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手早く携帯を開き時刻を確認する。
午後八時過ぎ。
だが、それよりもメールの着信があったことを示すマークが目に付いた。
遊音からのメールだ。
『てー子を見ましたか?』
いまいち要領を得ない内容に首を傾げた俺は、メールではなく電話をかけた。
コール音が二、三回聞こえたところで遊音が出る。
『もしもし』
「あ、遊音か? 今メール見たんだけど、汀子がどうかしたのか」
『お化粧直ししてくると言って、いなくなってしまったのですが』
「乙女かよ!」
いや乙女だけど。
化粧をする必要がない貴重な時期に何を気にしてんだか。
……待てよ。
「なあ、汀子って今まで化粧なんてしてたか?」
『まったく。なので、ただトイレに行ったのかと思っておにいさんに聞いたんです』
「そういうのって女同士でもハッキリと言わないもんなのか……。汀子、こっちじゃ見てないぞ。流石に女子トイレの中までは分からないけど」
『そうですか。とりあえず合流しませんか? 繭さんも心配してます』
「心配って……トイレに行っただけだろ?」
『直前にスマホを弄っていたのが気になるみたいなんです』
「!!」
汀子の奴、まさかケイスケ君の誘いに応じたのか!?
あんなことがあった後に?
いくら汀子でものこのこ付いていくとは思えない。
それとも、やっぱりケイスケ君のことが忘れられなくて……?
「いや、違う!! あいつ、一人で先走りやがったな……!!」
『え?』
「悪い! 電話なんてしてる場合じゃなくなった! 切るぞ」
『せ、せめて説明を――』
遊音の言葉は届いていたが、俺は迷わず人混みをかき分けて走り出した。
様々な屋台の残影を視界の端に捉えながら、ペース配分など考えずに全速力で。
遊音なら俺が説明しなくとも自力で事態を把握できるだろうが、何よりも邪魔してほしくないという気持ちが強かった。
既に汀子がいるとなると、遊音まで加わったら余計に話がこじれてしまうから。
ただ、友達が自らの身を危険に晒していると知れば、放っておけないのも当然だ。
これで俺の大仕事には制限時間が付加された。
「上等だ……!!」
はやる気持ちと感情の昂ぶりを抑えながら、しっかりと地面を踏みしめる。
真夜中の暗闇に不気味な光を放つ鳥居を抜け、向かう先はケイスケ君がいるであろう公園だ。
公園までの道は、この町に来て一番始めに覚えたので迷うことはない。
汀子と直接連絡を取ろうか、とポケットにしまった携帯電話を何度も握り締める。
ケイスケ君に呼び出されたのなら、汀子はまだ一人かもしれない。
きっと汀子は、ケイスケ君に一泡吹かせてやろうと考えてる。
ケイスケ君の計画よりも早く、汀子がアジトの惨状を知ったことを利用して。
汀子は元々責任を感じていたから、一人で解決できると踏めば迷わないはずだ。
今の俺と何が違う?
遊音への説明を無視して形振り構わず走っている俺と、全く同じじゃないか。
俺が電話やメールをしたところで、絶対に汀子は無視する。
むしろ俺が来ると知ってたら、早まった行動に出る可能性だってある。
トイレにいた男子二人の話では、公園に集まっているのは汀子のクラスの男子全員だ。
男子だけとはいえ、少なくとも十人以上は公園に集結しているはず。
しかもその目的である『圧倒的力の差を見せつける』ことは、汀子がアジトを見てしまったことで不可能。
状況が変われば男子達がどんな行動に出るか分からない。
最悪――
「!!」
嫌な想像を膨らませる直前、俺は急ブレーキを掛けて傍にあった自動販売機に隠れた。
この道をまっすぐ行けばゴンドラ型のブランコが見えてくるはずだが、その途中に子供数人の人影が見えたのだ。
一人は両手で後頭部を押さえて気怠そうに歩いている。
両隣の二人はどちらも項垂れていて、明らかに生気が感じられない。
自動販売機の光にたかる蛾に纏わり付かれながら様子を窺っていると、三人はそのまま公園の敷地内に消えていった。
「あの感じだと、汀子はまだ暴れてないみたいだな」
姿勢を低くして、背後に気を配りながら公園に近付く。
遠目から見た限りではとても男子十数人が潜んでいるとは思えないが、何人かはその姿を確認できた。
入り口は……開いている。
既に汀子はアジトの中か。
となると、その反応を見たいであろうケイスケ君もアジトの中にいる。
汀子が行動を起こすのはいつだ?
こうして何も起こっていないのは、アジトの中で汀子が演技を続けている証拠でもある。
地上に上がってからじゃ、流石の汀子も萎縮してしまう。
男子十数人に女子一人が囲まれる状況なんて味わわせたくない。
俺が割って入って邪魔するべきか。
それとも汀子の気持ちを汲んで、ギリギリまで様子を見るか。
街灯の光が届かない、公園の隅の暗闇に身を潜めながら究極の二択を思案する。
そんなときだった。
アジトの入り口から一人の男の子が出て来た。
ハッキリとは見えないが、風貌からしてあれは間違いなくケイスケ君だ。
何やら周囲に向けて手招きしているのが分かる。
すぐに手招きに応じて男子がそこら中から姿を現した。
あ、危ない。
俺のすぐ傍からも出て来たぞ。
これから汀子が出てくるから、そのために男子を呼び寄せたってところか?
