4
時刻は午後二時二十分。
思わず目を瞑ってしまうほどに日差しが強く、クーラーの効いた部屋から出た直後というのもあってとても暑い。
この町に着いたのが十時くらいで、神社で災難に遭ったのが一時前だとすると……大体一時間半で解放されたことになる。
反抗的だった俺は、軽く二、三日は拘束されてもおかしくなかった。
運が良い、などとは微塵も思わないが。
白線の上を歩いたりジャンプしたりと忙しなく歩く、自称悪の味方。
終いには塀の上の猫に声を掛ける始末。
それを見た俺は堪らず割って入った。
「あの子は何処で待ってるんだ?」
「この先のアジトだよ!」
「アジトねぇ」
秘密基地だろうか? と予想しつつ根気よく並んで歩いていると、遠くに何処かで見た顔を見つけた。
俺が拘束される直前まで喋っていた、おかっぱ頭の女の子だ。
自称悪の味方は緑のジャージのままだが、あの子はやたらとヒラヒラした服装に着替えていた。
彼女がいたのは公園の入り口で、柵に座って相変わらず携帯ゲーム機を手にしている。
「こんにちは。無事で何よりです」
「いけしゃあしゃあと……」
そもそも、この子があの瞬間に俺を庇ってくれればあんな大事にはならなかったんだ。
しかも何が起こるかを事前に察知して、巻き込まれないように身を隠していた。
そこまで頭が回るなら俺を助けることもできただろうに。
「何か不満が? 私は最善の選択をしたと思いますが」
「なんか子供と喋ってる気がしないな……。俺がロリコン犯罪者の疑いをかけられることが最善だったってのか?」
「一緒になって防犯ブザーを鳴らした方が良かったですか?」
「……」
想像しただけで恐ろしい。
悪戯だったとしても、被害者を名乗る人物が一人と二人とでは全く違う。
悪戯する方も二人だと心強いものだしな。
恐らく彼女の最善の選択とは、自らは罪に荷担せず、友達も裏切らないという言わば傍観者の立場をとることだ。
彼女の言う通り、友達の味方をしなかっただけ助かった。
小学生の気まぐれで首の皮一枚繫がるというのは情けない話だけど。
「こっちです。てー子が会いたがってます」
「何なんだその、悪の組織のボスに会わせるようなテンションは。君達の中で流行ってるの? 悪の味方ごっこ」
「いいえ。私達はミラクルに合わせているだけです」
「……ミラクル? この子の名前、ミラクル!?」
柵の上によじ登って綱渡りに興じている小学生を指さす。
いくらなんでもミラクルはないだろ。キラキラネームってレベルじゃねーぞ! もしかしなくても、彼女が悪に憧れるのはこの名前が原因なんじゃなかろうか。
「いえ、彼女の本名は夢路奇跡です。ちなみに、私は丘葉遊音といいます」
「あだ名か」
英語にしただけ、というのが如何にも小学生っぽいセンスだ。
ただ、意味は同じでも元の名前で呼ぶ方が良い気もする。本人の希望だろうか?
そしてこの子は如何にも最近の名前という感じだな。
ま、この子達の名前なんてどうでもいいんだけど。
今まで聞かなかったのは、関わり合いになりたくなかったからこそだ。
「もう良いですか? あまり待たせるとてー子の機嫌が悪くなりますよ」
「何様なんだよあの子は」
絶賛綱渡り中のミラクルを置いて、俺と遊音は公園の中に足を踏み入れた。
公園というスポットは、俺のトラウマの原因となった場所だ。
できれば近付きたくなかったけど……子供に恨みを買うというのは恐ろしい。
これからこの町で生きていく俺にとっては重すぎる足枷だ。
この際、一発引っぱたいて分からせるというのも一つの手だと思うんだよ。
世の中は体罰を控える風潮だけど、口で言っても通じない子供ってのは確かにいるんだからさ。
それを俺がやったら確実に逮捕されるから、その役目は是非とも年配の女性に任せたい。
「見たところ何処にもいないんだけど。本当にここにいるの?」
ゴンドラ型の大きなブランコや雲梯、妙なオブジェ、広い砂場、巨大なジャングルジム、コンクリートマウンテンと一緒になった滑り台……オーソドックスな遊具が置いてあるものの、姿を丸々隠せるようなものは少ない。
缶蹴りや隠れんぼには向いていない公園だ。
「ミラクルから聞いていませんか?」
「アジトってのはこの公園のことじゃないの?」
「アジトというネーミングだけは、私も賛成です」
遊音はそう言って公園のど真ん中で立ち止まった。
そしてその場でしゃがみ込むと、徐に地面を『掴んで』持ち上げた。
「!?」
「この下がアジトです」
「……まじで?」
彼女が持ち上げた地面と思しきものは、表面に砂がコーティングされたブルーシートだった。
テレビのドッキリ企画でよくやる、落とし穴のカモフラージュ的な奴だ。
シートの下は分厚い鉄板でできた蓋がしてあって、穴に落ちるといった心配はない。
「結構深いな」
昔の防空壕がそのまま残っているのかもしれない。
ハッキリ言って、俺はこのときワクワクしていた。
だって公園のど真ん中に地下の隠し部屋だぜ? 男なら誰だって冒険心をくすぐられるって。
梯子で縦穴を下りていくと、汗ばんだ肌に心地良いヒンヤリとした空気が俺を包んだ。
天然のクーラーボックスのようで、ここにいれば暑さの心配はいらなそうだ。
心なしか甘い香りも漂っている。
「早く行って下さい」
「あ、ごめん」
ここで頭上を見上げるなんて愚かな行動は取らない。
誰が好きこのんで小学生のパンツなんて見るかよ。
スカートに着替えていることに気付いた瞬間に、この展開を予期していた俺に油断は無――っ!?
