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「あ、小学生の女の子とこっそり連絡先交換してたおにーさんだ」
「いきなりご挨拶だな」
公園に着くや否や、ジャングルジムから下りてきた汀子に蔑みの視線を向けられた。
遊音の奴……何で連絡先を交換したことになってんだよ。
繭の携帯を盗み見した、なんて言えないとは思うけどさ。
「他の二人が見当たらないな。何やってるんだ?」
「『たかまさ』」
「???」
何だそりゃ。
何処ぞの誰かが考案した遊びで、その人の名前がそのまま付いたのか?
「ようは特撮もののヒーローごっこよ」
「……嘘だろ? 小学五年生のする遊びじゃないぞ、ヒーローごっこって」
「仕方ないでしょ。ミラクルがどうしてもって言うんだから」
「ああ……これも合わせてあげてるのか。つっても、俺がヒーローごっこやるのは精神的にキツイぞ」
「おにーさんには拒否権なんてないわよ。録音データだってあるし、この前の罰ゲームが残ってるもん」
「残ってるのは汀子の罰ゲームだろ」
「時間が経ったら罰ゲームの権利は移行するのよ」
「斬新な後付けルールだなおい!」
安易に付き合うなんて言わなきゃ良かった。
この年でヒーローごっこなんてどうすれば良いんだよ。
勝手が分かる分、まだおままごととかの方がマシだ。
小学生とヒーローごっこ。
心の中で参加するかしないか葛藤していると、公園の中央で剥き出しになっていた鉄の扉がパカッと開き、ミラクルと遊音が顔を出した。
二人は俺の顔を見るなりジャングルジムの方に歩みを寄せ、
「来てくれてありがとうございます」
「待ってたよ! 正義の味方役は、冤罪のおにーさんしかいないよ!!」
何故主役を俺に? と疑問に思ったけど、ミラクルは悪の味方……つまり敵に憧れてるんだった。
ならば当然、演じたいのも敵側だろう。
「急に正義の味方とか言われても困るぞ……俺その番組見てないし。汀子と遊音はどうなんだ? 二人も特撮ヒーローものなんて見る柄じゃないだろ」
「知らないの? 最近のヒーローものは、若手イケメン俳優が演じてるの」
「ああ~……」
小学生の癖にめざといな。
子供の頃って、見た目の格好良さよりも一芸に秀でた男子がモテたもんだけど、今は違うんだろうか。
何はともあれ、俺に求められている役割は分かった。
「俺はそのイケメン俳優を演じれば良いんだな?」
「何言ってんの? 物理的に不可能だし」
「そーだなー。ちょっと無理があるかなー」
「タイムマシンの完成の方が現実的かと」
「こ、この……っ」
俺は別に、イケメン俳優の代わりになろうとかそんなつもりで言ったんじゃないのに。
ただ配役を理解したってだけで、何故こうもけなされなきゃいけないんだ。
「じゃあ何をやればいいんだよ」
「やられ役」
「……普通、悪の方がやられ役じゃね?」
「よーし! 一足先に悪は逃げるよっ」
俺の質問に答えることなく、ミラクルは走ってコンクリートマウンテンに登ってしまった。
それを確認するなり、遊音が俺の疑問に答えてくれた。
「色々言いましたが、『たかおに』と同じです」
高鬼。
鬼よりも高いところにいると捕まらずに済むが、長時間はいられない。
そのため適度に移動する必要がある、言わば変則鬼ごっこだ。
「え? 俺が鬼をやればいいだけか?」
「アタシも遊音も、ヒーローごっこなんてやりたくないもん。だから正義の味方役が鬼になって、悪がひたすら逃げるっていうヒーローごっこもどきを考えたの。悪役が逃げるのは自然でしょ?」
「高鬼の鬼が正義の味方だから、もじって『高正』か。しっかし……」
ミラクル……将来が心配になるくらいチョロいな……。
ただ、無実を証明してくれたのはミラクルだし、ここらで借りを返しておくのも悪くない。
たかまさ――真面目に遊んでみるかね。
「特別なルールとかあるか? ローカルルール的な」
「普通だと思うけど」
「子が――悪が高所に登っていられる時間は十秒?」
「制限時間はありません」
「……待て。それだと正義の味方の俺は、どうやって悪を捕まえればいいんだ」
高鬼では、子が安全地帯である高所に登ることで、十秒間だけ身を守ることができる。
その間に子が降りてこなければ、その子は捕まったことになり鬼が交代する。
鬼は基本、高所に登れないため、子の制限時間がないと手の出しようがない。
