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子供嫌いの無意識矯正  作者: 襟端俊一
第二話 恋という名の処方箋
10/33

「はぁー……」


 この溜息も何度目だろうか。

 時刻は午後六時半。

 繭はまだ帰ってきていない。

 汀子の話ではもう帰ってきてもおかしくないとのことだが……正直、とても心配だ。

 その汀子は、こんなことは日常茶飯事と言って気に掛ける素振りも見せない。

 まあこの家の家族構成的に嘘ではないんだろうけどさ。


「はぁー……」

「おにーさんの番なんだけど!?」

「え? あ、ああ……パス二」

「出せる癖にまたパス!? ハートの三と十止めてるのおにーさんでしょ!!」

「うん、そうだけど。汀子は出せるカードなくてパスしてるから、このまま俺がパスすれば勝てるし」

「最低! 大人げない!!」


 もう分かると思うけど、俺達はテーブルの上で七並べをしている。

 繭がいなくなった後すぐに三人は出かけたいと言ってきたのだが、留守を任された身としては許すわけにいかなかった。

 一緒に遊ぶからと言って何とか納得して貰い、色んなテレビゲームで時間を潰した。

 そして最終的に辿り着いたのがこのトランプだったのだ。

 今は俺と汀子の一騎打ち。

 当然最初から一騎打ちだった訳ではなく、他の二人はとっくに上がっている。

 つまりビリ争いだ。

 俺だって子供相手に本気で勝ちに行く気はなかったさ。

 でも汀子は一騎打ち状態になると、何故か決まって負けた方が罰ゲームというルールを設けるんだ。

 その罰ゲームはある一点においてとても分かり易いものだった。

 今後一切繭と口をきかないとか、転寝家の敷居をまたぐことを禁止するとか、交換した繭の連絡先を消すとか……要するに、姉に手を出すなと露骨に言われ続けている。

 引けないだろ。

 男として。

 告白してふられて、それでもまだ付きまとってるとかなら汀子の言い分も分かるけど、絶賛片思い中の俺がそんな罰ゲームを受け入れられるはずもない。


「ほら、早くパスしろよ」

「う、うぅ……。パス……三」

「パス三」

「うがー!!」


 この瞬間、汀子のビリが確定した。

 これでも俺、甘いと思う。

 だって汀子の分の罰ゲームは一度も執行されてないし。

 繭の件、せめてアプローチすることくらいは認めて欲しいけど、罰ゲームでそれが決まっても意味が無い。


「あ……決着、付きましたね」

「またてー子の負け? 情けないなー」

「おにーさんが卑怯な手を使うから!」

「七並べってそういうゲームじゃないのか……?」

 手加減したらしたで絶対怒りそうだしなこの子。


「こうなったら、次は麻雀やる!」

「えぇー……いーよもう。どうせ俺が三位でビリは汀子だし」

「うがー!!」


 俺の溜息と同じく、汀子のこの発狂も既に十回近く耳にしている。

 この対戦成績から察するに、三人で何かをやるときは大抵ビリなんじゃないか?

 遊音とミラクルがいそいそと麻雀牌を用意しているのを見て、俺は祈った。

 早く帰ってきてくれ――と。

 祈りが通じたのか、タイミング良くインターホンが鳴る。


「おっ、帰ってきたぞ!」


 いち早く反応した俺は、足早に玄関へと急いだ。

 扉が開いて最初に見えたのは、繭の顔ではなく右手だった。

 その手には大きな買い物袋がぶら下がっていて、長ネギがはみ出ている。

 続けて繭は強引に体を入れて体重を掛け、最後に左手を入れて「ただいま」と言った。やはり左手にも買い物袋がある。

 時間が掛かったのは、買い物が原因だったのだ。

 わざわざ買い物に行った理由は間違いなく俺にある。

 電話なりメールなりしてくれれば手伝いに行ったのに、という台詞をグッと呑み込む。

 俺が率先して迎えに行くべきだったんだ。

 三人を連れていけば何の問題もなかった。


「ごめん……また、気付けなくて」

「夕飯、お鍋だから。手伝ってくれる?」

「も、勿論!」


 夏真っ盛りなのにお鍋? と思ったけど、手伝う分には好都合だ。

 難しい料理だと台所にいるだけで迷惑になりかねない。

 鍋なら食材を切るだけだ。

 繭の代わりに二つの大きな買い物袋を持って台所まで運ぶ途中、用意した麻雀牌をしまおうとしていた遊音と目が合った。

 ん……Vサイン? そんなにファインプレーだったか?