「おい、首がっ」
「早く行かないのが悪いんです」
せっかちなのか、遊音は俺の頭をエレベーター代わりにして悠々と梯子を下りるつもりらしい。
当然ながら俺の頭は絶賛スカートの中に収まってしまっている訳だが、ちゃんと目を瞑っている。抜かりはない。
だが全体重を首だけで支えるのは流石に厳しかった。
お、重い……最近の子供って体重半端ねぇな!
気を抜いたら一気に下まで落っこちそうなので、慎重に慎重に、一段一段下りていく。
筋トレとかでもそうだが、ゆっくりやると余計に負担が掛かる。
俺の筋肉はかつてないほどに痙攣していた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「息を荒くして小学生のスカートの中に顔を突っ込む高校生」
「その状況を作り出したのはお前だろうが! というか、嫌なら梯子使えよ! って――もう梯子に手も掛けてないじゃねーか!!」
「人は便利なものに弱い」
「人の頭を科学の進歩みたいに言うんじゃねぇ!!」
この子に悪意がないのがせめてもの救いだ。
事実はどうあれ、今の状況を第三者に見られたら間違いなく犯罪者扱いされる。俺自身ですらそう思うのだから確実だ。
「ほ、本当に変態だった!?」
そうそうこんな風に――
「あ、あわ! 違っ」
真下からの声に思わず動揺する。
俺を犯罪者一歩手前まで追い込んだ件のツインテール小学生が、騒ぎを聞きつけて梯子の様子を見に来ていたのだ。
「この――!! 待ってて、ゆーね。今すぐ警察呼ぶからっ」
「待て待て待て! よく見てくれ! 俺は目を瞑ってる! この子は自ら俺の頭に乗ってリラックスしてるんだよ! 分からないのか!?」
そのまま午後のティータイムに突入してもおかしくないくらいに、頭上の小学生はくつろいでいる。
ミラクルもそうだったけど、この子達は男に対する警戒心がなさ過ぎるな。
スカートの中に男の頭がある時点で嫌悪感を示せよ。
「……本当なの? ゆーね」
「うん。プルプル揺れるけど、座り心地は妥協できるレベル」
「お前……っ」
怒りをグッと堪え、頭の上に乗った姫を落とさないよう、ゆっくりと梯子を下りきる。
ようやく首の負担から解放された俺は、骨に異常がないか確かめようとストレッチを始めた。
ゴキゴキと嫌な音がするものの、痛みはほとんど残っていない。
これなら接骨院の世話になる必要はなさそうだ。
「ふぅ……」
「小学生のスカートの中を堪能して、満足の溜息」
「熱いお茶飲んだ後に、あぁ~って言う奴みたいなもの?」
「どっちも違ぇーよ!! ……って何ここ!?」
突っ込んだ拍子に、ツインテール小学生の真後ろの光景が俺の目に飛び込んできた。
そこには、目が痛いほどのどピンクを基調とした八畳ほどの部屋があったのだ。
縦穴よりも大きいサイズの本棚も、動物園が開けるほど多種多様なぬいぐるみも、大人が使っていそうな化粧棚も、折りたたみ式のベッドも、昭和のドラマに出てきそうなちゃぶ台も、お菓子が大量に置かれているラックも、暗闇に灯るキャンドルも、クーラーボックスも、カーペットも、土の壁でさえも。
全部が全部、ピンク。
ファンシー? メルヘン?
