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午後七時を過ぎた頃。
お祭りで夕飯を済ませるつもりの繭が手料理を振る舞ってくれるわけもなく、俺達は腹ぺこのまま転寝家を後にした。
汀子達の浴衣はそのままに、繭も紅色の浴衣に着替えている。
そのあまりの可憐さに、俺は顔が変形してしまうくらいに鼻の下を伸ばしたよ。そのせいで汀子に蹴り飛ばされた。
少し前の俺なら理不尽な暴力と一喝していただろうけど、『姉を変な目で見るなという怒り』と、『ヤキモチ』が混ざっていると考えれば我慢できる。
一人っ子の俺としては、可愛いとすら思えるよ。
我ながら凄い進歩だ。
俺が貸してもらった浴衣はなんていうか、旅館で温泉から出た後に着るような奴だ。
どういう訳か汀子以外には好評だった。
男が女の子の浴衣姿を良いと思うように、女の子にも同じ様な感覚があるのだろうか。
空きっ腹に思い切り帯を締められたのでとても苦しいのだが、お金の節約には好都合かもしれない。
ちなみに、お金が足りないという悲しい結末だけは避けたかったので、着替える前にコンビニでおろしてきた。
母さんの補聴器を買うために貯めたお金の残りなので、気兼ねなく使うことができる。
……ごめん、嘘。
お兄ちゃん代わりと慕われていようとも、子供相手に無償でお金を使うってのはやっぱり嫌だ。
とはいえ一度言ったこと。
どうせならとことん楽しんでもらわないとな。
夜の歩道を、街灯と大量の提灯が照らす。
提灯は神社までの道しるべとなって延々と続いているので、これを辿っていけば自然と到着する。
「びっくりだよ! 冤罪のおにーさん、似合ってる!」
転寝家で着替えたときからミラクルの称賛の言葉が止まらない。
ここまで手放しに褒められるとくすぐったいぞ。
「さんきゅ。ってか、ミラクルにもそういう感覚あるんだな」
「ミラクルは、アニメに出てくるような渋い悪役っぽくて良いって言ってるのよ」
「ああ……」
剣豪かな。
確かに悪っぽくはある……か?
ミラクルの言う悪って、実は相当ストライクゾーン広い気がする。
「でも本当に似合ってますよ」
「遊音は素直で可愛いなぁ」
「恐縮です」
相変わらず使う言葉は大人びてるけど。
「……アタシが素直じゃないって言いたいの?」
「汀子だけだからなー。褒めてくれなかったの」
「あ、アタシだって時代劇のやられ役みたいって褒めたじゃない!」
「心の底からそう思ったのなら超ショックだよ!」
時代劇のやられ役って、殺陣で大げさにぶっ倒れる人達だし。
どう考えても褒め言葉じゃないよな。
その点、繭は優しかった。
「? 何?」
「いや。俺の浴衣が本当に似合ってるんだとしても、繭には負けるなって」
「ありがとう」
照れ臭そうに笑う顔もこれまた可愛い。
――おっと。油断すると俺の顔が緩んでしまう。
咄嗟に視線を逸らして遊音に話しかけた。
「そういえば、他の友達と会えるんじゃないか? 昼に行ったときも見かけたんだけど」
「どうでしょうね。お祭りどころじゃない子も多いですし」
「宿題か」
数え切れないほどの先人達がこの疑問を抱いただろうけど、今一度言わせてもらおう。
夏休みの宿題って必要か?
「ちなみに、うちの姉とミラクルのお姉さんは部屋に篭もっています」
「そ、そうなんだ。繭は手伝ってあげないの? 同級生なんだよね」
「本人のためにならないから、見捨てた」
「良い判断だ」
汀子とミラクルは耳が痛いのか、そそくさと早足で前に出た。
にしてもミラクルの所は姉妹両方とも駄目駄目なのか。
兄妹ってのは何だかんだでバランスの取れてるものだと思ってたよ。
哀れみの視線で前を歩く二人を見ていると、ようやく祭り囃子が聞こえてくる。
「なんか……随分と激しいな」
祭り囃子は地域によって様々だけど、使われる楽器は笛や和太鼓といった和楽器がほとんどだ。
でも今聞こえているこの祭り囃子は、ドラムやベース、ギター、それらの音をキーボードで再現したように電子的で、思わず顔をしかめてしまう程に異彩を放っている。
「先生のオリジナルだからね」
「先生?」
「私達の音楽の先生です」
「……凄いな。音楽の授業だけじゃないんだ」
祭り囃子を作って、実際のお祭りで流すなんて町全体に認められないとできないだろ。
「他に、駅のアナウンス前に流れる曲なども手がけてます」
「私の中学の校歌も、確かそう」
「手広っ。そりゃ課題もオリジナルになるわな」
学校の先生という枠組みを飛び越えてる。
俺が通う学校にも個性豊かな先生がいたりするんだろうか。
新しい学校に通うこと自体それほど乗り気じゃなかった俺も、ちょっとワクワクしてしまう。
新しい出会い、か。
でも、その前にやらなければならないことがある。
一年前の俺にはできなかったこと。
間違いを犯した子供に対して、真剣に向き合えなかった。
子供全てを毛嫌いし、不干渉を貫いた。
仮にケイスケ君が暴力に訴えてきても、軽くいなしてやる。
形振り構わず子供の武器を使ってきても、絶対に怯んだりはしない。
救いようのないクソガキを、ただの生意気なガキに更生させてやる。
今度こそ。
「お、見えてきた~。賑わってますなぁ」
ミラクルの指さす先には、暗闇の中で一層の存在感を放つ鳥居が。
さて。
大仕事の前に、まずはホストとしての責務を果たしますか。