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食後、どういう訳か小学生三人は、作戦会議と称して二階にあるという汀子の部屋に行ってしまった。
当然ながら俺はこの機を逃すまいと皿洗いの手伝いを買って出た。
会話らしい会話は全く無かったけど、失敗することもなかったので良しとしよう。
で。
現在、テーブルには俺と繭の二人きりだ。
冷えたウーロン茶の入ったグラス越しに、目の前に座っている繭の様子を窺う。
彼女は同じくグラスを手にしていて、その視線は中のウーロン茶へと注がれているため観察し放題だ。
改めて見ると、やっぱり可愛い。
良い子良い子したくなるようなあどけなさと、何処か影のあるミステリアスさを併せ持った女の子なんだけど……とにかく惹きつけられる。
今時珍しく髪を染めていないが、それ故に生まれ持った黒髪の美しさを存分に感じさせる。
髪型はシャギーの入ったシースルーボブで、とんでもなく顔が小さく見える。
恐らく元が相当小顔なのだろう。
瞳は漫画のキャラクターのように大きく、睫毛も長い。
身長は百五十弱くらいかな? 百七十二㎝の俺の口元くらいに頭があったから。
体格は悪く言うと貧相。良く言えばスレンダーだ。
これ、女の子なら化粧のしがいがあると思う。
着せ替え人形的な意味で。
人形……そうだよ。
この子、人形みたいなんだ。
見た目は物凄く可愛いんだけど、じっくり見ると怖くもあるリアルな人形そっくりだ。
「あの」
「ひゃ!? ひゃい!!」
「見られるの、苦手なので」
「ご、ごめん!」
しまった! 俺は何をじっくり観察してるんだ。
他意はなくても、見つめるだけでセクハラにされることはままあるんだぞ。
今のはお互いの年齢に救われたな……。
高校一年生が中学三年生を見つめてもさほど問題はない。
けどこれが高校三年生と中学一年生だったら大問題だ。
小学生をジッと見つめるよりはリスク的に幾分マシだけど、相手を不快にさせては同じこと。
ましてや、今目の前にいるのは俺が一目惚れした女の子。
いつも以上に気を張る必要がある。
「聞いても良い? ……ですか?」
「あ、別にタメ口で良いよ」
年下は年下でも、小学生にタメ口で話されるのとはまるで違う。
というか、繭とは対等な関係になりたいからな!
「じゃあ……。人づてに、虎間さんの事情と妹がしたことは聞いた。でも私は、妹本人からは何も聞こうとしてない。どうしてか、分かる?」
「それは……怖いからじゃないかな」
「怖い?」
「ただの悪戯なのか、悪意を持った上での行動だったのか。後者の場合、姉としては怖いんじゃないかな。俺だったら知りたくないよ」
極端な話になるけど、身近に罪を犯した人がいて、それを知ってしまったら。
そう簡単に話を聞くことはできないはずだ。
素直に話してくれる訳がないし、逆に何故疑うのかと問われるかもしれない。
そうなったらますます疑いは色濃くなり、互いの信頼関係も崩れていく。
そんな悪循環を避けるもっとも単純な方法が、無干渉だ。
遊音がやったように、俺が子供に対して取ってきた態度のように、あくまで一傍観者でいれば何も変わらずに済む。
他人任せにして、誰かが解決してくれるのを待てばいい。
ただ、それすら通じないこともある。
それが――相手がとても近しい存在だった場合だ。
親子だったり恋人だったり、繭と汀子のように姉妹だったり。
無干渉でいられる訳がない。
「怖い……。そう、かもしれない」
「え、自分で気付いてなかったの?」
繭は恥ずかしそうに小さく頷いた。
先程のやりとりを見る限りでは、姉妹の関係は良好のように思える。
むしろ、だからこそ聞きづらいのかな。
「当事者の俺から言わせてもらうと、汀子ちゃんに、俺を嵌めて脅迫しようとかって考えはないよ。いや……なくはないか。でも、いざとなったら尻込みするタイプだ。ちゃんと言葉で伝えれば、分かってくれる子だと思う」
「……脅迫、されたの?」
「に、似たようなことを少々。たかが知れてるって! 子供のすることだよ?」
俺は慌てて取り繕った。
お宅の妹さんのせいで人生初の彼女失っちまったよ! なんて言えないし、小学生に脅迫されたとか……言葉にするだけで恥ずかしいぜ。
焦りを誤魔化すため、ほとんど空になったグラスで顔を隠す。
すると、繭が徐に携帯電話を取りだして、何やらメモを取り始めた。
ま、まさか……!?
