。これは自分の問題であり、目の前の少女には何の非もないことだから。

「私はね、皆がおいしいアメを食べて幸せになってくれたら嬉しいの。幸せそうにお話してくれる人のお話を聞くのがね、とても好きなんだ」

雨は手元のキラキラ光るアメを愛おしげに見つめ、小さな手でアメを優しく撫でている。その中の一つを手に取り、和彦に目を向ける。

「ねえ、和彦お兄ちゃん。私、お兄ちゃんのお話も聞きたいな」

「え?」

「久しぶりに会ったんだよ。楽しいこととか面白いこととか、色々あったでしょ?」

 和彦を見上げる雨の瞳は期待に満ちており、嬉しげだ。今にもはしゃぎだしそうなくらい、ウキウキとしている。

 和彦は視線を彷徨わせている。頭の中の記憶をたぐり寄せる時のように、目線があちこち動き回る。

「お兄ちゃん?」

 雨は不思議そうにしている。どうしたの、と心配そうだ。和彦は何も答えず、黙りこんだまま視線だけを動かしている。

 雨の表情が徐々に暗くなっていくが、和彦は気がついていないのだろう。その目が雨を捉えることはなく、さまよい続けている。

「まだ、ないの?」

 やがて雨は悲しそうに俯いてしまった。先程までの明るく無邪気な雰囲気が嘘だったかのように、その口から溢れる言葉の調子も暗い。

「まだ、お話したいなってことないの?」

 雨が和彦の服の裾を掴む。そこで初めて雨の様子に気がついた和彦が驚愕に目を見開く。それに構わず雨は続ける。

「お兄ちゃん、気がついたらお話してくれなくなったよね」


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