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俺は今、リビングで緑茶を飲んでいる。
何故こうなったのか、順を追って説明するとだ。
玄関のドアに貼られた張り紙を見た俺は、まず宿を探す羽目になった。
でも俺が厄介になることは事前に伝わっていた筈だし、こんな住宅街に宿泊施設なんてあるわけがない。だから、どうにか侵入できないかと考えたんだ。
そこで今一度張り紙をよく見てみると、米粒くらいの小さな文字で『鍵は石垣の何処かにあります』と書かれているのを発見した。
流石に冷や汗を掻いたよ。この家、石垣に囲まれてるからな。
そんなわけで探してる間に夜になってしまったんだ。
何とか家に入ることができた俺は、一通り散策してからリビングで一息吐いた。
屋内は随分と掃除が行き届いていた。
どうも家主がいなくなったのはごく最近らしい。
冷蔵庫の中も食材がたんまりと入っていて、如何にもお客さんを迎える直前という感じだった。
家の中が荒らされた形跡はなかったが、不安を感じた俺は最終手段として母さんに連絡した。
本当は極力頼りたくなかったけど、今回は例外だ。
電話した結果、親戚のお姉さんがどういう女性なのか発覚した。
何かあるとすぐに自分探しの旅に出てしまう、超が付くほどのネガティブ思考の持ち主で、今回も本当にただ旅立ってしまっただけなんだとさ。
忘れた頃に帰ってくるから安心して、とのこと。
他に家族がいないことも分かったので、俺は開き直って一人暮らしを満喫する! と決意を固めた。
んで、早速高級そうな茶葉を使って緑茶で一服していたのだ。
「くつろいでる場合じゃないんだけどな……」
お金は適度に口座から下ろせば問題ない。
食材も豊富に用意されていたので、工夫を凝らせば夏休み中は保つ。
電気もガスも水道も無事。
洗濯はしたことないけど、携帯で調べれば何とかなるだろう。
ネット環境も整っていたし、後から届く予定のパソコンも使える。
目下一番解決すべき問題は、転寝汀子という名の小学生に関してだ。
あの子が持っている、俺の恥ずかしい台詞の録音データを何としてでも消去しなければならない。
手っ取り早い方法をとるなら、スマホ自体を破壊してしまえば良い。
さっきは子供の脅迫に屈してしまったけど、悪いのはあの子達なんだから。
強引に奪い取って、「どうだ参ったか! これに懲りたら、二度と脅迫まがいの悪戯なんてするんじゃねーぞ!」と言い放つ。
……大人げねぇー……。
都合の良い台詞なんかじゃなく、本当の意味で大人げないぞこれは。
強攻策をとらないなら、気付かれないようにスマホを拝借して、データだけ消して返す方法もある。
けどこれにはもう一人か二人、協力者が必要だ。
明日も来るであろう遊音が適任だが、果たして協力してくれるだろうか。
彼女は中立の立場を重んじていた。
例え悪いことだと分かっていても、友達を裏切るような真似はしないかもしれない。
「くそ……くそくそくそ!!」
何なんだよ。何で小学生の言いなりになってんだよ。
俺、高校生だぞ?
それが何で弱み握られてビクビクしないといけないんだ?
「くそったれが! ガキにスマホなんぞ持たせてんじゃねーよ!! これだから子供を溺愛する馬鹿親は! モンスターなペアレントめ!」
いくら悪態を吐いても反応はなく、ただただ空しさだけが募る。
分かってるんだ。
ただ溺愛してるからってだけじゃなく、子供の安全のために持たせてるってことは。
防犯ブザーだってその延長上の産物だ。
それが当たり前になったのも、子供を狙った大人――クズ犯罪者のせいだって、ちゃんと分かってるよ。
だけど。
そういった道具を悪質な悪戯に使う子供もいるってこと……大人は分かってるのか?
守る守るって言って、視野が狭くなってないか?
「はあ……」
頭の中が一年前と同じ暗闇に覆われていく。
全く……誰に対して文句言ってるんだ俺は。
今回の件は、自分の身の安全を最優先にするあまり、身近な危険に気付けなかった俺の不注意が原因じゃないか。
いつもの俺なら絶対に気付けていた。
あんなあからさまな台詞を聞かされた時点で、怪しんでいた。
それでも分からなかったのは、決心が鈍っていたからだ。
もう一度信じてみようなんて、何をトチ狂っていたんだ。
改めて子供への怨みを増幅させた俺は、夕飯も取らずに明日の対策を練りながらリビングのソファーで就寝したのだった。