「これ、私の番号とアドレス。妹が迷惑掛けるようなことがあったら、教えて」
「ああ、そういうことね……トホホ」
「トホホ?」
「い、いや! 嬉しい!」
「? どうして嬉しいの?」
「!?」
お、おいおいおいおい! 何を取り乱してるんだよ俺!
冷静になれ。冷静になって想い人の連絡先の書かれたメモをゲットするんだ。
そして冷静になった途端、気付いた。
「あのさ。赤外線通信すれば良くない?」
「あ――そうだった。妹がスマートフォンだったから、つい」
照れ臭そうに繭が携帯を差し出してくる。
俺もすぐに反応して赤外線通信は完了した。
そういえば、スマートフォンは赤外線通信できない機種もあるんだっけか。
というか、繭の携帯ガラケーじゃん! ひゃっほい!!
「うんうん。ガラケー最高だよね」
「もしかして、妹に何か言われた? 時代遅れ、とか」
「今時ガラケーとか! って言われた。スマホ持ってる汀子ちゃんからしたら、確かにその通りかもしれないけどさ。そもそも、小学生にこそスマホなんていらないと思うんだ」
「それは私も……そう思う。お母さんが汀子に甘いから」
マジでモンスターペアレントなのか!?
い、いやそうと決まったわけじゃないよな。
甘やかすのにも種類がある。
子供の心を一方的に決めつけて、母親の意向をなすりつけているのがモンスターだ。
対して、何でも買い与えたり子供の頼みは断れないようなタイプはただの親バカである。
どっちにしても子供にとってはよくない気がするけど。
「そのご両親は今、お祭りの準備に?」
「ううん。うちはお母さんしかいないから、夏休み中もずっと働いてる」
「……そっか」
それなら甘やかしてしまうのも無理はないな。
娘に会えない分、何かをしてあげたいと思うのは親として当たり前だ。
むしろ母親一人で子供二人を養った上に、スマホまで買い与えるなんて凄くないか? どんな仕事してるんだろ。
――と。
「ああああああああああ――――!!!!!!」
とんでもない大声を上げて汀子が駆け寄ってきた。
その後ろにはミラクルと遊音の姿もあるが、そちらはゆっくりと歩いている。
「汀子、騒々しい」
「お姉ちゃんこのメモ何! まさか番号教えたの!?」
「そうだけど。駄目だった?」
「駄目に決まってるじゃん!! こんなぽっと出の男に気安く連絡先教えるとか! お姉ちゃんはもう少し警戒心を持って!!」
酷い言われようだ。
しかしこの言い草だと、連絡先教えることが日常茶飯事のように聞こえるんだが。
ははは、気のせいだよな?
「おにーさんもおにーさんよ! 何初対面で人の姉ナンパしてんの!?」
「ご、誤解だって。ナンパしたわけじゃなくて」
「そう。私から教えた」
「お、お姉ちゃんから!?」
汀子は体を仰け反らせて驚いている。
いちいちオーバーリアクションな奴だなぁ……姉を取られるとでも思っているのだろうか。
まだその心配はいらないぞ。
まだな。
「これは意外な展開ですね……一体、どんな手を使ったんです?」
さりげなく俺に近付いてきた遊音が耳元で囁く。
この子は中立の立場を保ってくれているので、話してしまっても大丈夫だろう。スマホトラップに関しても、汀子が本気でまずいことを言い出していたらきっと止めてくれたはずだ。
俺は遊音と視線を合わせ、小声で話し始めた。
「汀子のことで、何かあったら教えてって理由だよ」
「それは……ご愁傷様です」
「放っとけ! ってか、もうバレてるの?」
「はい。先程も、そのことについての作戦会議をしていました」
「体良く遊びのネタにされてるのかよ……っ」
小学生に弄ばれる俺の恋って一体何なの?
