A Critical Phase -Ⅱ-
A Critical Phase -Ⅱ-
《プレイギア》を起動した結城の視界が夜の帳が落ちるように徐々に闇へと覆われていく。そして、真っ白な光が視界を覆って、《プレイギア》の起動画面が現れる。『GENESIS Presents》のロゴが現れて消えると、《Sword Of Frontier》のタイトルロゴが現れる。
そのタイトルロゴを見る度に、結城は陰鬱な気分に襲われる。
この《SOF》をプレイした一万人のプレイヤーの中で、このゲーム開始のタイトルロゴを何度も繰り返して見ている人間は、自分しかいないという現実を、改めて思い知らされるからだ。
どうして、自分だけがログアウト、ログインをある程度自由に出来るのかは分からない。
《SOF》を開始した経緯が普通のプレイヤーのそれとは、趣が異なる事に理由があるのかも知れないが、真実は分からない。
タイトルロゴにズームし始め、まるで高速移動でもしているように光が後方へと流れていく演出の後、トンネルを潜り抜けたように光が視界を覆う。
そして、その光に目が慣れ始めると、そこはもう、《SOF》の中だった。
レンガ造りの家々が軒を連ね、中央の広場には、中世そのままの鎧を着た人や、腰や背中にそれぞれの武器を背負った人々がいる。その人達の頭上には、現実世界ではあり得ないエメラルド色の水晶のような物が浮かんでいる。
それは、プレイヤーキャラである事を指し示しているアイコンのようなものだ。
そして、ここは、バルロッサ――帝国軍との最前線に程近い都市――の《ゲート》が設置してある中央広場付近だった。《SOF》内からログアウトする際には、結城は余程の理由がない場合を除いて、《ゲート》付近からログアウトするようにしていた。
《ゲート》は、攻略済みの都市と都市を繋ぐ役割を果たしている為、その転移移動のエフェクトとログアウト時のエフェクトを周囲に誤認させる為である。
結城は、右手の中指と親指を擦り合わせ、弾いた。何もなかった目の前の空間にステータス表示画面が現れる。
ステータス画面表示のためのクイックモーションは、各プレイヤーでカスタマイズする事が可能になっており、特定の名称による発声や、結城が今やったような特定のモーションによって表示させる事が出来た。
スマートフォンの操作要領同様にスライド、タップさせて自身のステータスがログアウト以前と変わっていないかどうかを確認する。それは、《SOF》をやり始めてからの結城の習い性のようなものだった。
いつも通り、ログアウト前とステータスに変化がない事を確認した結城は、ステータスの自身の名前――《Shiro》に視線を向けた。
シロ。
その犬のような名前が結城の《SOF》内での名前だった。
“負け犬”である自分には相応しい名前に、自嘲の笑みが浮かぶ。《SOF》はそんな微細な感情すら表情として再現してしまう。
結城――シロは、フレンドリストを開く。そこに表示されている名前は、一つだけ。《Aya》と表示されている画面をタップする。
お互いのフレンド登録が成立している場合に限り、対象者の現在地が表示される。表示されたのは、ルビア。
それにシロは小さく舌打ちを零した。ルビアは、現在、帝国軍とシロ達プレイヤーキャラが属している連邦軍との戦いの最前線だ。
ログアウト前に彼女がいたのは、別の都市であった事に加えて、今回のイベント戦闘は、防衛戦だった事を考えれば、トップギルドに所属している桜坂彩――アヤがそこにいるという事は、既に防衛戦イベントの告知があったのかも知れない。
結城は、中央広場にある柱が四本立ち、その中央から青白い光が溢れている《ゲート》に入り、「転移、ルビア」と唱えた。
瞬間、シロの視界が真っ白に覆われ、その靄のかかったような視界の中でシロを形成していたアバターのポリゴンが光の粒子へと変わっていくのを見た。
シロが焦った理由は、二つある。
一つは、《SOF》にログインする前に湯島に言われた事だ。
目的がアヤの警護である以上、シロは少しでも早く合流し、その傍にいなければならない。だが、アヤとは初めて《SOF》に入った際に、ちょっとした縁でお互いにフレンド登録をしただけに過ぎず、その後、積極的に関わり合う機会は殆どなかった。
殆ど、初対面に近い状況で、その傍で彼女を守らなければならないと言うのは、難しい。それを湯島に説明しても、「糞ガキの思春期なんざ知るか。どうにかしろ」と鬼瓦のまま、吐き捨てられただけだった。
もう一つの問題は、防衛戦イベントが近いらしいこの状況だ。
《SOF》が他のVRMMORPGと赴きを異にする最大の理由が、侵攻戦、防衛戦と呼ばれる超大規模イベントクエストが発生する点だ。
