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「勢いそのままに飛び出してきたのは良いですが……おにいさん、アテはあるんですか?」
「ほとんどないさ。でも少ないからこそ可能性は高いと思う。手分けして探そう」
「私はどうすればいい?」
「繭には一番汀子が居そうな場所……自分の家に行ってもらう」
家出とは少し違うけど、家を飛び出した子供ってのは大抵灯台もと暗しってオチがつくもんだ。
流石に俺の家(仮)から飛び出して、俺の家(仮)の近くにいるってことはないから、行くとしたら自分の家だろう。
「一番可能性が高いのは神社では? お祭りまで時間はありますが、ケイスケ君との待ち合わせ場所は神社の入り口の鳥居前らしいですよ」
「分かってるって。だからそっちは俺が行く。後、公園もな」
「? 私は何処に行けば?」
「遊音には、普段一緒に遊んでるからこそ知ってる心当たりを探ってほしい。よく行くお店とか……後、学校とか」
「成る程」
「もし汀子を見つけたら、一人で話しかけずに他に連絡してくれ。……そうだ、繭と遊音も連絡先の交換しておいて」
「うん」「はい」
二人は手早く赤外線通信を終えた。
遊音の持っているスマートフォンは赤外線通信が可能な機種みたいだな。
「じゃあ、健闘を祈る!」
そう言い残して二人と別れ、俺は全速力で走り出した。
公園と神社。
距離的には公園の方が近いのだが、神社にはケイスケ君がいるかもしれないしより重要だ。
従って、最初に俺が向かうべきは神社だろう。
もしもケイスケ君が、何かしらの悪巧みを考えていたとしたら。
汀子をお祭りデートに誘って、酷い悪戯を仕掛けようとしているのなら。
なんとしても未然に防がなければならない。
身体測定の盗撮なんてふざけたことをやってのけた小学生なんだ。
何をするか分かったもんじゃない。
それこそ、子供の悪戯じゃ済まされないことだって……っ。
焦れば焦る程に俺の足は加速していく。
前方に子供の姿が見えようとも、怯むことなく突き進む。
ワッショイワッショイと男臭い大声が聞こえてきても、形振り構わず神社までの道をひたすら走った。
そして。
本来ならば歩いて三十分は掛かる神社までの道程を、ものの十分ほどで踏破してしまった。
Tシャツを絞ったら汗が滴り落ちそうなほど全身汗だくだ。
「はっ――、はっ――、ふぅー……」
ペース配分考えずに全速力で走るとこんなに疲れるんだな……軽く呼吸困難だよ。
少し休んで水分補給したいけど、今は汀子のことが最優先だ。
鳥居をくぐると、すぐに屋台が目に入った。
安っぽい布のカーテンが敷かれていてどんなお店なのかは分からないが、中にはピヨピヨとヒヨコの声が聞こえてくる所もある。
夜の神社には割とポピュラーなお店が立ち並びそうだ。
「意外に人が多いな」
出払っているのは全て男。
残りの大人達は結構な人数がこの神社に集まっている。
こうも人が多い中で悪巧みするのは不可能に近い。
夜の闇に乗じるのだって、人通りが激しければ無意味だ。
いくらリスクを楽しむクレイジー小学生とて、ゼロの可能性に挑むほど馬鹿じゃない。
となると、悪巧みの舞台はここじゃないのか?
「……今は汀子を探そう」
その後、二十分ほど掛けて境内を探し回ったが汀子を見つけることはできなかった。
汀子と同じ年の瀬の女の子達がいたので勇気を振り絞って訪ねてみたんだけど、結果は知らないの一点張りだった。
それどころか不審に思われた。
勇気の振り絞り損だ。
神社は空振り。繭と遊音からの連絡もない。
俺は次の目的地の公園に向かって再び走り出した。
先程のような全速力とまではいかないものの、いくらか回復した体力をフルに使って前に進む。
「ははは……」
途中、自然と笑みがこぼれてしまった。
こんなに全力で頑張るのは一体何年振りだ?