今の俺にそれは酷いだろ……死人に鞭打つようなもんだぞ。
「俺が理不尽な形で彼女を失ったばかりってこと、遊音は分かってるよな?」
「はい。ですから、そのための作戦会議をしていたのです」
「ん? それはもしかして、俺の恋を応援する的な?」
「はい。てー子は最後まで渋っていましたが」
「そうだったのか! それは頼もし――。……、」
果たしてこれは喜んで良いのだろうか。
接点が皆無と言っていい繭との間に、妹とその友達という太いパイプができるのは大きい。
不本意な形ではあるものの、こうやって連絡先を手に入れることもできたわけだし。
いや、待て。
そうなると必然的に、この小学生達とも継続してコミュニケーションを取らないといけなくなるんじゃないか?
そもそもこの三人は戦力になるのか。
悪の味方に憧れるミラクルは恋のキューピッドなんて以ての外だろうし、汀子が素直に協力してくれるとは思えない。
頼りになりそうな遊音は、いざとなったら傍観者になってしまう。
「何か心配事が?」
「色々あるけど、一番不安なのは汀子が乗り気じゃないってところかな。また妙なことされたら逆に嫌われる可能性も……」
「繭さんは妹の言うこと為すこと全てを信じるような、浅はかな人ではありませんよ」
「それは何となく分かったよ。でも、最後に味方するのは汀子の方だろ?」
「大丈夫です。新たにてー子の弱みも握りましたし」
「そ、そうなのか。それを俺に教えてくれたりは」
「できません」
ですよね。
「ちょっとそこ! 何こそこそ話してんの!?」
繭との話が終わったのか、汀子は歯を剥き出しにしてこちらに矛先を向けた。
今なら分かる。
やたらと汀子がお冠なのは作戦会議のせいだ。
汀子からすれば、自分の姉が奪われる手伝いをするってことだしな。
「まあ落ち着こうよ汀子ちゃん」
「そうじゃなくて! さっきからお姉ちゃんが呼んでるでしょ!?」
「へ?」
汀子が指さす方に目を向けると、そこにはぼそぼそと何かを口ずさむ繭の姿が。
声小っさ!!
「ご、ごめん!!」
「気にしないで。何でもないから」
「……ちょっと拗ねてる?」
「拗ねてない」
へそを曲げてらっしゃる。
らしくないなと思ったけど、そんなことはないんだよな。
母子家庭という環境と、繭自身が纏っている雰囲気に惑わされがちだけど、彼女も中学三年生なのだ。
「気付けなくて、本当にごめん」
「……」
「その、何の話だったのかだけでも教えてくれないかな」
「ふふん。お姉ちゃんは一度機嫌損ねると一週間は口も聞いてくれな――」
「今日、夕飯も一緒にどうかなって。気が早いけど」
「あれぇ!?」
汀子の反応を見るに俺は歓迎されていないようだが、こんな二重に美味しい展開に乗らない手はない。
まだいまいち実感湧かないけど、俺は昨日から一人暮らしを始めたのだ。
一人の夕飯よりは想い人との食卓を選びたい。
「ご馳走になります」
「良かった。じゃあ、妹達のことをお願い」
「……え?」
「汀子達の代わりに、午後は私がお祭りの準備を手伝わないといけないから」
そう言って繭はせっせと二階に上がっていき、ものの五分でジャージ姿に着替えて出かけてしまった。
残されたのは高校一年の男子と、小学五年生の女子三人。
「どうしてこうなった!?」