《SOF》にはプレイヤーキャラの属するルドラン連邦軍とそれと敵対するドルテカ帝国軍の二大国が存在する。
《SOF》開始当初、ルドラン連邦は、帝国軍の侵攻によって、その国土の大半を占領されている状況からの開始だった。そこからプレイヤー達が侵攻戦をクリアし、領土を拡張して、現在のほぼ五分五分まで領土を拡大する事が出来た。
しかし、ゲーム開始から約半年で領土全体の三分の一程度まで広げる事が出来た時、今までの侵攻戦イベントとは全く逆の防衛戦イベントが発生した。
通常、都市内でのプレイヤー同士の戦闘は、双方の合意がなければシステム上、発生しない。しかし、防衛戦イベント発生時のみ、都市内でのプレイヤー同士の戦闘がシステム上で成立してしまう。
つまり、その防衛戦イベント発生時だけは、絶対安全である都市内でも、アヤの殺害――プレイヤーキルが実行出来てしまうのだ。
そして、防衛戦イベントが超大規模イベントと銘打たれる理由に、開始時刻に指定されたエリア内にいる全てのプレイヤーが強制的にそのイベントに参加させられる点があげられる。
デスゲームを恐れて、都市内に篭っている多くのプレイヤーや、最前線で攻略するには、レベルが満たないプレイヤーも問答無用で巻き込んでしまうのだ。
しかも、この防衛戦イベントの始末が悪い点は、参加プレイヤーの三分の一が、死亡もしくは、戦場の離脱という戦闘不能な場合、プレイヤー側の敗北になり、獲得した領土を奪われるばかりか、短期間で次の防衛戦イベントが発生してしまう点だ。
最初、発生した防衛戦イベントでプレイヤー側は立て続けに敗北し、領土を五分の一まで減らされ、《SOF》開始当初以来の死亡者の続出を招いた。
プレイヤーの間では、『二週間戦争』、現実世界では、『第二次SOF事件』とも呼ばれている。
《ゲート》を潜り、ルビアを訪れたシロは、その街の雰囲気で防衛戦イベントが近い事を確信した。
街にいるプレイヤーの殆どが、第一線で活躍しているギルドに所属している事くらいは、アイコン表示で分かる。それに普通の街ならば、NPCが運営している売店の他に、生産系プレイヤーが販売している露天等が見受けられるはずが、殆どその姿が見当たらない事が決定打だった。
躊躇っている場合じゃない、と覚悟を決めて、アヤの所属しているギルドである《ヴァンパイアズ》のメンバーを探していると、「よっ!」と気安い声と同時に肩を叩かれる。
びくりと身体を震わせて、振り向いたシロの前には、金髪に屈託のない笑顔を浮かべた青年が立っていた。
「……クエイド、さん」
「シロ、お前もついに最前線に来る気になったんだな」
にやっと口元を緩めたクエイドの様子にシロも愛想笑い程度の笑みを浮かべてみせた。
トップギルドに有り勝ちな傲慢さとは縁のない、人懐っこい笑顔を浮かべて見せるクエイドだが、準トップギルドである《フェンリルナイツ》のギルドマスターでもある。それを証明するように彼の背中は、巨大な大剣が背負われていた。
殆ど攻略に参加した事のないシロだったが、例の『二週間戦争』の際、三度目の防衛戦であるカイデリカ防衛戦で一緒に戦ってからは、何を気に入ったのか、シロを自分のギルドに勧誘しようと事ある毎に言い寄ってくるのだった。
「う、うん」
「んじゃ、俺のギルドに来いよ」
この時も開口一番の勧誘にシロは、「いや、でも……」とやんわりと断ろうとするが、今日のクエイドはいつもよりも押しが強かった。
「ソロで最前線に来れる力量なら、大丈夫……ってか、是非来て欲しいくらいだ。遠慮する必要なんかねぇよ」
クエイドの押しにシロは、困ったように笑うしかなかった。
シロは、ギルドには所属していないソロプレイヤーだ。コミュニケーション能力に難がある自覚以上に、《SOF》で唯一ログイン、ログアウトを自由に行える事を考えれば、万が一にでも、それが露見する事態だけは避けなければならなかったからだ。
更に言えば、柴崎の前任者であるケースオフィサーからは、《SOF》内でも決して、表舞台に出るような行動は控えるように言われていた。
そんな事情もあり、クエイドからの勧誘を断り続けていたのだ。
クエイドもシロの意思を尊重して、それ程強引な勧誘はして来なかったが、今回は、防衛戦イベントに積極的に参加するつもりがこちらにあると見抜いてか、シロが明確な意思を見せない限りは退くつもりはないようだった。
「……ごめん。僕は、《ヴァンパイアズ》に入れて貰おうと思ってるんだ」
気を悪くするだろうか、と恐る恐る口を開いたシロだったが、その言葉を聞いたクエイドは、意外にも何処か安心したような微笑みを浮かべてくれた。