一年前のトラウマとか関係無しに、俺は元来無気力な性格だったのかも。
ミラクルと遊んだときもかなり気合い入ってたはずだけど、今はそれ以上だ。
今の俺、超暑苦しい。
でも、そんな自分は嫌いじゃない。
今ならどんなことでもできそうな気がする。
汀子を見つけたらまずは連絡する、なんて言ってしまったのを後悔してるよ。
傷心中の汀子を慰めてやることだってできそうなんだ。
いっそのこと、一人で解決して繭と遊音を驚かせてやろうか。
そんな考えに至った辺りで、俺は公園の敷地を跨いだ。
そして――すぐに携帯を手に取って二人に連絡を取った。
ぱっと見、公園に人影は見当たらない。
しかし明らかな痕跡があった。
汀子のクラスの女子が総出で作ったアジトへの入り口が、大きく開いていたのだ。
アジトから外に出るときは必ず入り口を閉めるので、誰かが居るのは確実。
あそこは汀子の同級生女子の溜まり場となっているらしいが、夏休み中ということもあって俺は一度も遭遇していない。
今アジトに居るとしたら、それは汀子しか考えられない。
閑散とした公園を見渡しながら、中央の入り口に向かって歩みを寄せる。
そっと地下を覗いてみると、完全な真っ暗闇だった。
キャンドルも点けてないのか? 気持ちが沈んでるときにこの環境はまずいぞ。
驚かせてはいけないと思い、大げさに音を立てて梯子を下りる。
地面に足を付けて大きく息を吐き、意を決して――後ろを振り向いた。
そこで俺の目に最初に飛び込んできたのは、アジトへの侵入者を阻むように仁王立ちしている汀子の姿だった。
けど。
俺はすぐに、汀子の向こう側の光景に目を奪われてしまった。
「―――」
思わず息を呑む。
ここは汀子達が作り上げたアジトだったはずだ。
ピンク色の装飾が全体に施され、ひとたび足を踏み入れたら御伽の国に誘われてしまいそうなほどにメルヘンな空間。
それがこのアジトの特徴だった。
今は、違う。
黒だ。
見渡す限りの黒。
始めこそ、ただ暗いだけとも思ったが、目が慣れてきてハッキリした。
ピンク一色だった汀子達のアジトは、全てが黒に塗り潰されている。
汀子の足下にはスプレー缶のようなものがいくつも転がっていた。
プラモデルの塗装などに使うものか、或いはヘアスプレーだろうか。
恐らくあれを使ってこの漆黒の空間を作り上げたに違いない。
それだけならメルヘンがシックになっただけで済んだのかもしれないが、設置されていた数々の家具類はその全てが壊されていたり横転していて、気休めの言葉すら浮かばないほどに凄惨な光景だった。
特に、可愛らしいぬいぐるみ達が黒く染められているのは痛々しいことこの上ない。
「……っ」
誰がやったかなんて考えるまでもない。
お祭りデートでワクワクさせておいて、一気に奈落の底へと突き落とす。
小学生の考えることではないが、明らかに計画的な犯行だ。
俺はケイスケ君のことを最初から信用していなかったし、それなりの覚悟もあった。
だからこうやって怒りを抑えて冷静に思考を巡らせることができる。
でも、汀子の負った傷は計り知れない。
「汀子」
何を言えば良いか分からない。
それでも声を掛けずにはいられなかった。
「何しに来たのよ」
「分からない」
「……何それ」
「ここに来る前は、お前が傷付く前に何とかしてやりたくて無我夢中だったんだけど、結局間に合わなかった。……ごめんな」
「別におにーさんは悪くないでしょ。お姉ちゃんに酷いこと言って、謝りもせずに逃げ出したのはアタシなんだから。罰が当たったのよきっと」
「こんな人為的な罰があるか!! これについてはお前は悪くないだろ!? この期に及んでまだケイスケ君を庇うのか!」
「じゃあどうすれば良いのよ!!」
振り絞るように発せられた汀子の声は、涙が滲んでいるように聞こえた。
「お姉ちゃんにはおにーさんがいる。何度も忠告してくれたゆーねとミラクルの気持ちも全部無視しちゃったアタシは、もう好きな人に頼るしかないじゃない!!」
「俺はまだ繭とは――、……」
そう。
あくまでも『まだ』なだけで、俺の気持ちは本物だ。
心の底から繭の傍に居たいと思っている。
汀子が気を遣うのは当たり前かもしれない。
おまけにあんなことを言ってしまった後では、尚のこと繭に頼るなんてできない。
遊音とミラクルも、やはりずっと前から汀子を気に掛けていたんだ。
遠回しに、汀子の機嫌を損ねないように気を遣いながら。
それが分かっていて無視してきたのなら、後ろめたくて友達にも頼れないって気持ちは分かる。
けどな。
汀子は一つ失念していることがある。
もしもこの先、俺と繭が真剣に交際することになったら、将来的には――
「俺は……汀子のお兄ちゃんになりたい」
「っ」
「でも、今はまだ本物の兄妹にはほど遠い。お兄ちゃん代わり……ってことでどうだ?」
「……何よ。急に……優しく、なって……っ」
顔を伏せたままの汀子は、声を震わせながらゆっくりとこちらに振り向いた。
そして倒れ込むように俺の胸に飛び込んできた。
「うわああああああああああああああ!! せっかくみんなで作ったのに……! お金出しあって、色々揃えて……! 完成したときは記念撮影までして……っ。大切な思い出なのに……! みんなに会わせる顔がないよぉ……!!」
「汀子……」
しゃくり上げるように泣く汀子の背中にそって左手を回し、頭頂部に右手を置く。
ただでさえ汗で濡れていた俺のTシャツが、少しずつ涙で湿っていくのが分かった。
今まで抑え込んでいた感情が一気に溢れ出したのだろう。
自分の大切なものがズタズタに引き裂かれた。
その惨状を目の当たりにすれば、誰だって悲しい。
辛い。
悔しい。
やるせない。
腹立たしい。
一小学生の背負えるものじゃない。
ましてや、汀子は女の子なんだから。