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子供嫌いの無意識矯正  作者: 襟端俊一
第二話 恋という名の処方箋
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 そんな鬱屈とした気持ちも、さっきまでの話である。


 この胸の高鳴りは何だろう。

 艱難辛苦を乗り越えた末に何かを成し遂げたときの達成感。

 小学校、中学校、高校――新たな環境に飛び込む前の、恐怖心と高揚感。

 淡く透き通った清流のような、濁りのない純粋な感情。

 それらが入り混じった、得体の知れない何かが俺の心を浸食していた。

 胸が苦しい……こんな感覚、小学一年生のときの初恋以来じゃなかろうか。


「何ボーッとしてんの? 早く上がってよね」

「え? あ、ああ」


 汀子に急かされて、俺は転寝家の敷居をまたいだ。

 玄関には靴が綺麗に揃えられていて、既にミラクルと遊音も家に上がっている。

 俺が足止めを食らったのは、出迎えてくれた人物が原因だった。

 転寝繭うたたねまゆ

 中学三年生の、汀子の姉だそうだ。


 これがまあ、可愛いのなんのって!!

 一瞬、彼女にふられた直後に他の女の子に一目惚れってどうなの? って思ったんだけどさ。

 突如として灯った俺の恋の炎は瞬く間に体全体に燃え広がって、ついには罪悪感も吹き飛ばしてしまったんだ。

 つまり何が言いたいかというと。


 俺に春が来ました。


「だから、何ボーッとしてんのよ!?」

「汀子ちゃん、後でちょっと話があるんだけど聞いてくれるかな?」

「気持ち悪っ!! 何その猫なで声!」

「嫌だな。俺と汀子ちゃんの仲じゃないか~」

「ひっ――。お、お姉ちゃん助けて!!」


俺の豹変振りが余程気色悪かったのか、汀子はよりによって姉の繭に助けを求めに行ってしまった。


「ちょ、それは困る!」

「いやあああああ変態がああ――うぷ」


 既に食卓に着いているミラクルと遊音を無視して台所の方に行った汀子の後を追うと、エプロン姿の繭が立ち塞がった。

 俺は意気消沈していたのであまり覚えていないのだが、事前に繭に連絡を入れてご飯の準備を頼んでいたらしい。

 元々汀子は、自分で料理する気などサラサラなかったわけだ。


「落ち着いて」

「お姉ちゃん! コイツが急に優しくなって! キモくて!」

「よく分からないけど、汀子が迷惑掛けたんでしょう」

「そ、それは」


 繭の言葉に戸惑いを見せる汀子。

 良かった、俺の冤罪の件は繭にも伝わっている。

 これなら汀子が何を言おうと、そう簡単に俺に疑いの目が向けられることはない。

 いわゆる、オオカミ少年的な報いである。

 汀子を窘めた繭は、そのまま俺の前に立って頭を下げた。


「妹が迷惑を掛けました」

「あ、いや、全然気にしてないし! よくある子供の悪戯だよ。あははは」

「……本気で怒ってた癖に」


 口を尖らせた汀子が恨みがましく俺を睨んでくる。

 分かってないな汀子は。

 お前は繭に感謝すべきなんだ。

 俺の怒りは絶対だった。

 本来なら永遠に消えない類いの怨恨として、俺の心に刻まれていたはずだった。

 それを消し去ったのは他でもない繭だ。

 そういう意味では、何よりも俺が救われたのかもしれない。


 ……ん?

 なんか、ピーって音が……耳鳴りか?


「せめて、ご飯食べていって下さい」

「よ――喜んで! 良かったら何か手伝」

「おにーさんはこっち!!」

「お、おい」


 関節が外れる勢いで汀子に引っ張られ、俺の得点稼ぎはあえなく失敗に終わった。

 無理矢理食卓に座らされ、台所の様子を気にしつつ数分待っていると、待ちに待った女の子の手料理がやってきた。

 ぱっと見はただの素麺なのだが、冷やしつけ麺風の漬け汁が用意されていて、シソとミョウガの香りが食欲をそそる。

 とても良い出汁が出ているので、薄めればそのままスープとして飲めそうだ。


「いただきます」

「どうぞ」

「いただきまーす」「いただきます」「馳走になるとしよう!」


 チュルチュルと小気味よい音が食卓に木霊する。

 俺はというと、右隣に座ってジッとこちらを凝視している繭の視線が気になってあまり食事に集中できなかった。

 感想を求められてるんだろうけど、芸能人じゃなし、食べ物を口に運ぶ瞬間を見られるのはとても恥ずかしい。

 水泳で、息継ぎの瞬間を見られたくないのと近い感覚だ。

 いつまでも固まっているわけにはいかない。

 俺は意を決してつけ素麺を一口食べてみた。


「! 美味しい!」

「良かった」


 繭は口元を少しだけ緩ませて喜んでくれた。

 やっべ、可愛い!


「どんなもんよ!」

「お前は関係な――流石汀子ちゃんのお姉さんだな!」

「きしょっ!」

「冤罪のおにーさん……なんか変わった?」

「……成る程。そういうことですか」


 遊音の妙に納得したような一言に不安を抱きながらも、その後俺達は五把程あった素麺を残さず平らげた。

 一人一把の計算だけど、多分俺が一番食べてる。

 小学生の食欲に気を遣う余裕がないくらい美味しかったんだもの。

 空になった皿の中には、未だに氷が溶けずプカプカと浮いている。

 夢中になって食べ終えた何よりの証拠だった。



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