「そっか。ま、ソロでやってくのもそろそろ限界だろ。仲間を作るのは、良い事だと思うぜ。ひとりぼっちは寂しいもんな」
クエイドの呟きにずきりと心が痛んだ。辛辣な言葉には慣れているのに、不意に掛けられた優しい言葉には、脆く心が震えてしまう。
それにどうにか「そうだね」と言葉を搾り出す。
「んじゃ、今回の防衛戦頑張ろうな。もし、《ヴァンパイアズ》に断られたら、いつでもうちに来いよ。あそこ、結構入隊が大変らしいからな」
軽くシロの肩を二度叩いたクエイドは、振り返ると駆け出していく。
その背中を見送ったシロは、忸怩と痛む胸を抱えたまま、クエイドとは反対方向へ歩き始めた。
**
流石に有名ギルドと言った所なのか、プレイヤー数人に尋ねるだけで、《ヴァンパイアズ》の居場所は分かった。
そして、防衛戦イベントが三日後に迫っている事も聞き出す事が出来た。
湯島や柴崎の話では、アヤの命を狙っている局の横領グループ“膿”にもそれほど時間的猶予はないらしい。仕掛けてくるならば、間違いなく防衛戦イベント時だろう。
それを考えれば、何としても、《ヴァンパイアズ》に入れて貰うしかない。
入隊が厳しいらしい、というクエイドの言葉を思い出し、ごくり、と喉を鳴らして、《ヴァンパイアズ》がいるNPCが運営するレストランの扉を開ける。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
NPCの決まりきった言葉に一つ頷いてから、店内を見渡す。
すぐに《ヴァンパイアズ》のメンバーは分かった。
黒で統一された、甲冑、ローブ、衣服等を着込んだ数人の人間がレストランの一番の席にに固まっていた。その中で一際目立つ桜色の長い髪を認めたシロは、激しく胸を打つ鼓動を感じながら、そちらへと歩を進めた。
シロが近づいて来るのに気が付いたのか、《ヴァンパイアズ》のメンバーの視線がシロに突き刺さる。その視線の中には、アヤのものも含まれているのだろうが、そちらへ意識を向ける勇気も余裕もなかったシロは、漆黒の甲冑を着た偉丈夫にだけ意識を注いだ。
《SOF》のアバターが、実際のプレイヤーのそれに習う事を考えれば、どれだけ現実世界の彼が筋骨隆々の体躯をしていたかは一目瞭然だった。
髪型と髪色だけは、プレイヤー側で設定出来るため、実際のそれ通りとは限らないだろうが、刈り込んだ短い黒髪は、現実の彼の髪型と寸分違わないのではないか、と思える。
表記されている名前は、“ヴァンパイア”。
彼こそが、数多あるギルドの中で最強の称号を関している《ヴァンパイアズ》のギルドマスターだ。
大きなステーキを豪快に食べようと大口を開けていた“ヴァンパイア”は、目の前に来て漸くシロの存在に気付いたのか、ゆっくりとした所作で視線をシロに向けた。
「僕を、《ヴァンパイアズ》に入れて下さい」
何処か眠たそうな胡乱とした瞳が年齢不詳の印象を見る者に与えるが、実際は、二十代の後半くらいだろうか。恐らく、そう簡単にはいかないだろう、と両の拳を握り固めて彼の口が開くの待つ。
「いいよ~」
瞬間、シロの周りでがたっと椅子が鳴る音が響いた。
「ちょっと、“ヴァンパイア”! 何だってあんたはそう安請け合いするのよ!」
「フヒヒ、また、“ヴァンパイア”の悪い癖が始まったね」
「ギルドマスターが馬鹿だと、俺達メンバーが困る」
口々に文句を言い始める《ヴァンパイアズ》のメンバーにシロは目を白黒させるしかなかった。
これが《SOF》内に数多あるギルドの中でも、最強と呼ばれているトップギルドなのか、と
困惑しているシロの鼓膜を「シロ……さん?」と甘い声が震わせる。
一際跳ね上がった心臓の鼓動に恐る恐るそちらを振り向けば、席から立ち上がり、不安と期待を込めて輝く大きな瞳を向ける桜坂彩――アヤの姿があった。
現実で見た桜坂彩の美しさそのままに――否、ポリゴンで構成されるアバターではあるものの、約一年の意識不明の状態で憔悴していた彼女自身とは異なり、今、目の前にいるアヤは透き通るように白い肌ではあるもの、血色の良い薄桃色に色付いた艶のある唇をしていた。
現実では閉じられていた瞼の奥で見る事の出来なかった瞳は、鳶色に輝いていて、その長い睫一つ一つすらアバターが正確に反映させている事を思うと、本当に奇跡的な美貌の持ち主だと思った。
そんな彼女が自分を真っ直ぐに見ている事に、顔が熱くなり、「そ、そうだけど……」と意図せずに、ぶっきらぼうな言い方になってしまう。
「そうですよね! あの、覚えていませんか? 《SOF》の最初の頃、一緒にパーティを組んだ、アヤです」
瞳に浮かんでいた不安が消えて、表情を輝かせて微笑んでいるアヤの姿にシロは呆然としながら、頷くしかなかった。
覚えていて……くれた?