「悪が高所に登ってから十秒経ったら、正義も登って良いことになってるの」
「つまり待ってるだけじゃ駄目なのか」
「後、これはミラクルを満足させるための遊びだから、全員捕まるまで終わらないわよ。捕まった人はあのゴンドラ型のブランコ行き。もし誰かが捕まっても、他の誰かがタッチすれば復活可能ね」
「おい! それもう、高鬼じゃなくてドロケイじゃねーか!」
「三人が高所に登ったらスタートね~」
何だかんだでノリノリな汀子は、再び目の前のジャングルジムに登り始めた。
ちなみにこのジャングルジム……やたらと巨大且つ複雑で、この中を子供の小さい体で逃げられたら捕まえようがない。
「手加減するとてー子の機嫌も損ねてしまうので、気を付けて下さいね」
「難しい注文だ……」
ミラクルに花を持たせてやろうと思ったけど、それも難しいか。
遊音が高所なのか分からない砂場の縁に登ったところで、いよいよ『高正』が始まった。
改めて公園を見渡してみる。
ジャングルジムは論外として、他の目立った高所は雲梯、不思議な形のオブジェ、ミラクルがいるコンクリートマウンテンの三箇所。
最初に捕まえるべきなのは遊音だ。
あの子なら、仮に復活されてもまたすぐに捕まえることができる。
問題なのは二番目に捕まえる相手。
汀子はジャングルジムの中央にいるので、捕まえようとするだけで俺の体力はガンガン削られる。
となると、遊音を餌にしておびき出すしかない。
そのためには、俺が隙を見せれば良い。
二番目のターゲットを、ミラクルにすることで。
「ふっふっふ。完璧な作戦だ」
「いつまで独り言言ってんのよ!」
背後から文句が聞こえるが、生憎汀子の相手をするのは最後。
まずは砂場の縁というルールスレスレの高所にいる遊音だ。
俺がゆっくりと砂場に近付くと、遊音はすぐに縁から降りた。
そして再び淵に登る。
やっぱりか。
地面に足を付けて、すぐにまた登る。
十秒経ったらまた同じことの繰り返し。
少なくとも十秒の間俺は手が出せないので、実質遊音は無敵だ。
「なあ、それは卑怯じゃないか?」
「何とでも言って下さい。体力のない私は、一度捕まってしまえば足手まといになるのが確実ですので」
んー……強引な手段を使えば、この無敵状態をどうにかすることはできるんだよな。
けど今の俺にそれができるかどうか。
ようは地面に足を付ける瞬間にタッチすれば良い。
小学生の女の子に、タッチすれば良いんだ。
言葉にすると余計に気が引ける。
標的を変えるにしても、ミラクルから捕まえるってのはあまり意味が無い。
汀子から忠告された『高正』の目的にそぐわないし。
「俺と遊音がここで駆け引きしてても、ミラクルは楽しくないと思うんだ」
「てー子が待ってますよ」
「分かるだろ。あのジャングルジム、小学生ならスルスル登れても高校生の体格じゃ酷だって。俺の体力がなくなったら、結果的にミラクルは楽しくない。違うか?」
「そんなに勝ちたいんですか……」
「い、いやそうじゃなくて!」
遊音の哀れみの視線を受けて俺は動揺を隠しきれなかった。
そうだよ。
所詮子供の遊びじゃないか。
別に俺が疲れて勝ち目がなくなっても、何も問題ないじゃん。
作戦練ってまで勝って、俺は何を得るというんだ。
俺は踵を返してジャングルジムに向かおうとした。
が――そのとき、右手に何かが触れた。
遊音の左手だ。
「このまま動きがないとつまらないのは確かですから」
「……自分から捕まりに来るとは思わなかった」
そのまま遊音の手を引いて、保護者同伴のような形でゴンドラ型のブランコまで歩く。
自分から捕まりに来ただけあって、遊音は素直にブランコに乗り込んでくれた。
このブランコは檻。
今後はここを拠点にして、汀子の様子を窺いつつミラクルを捕まえに行かなければならない。
「おにいさんの作戦通りに動いたんですから、真剣にやって下さいね」
「恥ずかしながら、最初から真剣だったよ」
俺の言葉を聞くなり、遊音の口元が僅かに緩んで小さな笑いが漏れた。
相変わらず遊音は子供って感じがしない。
年上と話してる気さえする。喋り方も丁寧だし。
そういう意味では、大人相手にタメ口の汀子は子供っぽいと言えるな。
「……、え!?」
気配を感じてジャングルジムの方に目を向けると、汀子の姿が忽然と消えていた。
嘘だろ。
この短時間であの密林から抜け出したのか!?