人の趣味嗜好をとやかく言うつもりはないけど、ここまで来るとちょっと引くな。
「入るときの俺のワクワク冒険心を返してくれ!」
「女の子のアジトですから」
「それにしたってだな……。え、何? 秘密基地って、女の子が作るとこうなっちゃうの?」
「ふふん。どうよ、これ。クラスの女子だけで作ったアジトなのよ?」
「クラスって、女子全員で作ったのかよ」
「はい」「だからそう言ったでしょ」
二人は声を揃えて自慢げに言うが、最近の女子小学生としてそれはどうなんだ? 男の人生をぶち壊すような悪戯をするよりかはよっぽど健全だけどさ。
「女子全員で共有してるアジトって訳か」
「感心した?」
「身の危険を感じた」
つまりここは、複数の小学生が集まるランデブーポイント。
こんな所にいるだけで俺の人生のタイムリミットは刻々と削られてしまう。
主にストレス的な意味で。
「まあ……このアジトのことは置いといて。君、俺に用があるんだろ?」
「君じゃない。転寝汀子。小五!」
「あ、やっぱり五年生か。俺は虎間勇気……ってそうじゃない!」
「おにーさんってさ。ウィキペディアでしょ」
「唐突に何を言うんだ。俺はそこまで物知りじゃないぞ」
「てー子、違う。『ミソペディア』」
「あ、そうそうそっち」
「味噌にも詳しくないぞ?」
「そうじゃなくて! ゆーねがネットで調べたんだけど、ミソペディアっていうのは」
「子供嫌い、という意味です」
「―――」
予想外の遊音の一言に俺は絶句した。
素直に謝ってもらえるとは思っていない。
むしろ俺の方から謝ろうとしていたくらいなんだから。
俺が驚いたのは、自分の本質をいとも簡単に見抜かれたことだ。
俺は基本、子供と関わろうとしないし愛想を振りまくこともない。
でもそれだけで子供嫌いと断定はできないし、ただ態度が悪いだけとも受け取れる。
なにかとロリコンだ何だと疑われる昨今において、ピンポイントで子供嫌いを指摘されることは非常に珍しいんじゃないだろうか。
それも、子供に言われるなんて。
「やっぱりね」
「……それで?」
「ゆーねから、アタシの好きな人のこと聞いたんでしょ? なら、おにーさんも悪いって分かるよね」
「…………多少は」
「だから、ここはお互い謝らないで、おあいこってことでどう?」
「………………、」
はあああああ!?
こっちは危うく前科が付くところだったんだぞ!?
仮にこの子がふられた原因が全て俺にあったとしても、罪の比重は比較にならないはずだ。
こうも開き直られると、大人の対応を取ろうとしていた俺が馬鹿みたいじゃないか。
俺の昂ぶりとは裏腹に、汀子は平然としている。
おまけにこんなことまで言ってきた。
「ミソペディア(それ)さ、直した方が良くない? おにーさんの今後のためにも」
「あのな……。転寝さん? の、あーいう悪戯のせいで俺は子供が大嫌いになったんだが」
「それ、矯正しようよ」
「矯正すべきなのはテメー等の性根だよ!!」
もう我慢できるか!
