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第八章 冬の月が照らすもの

「高弘、おいでかえ?」

 侍所の入口に、志摩が現れて、そう声をかけてきた。

 丁度、刀の手入れをしていた彼は、それを鞘に収めると、身軽に入口へと近寄った。

「姫様から頼みがあるのじゃ」


 冬の日暮れは早い。

 未の刻(午後二時頃)には竹田口を過ぎる予定であったのに、大幅に時間が遅れてしまい、帝都に入った頃には既に日が落ちていた。

 東洞院大路を牛車は単調に揺れながら、北へと上がっていく。周囲は相変わらず物音一つせず、夜の闇がすっかりと覆い隠してしまっている。その中を行く人と牛の吐く息の白さだけが、唯一の色彩といえた。日が落ちた後の底冷えの寒さは疲れた身体に染みるが、牛飼いも、車の前後を警備する青侍も、帝都に無事に戻れた安堵からか、どこか表情は緩んでいた。

 車が五条大路に差し掛かった時。物陰から、ぱらぱらと十数名の人影が現れた。前方の三名の青侍が、咄嗟に鍔に手を掛けた。

「……そこにおわすは今小路殿か」

 低くそう言うが早いが、相手は即座に抜刀し、怒号とともに斬りかかってきた。

「ひいーっ!」

 牛飼は慌てて逃げ出したが、相手は容赦なく背後から袈裟懸けに斬りつけた。牛飼は一太刀で動かなくなった。牛も殺され、その場から動かなくなった車の後方に刺客は回ってきて、後方を守っていた二人の青侍と刀のまじ合う激しい音が聞こえてきた。だが多勢に無勢。何人かは倒したようだったが、俊之が聞き覚えのある声はやがて聞こえなくなった。

 男達の荒い息と、歩き回る時の鎧の音。車の中で瞑目していた俊之は、ゆっくりを目を開くと懐に手を入れ小さな仕覆を取り出した。その時だった。

 前方から、全速力で駆けてくる蹄の音。一瞬、抜刀する微かな音がしたかと思うと風を切る気配がした。

 蛙を押しつぶしたような悲鳴。途端に落ち着きかけた空気が乱れた。荒々しい罵声、怒号。地面に重い物が倒れる音、うめき声。馬の高い嘶き。蹈鞴を踏むような激しい足音。そして生臭い血の臭い。俊之は思わず、眉根を寄せながら袖で鼻を覆った。

 長く続くかと思われた慌ただしい気配は、やがて不自然な静けさに変わった。俊之は取り出した仕覆を元に戻すと、後方の御簾を押し開けた。

 冬の冴え冴えとした月の光の中、動かなくなった骸の数々を立ち尽くしたまま動かない目で見下ろす高弘の姿。派手な音がしていたので大立回りをしたはずなのに、肩で息をしていないどころか、呼吸すら乱れていない。だが、その右腕からだらりと垂れた刀からは鮮血が流れている。凄惨な光景を目の当たりにしている高弘の目は、ただひたすら冷ややかだった。

 この姿を何度目にした事だろう。

 晶子の前で見せている従順な犬のような姿は、決してこの男の本来の姿ではない。今、目の前に晒している姿こそが、この男の本質なのだ。そう俊之は思った。

「高弘」

 彼は我に返った表情をし、刀を払って鞘に収めると牛車の前に膝をついた。

「上手い具合に現れたものだの」

「……晶子さまが、お帰りが遅いゆえ、様子を見て来てほしいと申されましたので」

「おかげで大事なくすんだ。……それにしてもお前は相変わらず、あれの言葉には甘いのだな」

「……」

「何事だ?」

 その場に荒々しい足音で現れたのは、将軍の補佐である管領の一隊だった。総勢で三十余名。帝都の警衛は今では将軍に仕える守護大名の役目になったいる。というと聞こえは良いが、その内実は帝都を回り、貴族、庶民の監視をする役目だった。

 彼らは牛車を見て

「これは……左大将さま」

 そう言うと慌てて膝をついた。俊之は官位で言えば鬼頭将軍より上に当たる。とはいえ、官位の威光も今ではそれ程威力を持たないのだが。

「丁度良いところへ来てくれた。後始末を頼む。賊だ。将軍が居られる下御所がある三条坊門まで、ここからそう遠くない。警護はくれぐれも気を付けたほうがよい」

 周囲がどよめいた。盗賊は確かにこの帝都の悩みの種ではあったが、その中心近くまで現れた事はなかったからだ。

「御身も危のうございますので、よろしければ警備の者を……」

「大事ない。丁度家人が来たところゆえ」

 そう言うと俊之は牛車の前から降り、高弘の韋駄丸に乗るとその場を離れた。

 彼らからだいぶ離れた頃を見計らって

「先ほどは黙っておったが、賊は西統の一味であった」

 まるで世間話でもするかのように、俊之が言った。馬を引いていた高弘は驚いたように振り返って、馬上の主を見上げた。

「あえて『今小路殿か?』と訊ねてきおった。最初から狙っていたのであろう」

「ならば何故、先ほど……。丁度管領殿の一隊でありましたのに」

「早々に手の内を晒すものではない。……近々将軍に直にお目通りが叶いそうゆえな」

 そう言うと、俊之は黙り込んだ。この話は終わり、という事だ。主が言葉を切った以上、高弘も言葉を繋ぐことはできない。二人は冬の身に染みいるような寒さの中、韋駄丸が時折鼻を鳴らす音を聞きながら、屋敷へと向かった。

 

「お帰りなさいませ、お兄様」

 寝殿で晶子がほっとしたような声で出迎えた。がすぐに

「車はどうなさいましたの?」

 音がしなかった事を不審に思ったのか、そう訊ねてきた。

「うむ。途中で車輪が深い轍にはまってしまってな、どうにも身動きが取れなくなった所へ高弘が来たので、車は置いて先に帰ってきたのだ。車は後で供の者が持ってくるであろう」

「まあ、それは大変でしたこと……高弘?」

 庭に控えていた彼に、ふと気づいたように晶子は声をかけた。

「怪我でもしているの?血の臭いがするわ」

 一瞬の間で、俊之と高弘の間で暗黙の了解がなされた。

「ああ、先ほど枯れ木に手を引っかけていたのでな。そのせいだろう。高弘ご苦労だった。もう下がって怪我の手当をすると良い」

「……はい」

 そう短く答えると、高弘は足早に侍所へと戻っていった。

「何やら疲れた。今宵は早々に休むとしよう」

「では帳台を組ませましょう」

 まるで何事も無かったかのように、冬の月は一層、澄み切った光を静かに放っていた。

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