俺の焦りに呼応するかのように、今度は水飲み場の蛇口がひねられ、ジャ――――……っと水が出しっ放しにされる。
水飲み場はコンクリートマウンテンとブランコの直線上にある。
ジャングルジムとは距離があるので、あれをやったのは汀子ではない。
ミラクルの仕業だ。
彼女もまた、何処にも見当たらない。
「ほ、翻弄されてる……」
水出しっ放しなのが滅茶苦茶気になるんだけど!
水不足で苦しんでる国がどれだけ世の中にあるのか分かってんのか!?
あの出しっ放しの水は間違いなく罠だ。
俺が閉めに行ってる間に遊音を解放するための。
とくれば、近くには必ず汀子とミラクルが隠れているはず。
蛇口をひねった直後に隠れたのだとしたら、水飲み場の裏側に一人は隠れていることになる。
「……」
俺は円を描くようにして、ゆっくりとブランコの周りを歩いてみた。
背後に気を配りながら、公園をグルリと見回して再び元の位置に戻る。
確認したのは死角だ。
水飲み場の裏側だけじゃない。
公園を囲っている桜の木の裏側、簡易トイレの裏側、オブジェ。
これらの場所であれば、俺の動きに合わせて移動することで完全に隠れることができる。
姿を確認するだけでも、遊音から距離を置かなければならない。
「く、くそ……水が気になって集中できん……」
モッタイナイ!
罠だと知りつつも、あの蛇口を閉めずにはいられない!
俺は迷わず水飲み場に向かって走った。
「――と見せかけて!!」
「!?」
勢いよく後ろを振り向くと、飛び出してきた汀子と丁度目が合った。
ブランコとジャングルジムの間にある桜の木――そのどれかに隠れていたに違いない。
「――っ」
汀子は慌ててジャングルジムに逃げ込もうとするが、それは俺も予測済みだ。
全速力で後を追う。
どちらかと言えばインドア派の俺でも、小学生の女の子に追いかけっこで負けるほど体力がない訳ではない。
汀子がジャングルジムに手を掛けた瞬間に、どうにか肩に触れることができた。
「何子供相手に本気になってんのよ馬鹿ああああああ!!」
「馬鹿はお前だ! 頼むから静かにしてくれ!」
地面よりも高所に登るだけで十秒の余裕が生まれるのに、汀子は馬鹿正直に走って逃げようとした。
それが敗因だ。
「うぅ~~~~……」
「ほら、いつまで抵抗してるんだ」
「――! ……なんでアタシを狙ったのよ」
「別に狙い撃ちしたわけじゃないぞ。位置的に汀子が来るとは思ってたけど」
「か弱い小学生の女子相手に本気で勝とうとしてるのは?」
「お前等は都合が悪くなるとそればっかりだな……。単純に、真面目に遊ぶって決めただけだよ。子供相手だからって適当にやってたら、ミラクルだってつまらないだろうし」
「ここで問題」
「は?」
「そのミラクルは、今何をしてるでしょうか?」
「!?」
慌ててブランコの方に視線を送る。
そこには、悠々と遊音を救い出してコンクリートマウンテンに向かうミラクルの姿があった。
「時間稼ぎしてたのかよ! 卑怯だぞ!!」
「さっさとアタシを連れて行かないのが悪いんですよーだ」
強引に連れて行こうとしたらセクハラだなんだと暴れていた癖に。
にしてもこの『たかまさ』、さっきはドロケイに似てると思ったけど、缶蹴りにも似てるな。
缶蹴りの場合は見つけてしまえば敵を減らせるけど、『たかまさ』ではそうはいかない。
捕まえない限り敵の数は減らないし、二人捕まえるまでは終始多勢に無勢だ。
もし総人数が十人とかだったら、正義の味方役はいつまで経っても悪役に回れないぞ。
「……もう一度気を引き締めないと。汀子だけは守りきるぞ」
「なっ――」
「これで『餌』までなくなったら振り出しだからな。是が非でももう一人捕まえて、一対一の状況を作らねば……」
「……、」
「ぐお!? な、何しやがる……っ」
汀子は何故か俺の太ももの裏に膝蹴りを入れて、自らブランコの方に走って行った。
いくら捕まったのが悔しいからって暴力は良くないぞ……。
「ミラクル! 助けて~」
「ぬ!」
大げさに手を振る汀子を見て、コンクリートマウンテンにいる二人がこちらに近付いてくる。
しかし、俺がブランコに辿り着く方が早いと見るやすぐにその動きを止めた。
「惜しい」
「そう簡単に行かせるかっての」
再び敵が二人になってしまったが、片方は遊音だ。
体力勝負になれば有利なのは俺に決まってる。
やっぱり注意すべきはミラクルか。
「……あれ?」
そのとき、俺の頭の中に一つの疑問が生まれた。
この遊び……『たかまさ』って、どうやったら悪(逃げる)側の勝ちになるんだ?