その感慨が、胸の奥に閉じ込めていた想いを一瞬で溢れさせた。
忘れられるはずなんてなかった。あの時、彼女と出逢わなければ、僕は死んでいた。
だって、僕はその為にここに来たんだから。
償う事の出来ない罪を犯して、僕は、“負け犬”らしく逃げ出した。
この世界で、誰にも気付かれずに野垂れ死ぬのが自分には相応しいって――。
だけど、君は――。
「シロさん?」
忘我の淵を彷徨っていたシロは、アヤの声で我に返った。
心配そうに向けられる瞳の温かさは、出逢ったの頃のままで、シロは「……お久しぶり、です」とどうにかその言葉だけ紡ぎ出す事が出来た。
「何々、アヤちゃん。その子はアヤちゃんのもしかして、良い人って奴? アヤちゃん、可愛いからなぁ」
にやにやとからかう笑みを浮かべている黒いローブを着た女性に、アヤは「違います!」と語気強く否定の声をあげた。表記されている名前は、リーザとある。
「シロさんは、《SOF》の最初の頃、一緒にパーティを組む事になって、色々と助けて頂いたんです」
アヤのシロの紹介を聞いていて、心の中で、違うよ、と呟くしかなかった。
助けられたのは、自分の方だ。
決して、口に出せない想いを飲み込む。
「で、どうするんだ? “ヴァンパイア”の言う通り、彼をギルドメンバーに迎えるのか?」
男にしては長い黒髪の長身の男が腕を組んだまま、呟く。長い髪も相俟って、男とは思えない中世的な面差しで、これも現実を反映している事を考えれば、アイドル顔負けの容姿の持ち主だった。
そして、周りの喧騒などお構いなしでステーキを食べ続けていたらしい“ヴァンパイア”は、ナプキンで口元を拭いてから、「その前に言わなければならない事がある」と鋭い眼光を向けてきた。
最強ギルドのギルドマスター。つまり、《SOF》の全プレイヤーの中でも最強クラスの実力を持った男の視線に背筋が凍る緊張が走る。
「メンバーを呼ぶ時は、各人ファンタジーネームで呼べ。これは、《ヴァンパイアズ》の鉄の掟だ」
また、椅子ががたりと軋む音が店内に響いた。
何を言っているのか、分からないシロだけが、所在なくその場に立ち尽くすしかなく、その様子を見かねたらしいアヤが苦笑を交えて、説明してくれた。
「《ヴァンパイアズ》のメンバーは、ファンタジーネームというギルドマスターが考えた別称でお互いを呼ぶ決まりがあるんです。ギルドマスターのヴァンパイアさんは、そのまま、“ヴァンパイア”です。私は、“ヴァルキリー”というファンタジーネームを頂いています」
「私の名前は、リーザよ。アヤちゃんは、格好良い名前を貰っていていいわよね。私のファンタジーネームなんて、“ゴーレム”よ。全く、こんな美人を捕まえて失礼しちゃうわよね」
「俺は、タクミ。ファンタジーネームは、“ウィザード”だ」
「僕は、ジークフリード。ファンタジーネームは、“バーサーカー”って言うんだよ。フヒヒ」
口々に自己紹介を始めるメンバーにシロは、困惑する。
この流れだと、本当に何の審査もなく、《ヴァンパイアズ》のギルドメンバーに迎え入れられそうである。
ギルドマスターの“ヴァンパイア”に至っては、「どんなファンタジーネームがいいだろうか。犬っぽい名前だし、“ケルベロス”や“ヘルハウンド”などどうだろか」とメンバーに意見を聞いている始末だ。
「素敵な名前だと思います」
「ちょっと、アヤちゃん! そんな事を言うと、“ヴァンパイア”が付け上がるから! それにシロで“ケルベロス”とか“ヘルハウンド”ってどんだけ可愛い地獄の番犬よ!」
「で、結局どうするんだ?」
「フヒヒ! 面白くなってきたねー」
「だから、ファンタジーネームで呼べと言っとろうが!」
口々に好き勝手な意見を言い合うだけで、誰も意見を纏めようとしない様子に、シロは心の底からこのギルドに入ろうとした事を後悔し始めていた。
next
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