踏みにじられた善意
俺は子供が大嫌いだ。
「えーん、えーん」
何処かで子供が泣いている。
俺はキョロキョロと視線を彷徨わせながら歩き、すぐに泣き声の出所を発見した。
公園のベンチで、赤いランドセルをお腹に抱えた女の子が、盛大にむせび泣いていた。
傍には誰もいないが、女の子はしきりに泣き続けている。
それを見た俺は、こう思った。
この子を助けられるのは自分しかいない、と
言わば使命感のようなものに突き動かされたわけだ。
「うえええーん、うえええーん」
恐る恐る公園に足を踏み入れて女の子に近付くと、泣き声は一層大きくなった。
ベンチまでの距離が二十メートル程になったとき、俺はもう一度周囲を見渡した。
公園の角に設置してある公衆トイレを見つめ、誰かが出てこないか様子を見る。
仮に保護者や友達がいるのなら、俺の出る幕じゃないと思ったからだ。
だが、やはり公園には誰もいないようだった。
俺は再び女の子との距離を縮める。
女の子はランドセルを包み込むように背中を曲げていて、遠くから見たときはとても小さく見えたのだが、近付いてみるとそこまでの子供ではなかった。
小学五年生、或いは六年生だろうか。
多感な年頃の女の子が、恥も外聞もなく助けを求めている。
一体、女の子の身にどんな異常事態が起きているというんだ。
きっと何かの病気に違いない。
俺は駆け足で女の子との距離を詰め、優しく声を掛けた。
「君、大丈夫? 何処か痛いの?」
背中をさすって安心させてあげようとも思った。
けど、見ず知らずの子供に不用意に触れる危険性を、俺は十分理解していた。
善意で行った行為であっても、他から見ればどう映るか分からない。
だから一先ずは声を掛けるだけにとどめて、女の子の反応を見たかったんだ。
「うええーん、うえ――」
女の子はピタリと泣き止んだ。
この体格の女の子が、まさか寂しくて泣いていたわけではないはず。
俺が声を掛けただけで涙が止まるのは変だ。
いや。
初めから、泣いてなんていなかったとしたら?
頭の中に疑問が生じたときには、既に手遅れだった。
女の子は顔を伏せたまま口元だけを歪ませていた。
まるで獲物が罠に掛かったのを喜んでいるかのように。
そして、次の瞬間。
徐にストップウォッチのような物を取り出して、中心にあるボタンを躊躇無く押した。
直後に鳴り響く、けたたましい警戒音。
音と同時に現れたのは、何処に隠れていたのか分からない――大勢の子供達。
「私の友達に何したのこの変態!」
「いやー!! 誰か来て下さい! ここにロリコンの変態が! 不審者が!!」
「この野郎……よくもやりやがったな!!」
子供達の統率の取れた動きに、俺はおどおどするばかりだった。
たった四、五歳しか違わないはずの子供達から向けられる『狩る者の視線』が、身の毛がよだつほどに恐ろしかった。
それでも。
無抵抗でいることが最善だと俺は信じた。
だって俺は何もしてないんだから。
泣いている女の子が心配で、声を掛けただけなんだから。
そんな俺の純粋な善意も、騒ぎを聞いて駆けつけた警察官の前ではただの言い訳にしかならなかった。
もう一度言う。
俺は子供が大嫌いだ。
というわけで、母さんの仕事の都合で親戚のお姉さんの家に単身引っ越すことになって東京の下町にやって来たはいいが、人っ子一人居ない住宅街を散々迷った挙げ句、精神的、肉体的疲労が溜まりに溜まって歩くのも億劫になって、ようやく巡り会えた人物が赤いランドセルを持った小学生三人組だったとしても、絶対に道を尋ねたりはしない。