高鬼は、一人捕まえれば鬼と交代なのでそんなルールは必要無い。
缶蹴りには、どれだけ見つけても缶を蹴りさえすればリセットというルールがある。
ドロケイは全員を捕まえれば良い。
『たかまさ』であれば、制限時間内を逃げ切れば悪の勝ち――そんなルールがピッタリだけど、今のところ逃げ切ったら勝ちなんて話は聞いていない。
「どうかしたの?」
「あ……いや、この遊びってさ。悪が勝つ条件って決まってるのか?」
「ないわよ。最初にこの遊びを提案したときは、制限時間を三十分に決めてたけどね」
「どうして無くなったんだ?」
「ミラクルに言われたの。『最後に悪が勝つヒーローものなんて認めない』よ! って」
「こ、このハチャメチャな遊びにそんな深い意味が?」
「悪は散り際こそ華、なんだって」
そういえば、交番の中で話したとき……汀子に上手いこと乗せられたと知ったミラクルは、如何にも悪役の最期みたいな演技をしてたっけ。
ただ単に、テレビで見た悪役に憧れてる訳じゃない。
散り際こそ華。
裏を返せば、その真意はまるで――。
「……」
だとしたら、俺は今まで以上に真剣にやらないといけないな。
ミラクルのために。
何故ならこの『たかまさ』……悪の勝利こそないけど、正義の敗北はある。
即ち、『門限』という名の時間切れだ。
「なあ。お前等の門限って何時だ?」
「五時」
「五時か」
俺が小学生だったときは六時くらいだったので、随分と早い気がする。
まあ男と女じゃ扱いも変わるか。
「でも、延長有り」
「延長?」
「六時までに家に帰らないと、お姉ちゃん達が頭に角を生やして迎えに来るの。だからそれまでは平気」
「それは怖い」
厳密には繭が来てしまった時点でアウトなので、長くても門限の延長は三十分くらいが目安だろう。
一週間前のシャンプーハットの衝撃以来、俺は顔を合わせるどころかメールの一通すら交わしていない。
できれば迎えが来るまでには終わらせたいな。
……ん?
「お姉ちゃん『達』って言ったか?」
「遊音にもミラクルにもお姉さんいるから。ちなみに、お姉ちゃんと同級生」
「へぇ……三組の姉妹がどっちも同級生って珍しいな」
母親同士が仲良くて、タイミング合わせて子作りに励んだのかもしれない。
生まれたのが全員女で助かった。
幼馴染みの男の子、なんて重要ポジションのライバルとは張り合いたくないし。
「気になる?」
「何が」
「遊音とミラクルのお姉さんの顔」
「顔? ……まあ、少しは気になるけど」
「どっちも可愛くて、美人」
「ふーん」
「何その反応!?」
「いや、だって……他の子に目移りなんてしたくないし」
「! ……」
というかね。
男の本能的に、可愛い女の子とかスタイル抜群の女の子が目の前に現れたらドキドキしてしまうんですよ。
それを回避するには、目を逸らすのが一番良い。
ここに来て予想外の美少女が二人も登場したら、俺の一途な想いがこじれかねない。
そう簡単にこじれない自信はあるけど、人生何が起きるか分からないからな。
「さて、と。無駄話はこれくらいにしないとな」
公園にある大きな時計を確認すると、時刻は二時半ジャスト。
随分と古そうな時計だったので念のため携帯で確認を取るも、現在時刻は変わらなかった。
俺は軽くストレッチして体を慣らし始めた。
「門限まで、大体三時間くらいか。ミラクル……絶対に捕まえてやるからな」
「うわ。ここに来て更に大人げない発言」
「大人だからだよ」
「は? 意味分かんない」
「大人ってのは子供の期待に応えるもんだろ。お年玉然り、誕生日プレゼント然り、サンタクロース然り」
「流石のミラクルも、サンタクロースは分かってるってば」
「そうじゃなくて。ミラクルは信じてるんだろ?」
今度はしゃがんで、靴紐を結び直しながら言う。
「正義は必ず勝つってさ」