「あ、ほらそれ。言葉遣い悪いし威圧感たっぷりだし。もうちょっと優しくできない?」
「くっ……。そ、そういう、君こそ、タメ口じゃないか」
「だってアタシは子供だもん」
「……」
駄目だ。失敗した。
おあいこと言われた時点で納得して、すぐに帰れば良かった。
ここでこれ以上小学生と会話を続けても、俺のストレスが増すだけ。
百害あって一利無しである。
遊音に助けを求めようとも思ったが、彼女はいつの間にカーペットの上に腰を下ろして、キャンドルをジッと眺めるという作業に没頭していた。
「ちょっと。何余所見してんの?」
「あーはいはい。で、俺は何をすれば良いんだ」
ここは初心に帰って、一刻も早くこの場から避難することを最優先としよう。
そのためにも彼女の機嫌は損ねないようにしなければ。
「とりあえず、小学生大好き! って言ってみて」
「言えるか!!」
「えー。何で?」
「何でって……どう考えてもその台詞はおかしいだろ。小学生限定で好きみたいじゃないか。俺が大嫌いなのは子供全般!」
ま、その中でも子供の体に中途半端な大人の知識を併せ持つ、小学校高学年くらいの子供が一番嫌いなんだけどな。
「じゃあ、汀子大好き! って言って」
「それ転寝さんの名前じゃん。何でまた」
「ソフトなところから慣らしていく方が良いと思って」
「何処がソフトなんだよ。……ったく、仕方ないな」
この子はふられた直後だ。
言葉だけでも好きと言われたいって気持ちは分からんでもない。
俺も経験あるけど、ふられた直後って自分のことを超過小評価しちゃうんだよな。慰めでも何でも良いから、とにかく優しい言葉が欲しい。
逆に放っておいてほしいタイプも多そうだけど、この子は違うわけか。
「じゃあ、言うぞ?」
「早く早く!」
「俺は汀子のことが好きだ」
「……、」
転寝汀子は自分で要求しておいて赤面していた。
うおおおお……と、鳥肌が! 形だけとはいえ、小学生の女の子相手に告白はきつかった。
体に拒否反応が出てるよ。
「……はい、カット!!」
「ん、何が?」
「上手に録れました~」
そう言って転寝汀子はスマートフォンの液晶画面を俺に見せつけた。
成る程、確かに小学生には分不相応な最新機種だな。
「スマホを見せびらかしたいのは分かった」
「違うってば。ちょっと待ってて、今再生するから」
「再生……?」
訝しげに薄ピンクのスマホを見つめていると、
『俺は汀子のことが好きだ』
どこかで聞いたことのある台詞が再生された。
…………………………………………………………………………………………、
あああああ!?
しまったそういうことか俺は阿保かああああああああああああ!!
「悶絶してるとこ悪いけど、話進めて良い?」
「――おらぁ!!」
「きゃあ!!」
素早くスマホを奪おうとしたが、子供ならではの身のこなしで躱されてしまった。
しかしここは引けない。
あんな物的証拠を持ち歩かれては、俺はもうこの先の人生を生きていけない! 力尽くでも奪い取る!!
「大人しくしろ……そうすれば痛い思いはしなくてすむぞ……」
「……おにいさん。冷静にならないと、本当に犯罪者になってしまいますよ」
「――はっ」
キャンドルを見つめていた遊音の声で、俺は我に返った。
そうだよ。
例え俺に非がなくても、強引に奪おうものなら訳の分からない罪状が自然とくっついてくるんだ。
子供はそういう存在なんだ。
「く、くそ……何が望みなんだ」
「ふ、ふん。落ち着いた? おにーさんには、明日からアタシの言うこと何でも聞いてもらうから」
「明日!?」
しかも『から』って何だよ。
まるで一回二回じゃ終わらないみたいじゃないか。
「今日はまだ、おにーさん危険だし。襲われちゃいそうだし」
「ぐぬぬ……」
今さっきスマホを強奪しようとしていた手前、反論できない。
隙を見て奪うつもりだったのを見透かされたか。
「それにアタシ達、お祭りの準備を午前中サボっちゃったからそろそろ行かないといけないの。明日の朝十時にこの公園に集合で」
「ということで、さようなら。また明日会いましょう」
二人は一方的に明日の予定を決めると、すぐさま梯子を登ってアジトから出て行ってしまった。
強烈な敗北感に歯噛みしつつも、俺は律儀にキャンドルの火を消してから地上に戻った。
公園内にミラクルの姿はない。二人と一緒に行ってしまったのだろう。
これで俺は道案内を失ってしまった。
頼りになるのは写真の裏に明記された住所と、女性警察官の書いた落書き。
軽く絶望しながら歩いていた俺だったが、幸い朝と違って人とすれ違うことも多く、夕方までに辿り着くことができた。
うん……夕方までは掛かったんだ。
俺の噂、どうやら結構な人数に知られてしまったらしくて。
誤解が解けたことも噂として広まってるんだけど、第一印象が第一印象だっただけにお互い気まずくてさ。
道を聞くだけでも結構勇気が必要だった。
「ここが……俺がお世話になる家か……。随分と立派な一軒家だな」
石垣でできた塀に囲まれた、二階建ての庭付き一戸建て。
親戚のお姉さん、写真で見る限りとても綺麗な人だった。
多分結婚してるだろうけど、家族構成とか全く聞いてないからな。
もしかすると一人暮らし? だとしたら思春期の男子高校生としてちょっと期待してしまう。
不幸続きの俺に、それくらいの幸せが訪れても良いよな?
だが、このときの俺は表札に名前が無かったのを見て一抹の不安を抱いていた。
そして玄関のドアに視線を送った瞬間、俺の不安が不幸の前兆だったことに気付かされた。
ドアにはこんな張り紙が貼ってあったのだ。
『旅に出ます。探さないで下さい』
「ふざけるなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」