 俺を称賛するよりも、遊音には汀子のご機嫌を取っておいてほしかったりする。

 汀子は俺を応援するどころか、断固として姉を渡すまいと意気込んでいる節があるし。

 んで、その予感は的中したわけですよ。


「……」

「……何?」

「いや……食材を切るだけだから、二人で充分だぞ?」

「一人より二人、二人より三人。アタシはお腹が減ってるの」


 繭、汀子、俺といった並び順で台所に立っているのだが、繭とのコミュニケーションを見事に妨害されている。

 何せチラリと横を見ると、ギロリと汀子が睨んでくるんだもん。

 そこまで目の敵にしなくても……。

 まあ、スマホの録音データを盾にしてこないだけマシかな。

 全ての食材を適度な大きさに切り終えると、テーブルに運んだガスコンロに火が点けられた。

 鍋の中身は色とりどりの野菜で彩られていて、ゆず胡椒の香りが食欲を刺激する。

 この日の転寝家の夕食は水炊きだ。

 成る程……夏バテ防止か。

 俺は全員に取り分けてあげようと(繭目当て)したが、肝心の繭には既に妹の手が掛かっていた。

 味は文句なしだが、夕飯の間、俺と繭の間に会話が生まれることは一切なかった。

 食後の皿洗いですら、「お姉ちゃんと二人でやるから来ないで」と言われる始末。

 そんなわけで、俺はテーブルに突っ伏して自分の無力さそっちのけで汀子を呪っていたんだけど。


「お風呂入ってくる」


 繭の一言で、俺は体を全く動かさないまま意識を覚醒させた。

 鍋を食べて汗掻いたから、一刻も早くシャワーを浴びたい。

 そんな女の子の気持ちは理解できる。

 でも男がいる前で入るか?

 信用されてるのか、意識されてないのか……単に汀子の言っていた通り警戒心が薄いのか。

 気が気じゃないですよ。

 いつの間にか小学生三人組もいなくなってるし。

 もしかしなくても四人で入ってるのかな。

 入りづらそうだな。

 軽くお風呂の中の様子を想像してみる。

 ……………………くそっ、小学生の裸が邪魔で繭が見えないぞ。

 三人は湯船にでも引っ込んでてくれよ。

 などといけない妄想を巡らせていると、お風呂場の方から声が聞こえてきた。


『げほっ、ごほっ……た、助け――』


(遊んでるのか……?)


『お、溺れ――がぼっ』


 バチャンバチャンと水飛沫を上げる音がしきりに聞こえてくる。

 足が付かずに溺れて、何かに捕まろうと水面を叩いてしまう感じの音だ。


「いや……まさかな。四人で入ってて、お風呂場で溺れるわけがない」


 しかしシャワーの音が途切れるのと同時に、水飛沫の音は余計に大きくなった。

 傍に繭がいるのなら止めるように言いそうなものなのに。


『おにーさ――助け――』

「!!」


 その声に、半ば条件反射的に俺は立ち上がった。

 が、すぐに踏みとどまる。

 一年前を思い出せ。

 俺は小学生の泣き声に釣られて、助けようと思って声を掛けた。

 その結果どうなったかを思い出せ。


「……収まったか。やっぱりただの悪戯――」

「おにーさん助けて!!」

「!?」


 急に声が近くなった気がした。

 お風呂場からのくぐもった声ではなく、少し距離を置いた程度の、ハッキリとした声。

 ……俺は何を躊躇していたんだ。

 窓から暴漢が侵入したのかもしれないじゃないか。

 俺なんかでは想像できないような事態が、お風呂場で起こっているのかもしれないじゃないか……!!


「……っ」


 俺は駆け足で繭が消えていった廊下の方へ向かった。

 この家にお邪魔して数時間が経っているものの、お風呂場が何処にあるかまでは把握していない。廊下に隣接しているドアを片っ端から開けていくしかなかった。

 三つ目のドアに差し掛かった辺りで、急にシャワーの音が復活した。

 俺は勢いそのままにドアを開け放ち、うっすらと浴槽が見えるガラス戸に手を掛ける。


「大丈夫か!! ――って!?」

「……、」


 お風呂場にいたのは繭一人だけで、助けを求めていた汀子の姿は何処にもなかった。

 だがそんなことが吹っ飛んでしまうほどのインパクトを持った光景に、俺の視線は釘付けにされてしまった。

 それはあられもない繭の瑞々しい肢体――ではなく。



 シャンプーハット。



 ワシャワシャと髪を洗っている繭の額には、何故か水色のシャンプーハットが装着されていて、その下では一切の水を受け付けない半眼の瞳がこちらを睨み付けている。

 中学三年生にもなってシャンプーハットを愛用している繭に対して、俺は全力の突っ込みを入れようとした。

 ところが咄嗟に我慢してしまったせいで、俺の頭の中は真っ白になってしまった。

 繭から視線を逸らすなんて選択肢はなかったんだよ本当だって信じてくれ!


「……いつまで見てるの」

「!! ごめんなさい!」


 冷静に叱責されて、止まっていた俺の思考は再び動き出した。

 すぐさまドアを閉めて、その場に崩れ去る。

 本当なら一刻も早く脱衣所からも退散すべきなのだが、始まったばかりの俺の恋が早くも終焉を迎えた可能性を考えると力が抜けてしまった。

 大きく溜息を吐いて床に手を付き、立ち上がろうとする。

 そのとき、やたらと盛り上がった洗濯物の山がたまたま目に入った。

 モゾモゾと動く不自然すぎるそれは、丁度小学生三人が組体操のように並ぶと収まりそうな幅がある。


「……、」


 俺は見て見ぬ振りをして、携帯から繭に『ごめんなさい』とメールを送り、転寝家を後にした。

 何度も謝るのは逆効果だし、これが最後だ。

 帰り際に思うのは、今日の失態と反省。

 繭の存在が俺の中で大きくなりすぎて、いつも通りに振る舞えなかった。

 どうも俺は、不測の事態という奴に物凄く弱いらしい。

 もっと臨機応変に対応できるようにようにならないと駄目だな。

 この先、あの小学生達と関わっていく覚悟があるのならだけど。

 まあ、とりあえず。


 悪戯で良かった……のかな。


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