予想通り、アジトからはゆっくりと汀子が顔を出した。その表情はどんよりとしていて演技を続けていることが窺える。
が。
アジトの周囲を男子に囲まれている状況を知った途端、汀子は一気に取り乱し始めた。
ひっそりと静まりかえった公園内に、汀子の震える声が響く。
「な、なんなのよアンタ達!! こんな大勢でアタシをどうする気!?」
「……転寝さん、随分余裕だね?」
「あっ。――そ、そうよ。あんなの見せられたって、別に何とも思わなかったんだから!」
今、ハッキリと分かった。
汀子は勢いだけでここまで来たんだ。
作戦も何もねぇ!
「そんなはずは……あ、そうか。先に見られちゃったんだね。あの高校生の入れ知恵?」
「たまたま見ちゃっただけよ!!」
「ふーん……」
ケイスケ君は口に手を当てて何やら考えている。
俺が高校生ってことまで知ってるとはね。
やっぱり、気付かないところで尾行されていたのか。
「ま、それはいいや。本当の目的は別にあるしね」
「え?」
「実は転寝さんを呼んだのは、これから行う予定の壮大な計画に協力してもらうためだったんだ」
ボディランゲージを混ぜて大げさに説明するケイスケ君。
悪の組織のボスみたいだなこの子。
一歩間違えたらミラクルが惚れていたぞ。
しかし……汀子を嵌める以外にもまだ何か考えてるってのか?
「け、計画?」
「勿論、君に報酬も用意してあるよ。手伝ってくれたら……転寝さんと付き合うことを約束する。どうかな?」
「――!!」
周囲の男子がざわつき始めた。
壮大な計画のことも含めて、誰一人聞かされていなかったんだ。
これがケイスケ君のやり方。
知らないうちに巻き込まれて、気が付いたときには引き返せないところまで連れてこられている。
この状況じゃ、自分は関係ないなんて絶対に言える訳がない。
「……計画って何をするのよ?」
「あの高校生を性犯罪者に仕立て上げる」
!?
「え」
「どうだい? 悪くない話だろう」
「な……なんでそんなこと。おにーちゃんは関係ないでしょ!」
「関係ないことないさ。僕はここ最近、転寝さんの行動をずっと監視してた」
「ずっと……!?」
汀子は肩を抱いて震え上がった。
ケイスケ君の不審な行動については伝えてあったが、本人の口から直接、しかもずっと監視してたなどと公言されては気持ち悪さ五割増しだ。
「転寝さんがあの高校生と親しいのは明白だ。心を許しているのもね」
「だから! それがどうしておにーちゃんを嵌めるって話になるのよ!!」
怒号混じりの汀子の追及に、ケイスケ君はハァ、とわざとらしく溜息を吐き、
「転寝さんは僕のことを好きと言ったのに、その直後に年上の男子高校生にうつつを抜かしてる。それは何故か? そう考えたときに分かったんだ。転寝さんはあの高校生に騙されてるんだってね」
「な、何それ……っ。ケイスケ君はアタシをふったじゃない!! その後にアタシが誰と仲良くしようと、アタシの勝手でしょ!?」
「でも転寝さん。僕がお祭りに誘ったとき、凄く喜んでくれたじゃないか。あれは、本当に好きな人が誰なのかを思い出したからじゃないの?」
「あのときは色んなことが重なって……!」
「君を惑わせた高校生に仕返しをする。そのためには、少し前に転寝さんがやった方法がもっとも効果的だ。あのときは転寝さん一人だったからすぐにバレたけど、僕達が協力すればもっと凄いことができるよ。そうすれば、僕と転寝さんの間に障害はなくなる」
俺は今にも飛び出しそうな程に憤っていたが、何とか理性を保つことができた。
ケイスケ君の行動原理の根っこは、最後の言葉に集約されていたから。
『僕と転寝さんの間に障害はなくなるよ』
犯罪者を庇う弁護士のように色々と抗弁を垂れて誤魔化していたが、結局は自分の思い通りにならないことが悔しくて地団駄を踏んでいただけなんだ。
けど、ここに来て俺はケイスケ君の気持ちが理解できた。
自分に告白してきた女の子が、すぐに別の男に言い寄っている。
その光景を見たら、例えふっていたとしても男なら納得がいかない。
何故なら、『すぐに気持ちを切り替えられる程度の気持ちだったのか』という理不尽な怒りが生まれるから。
告白の返事が本心じゃなかったり、咄嗟に断ってしまったりだったとしたら尚更だ。
だからケイスケ君は、からかわれたと思って汀子に仕返しをした。
しかしそれが失敗に終わり、ケイスケ君は即座にターゲットを切り替えた。
これまでの経緯を思い出して、情報という名のピースを違和感なく組み合わせ、俺を罰することの正当性を主張し、汀子との和解の道を模索した。
汀子達の大切なアジトを滅茶苦茶にしたことそっちのけで。
ここまで来れば流石に分かる。
ケイスケ君は、告白された後に汀子を好きになったんだ。
遊音の口ぶりだと、ケイスケ君には他にも色んな前科があるようだった。
そうじゃなくても盗撮は度が過ぎた悪戯だ。
許されることじゃない。
でも。
それでケイスケ君の人格そのものを否定しちゃいけない。
それだけでケイスケ君の価値を決めちゃいけない。
悪意の塊だと決めつけていたら、きっと汀子への気持ちなんて信じられなかった。
可能性としては何度も考えていたけど、有り得ないと断じていた。
諦めるな。
目を背けるな。
あそこで汀子と対峙しているクソガキは――
まだ戻れる場所に居る!!