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見抜く者

作者: 白紙 零
掲載日:2026/08/21

 その原稿を読んだ瞬間、編集者の佐伯は違和感を覚えた。


 文章は上手かった。


 上手すぎる、と言ってもいい。


 誤字はない。言葉の選び方にも破綻がない。人物の感情は過不足なく描写され、場面転換も滑らかだった。読者が迷いそうなところには、さりげなく説明が置かれている。


 それなのに、佐伯はページをめくる手を止めた。


「……誰が書いたんだ、これ」


 机の向かいに座る新人編集者の水野が答えた。


「応募者本人です。二十八歳。小説を書くのは十年目だそうです」


「本人が?」


「はい」


 佐伯は原稿の一節を指で叩いた。


「じゃあ、これは何だ」


 そこには、主人公が恋人の死を知る場面があった。


 悲しい。


 そう書かれている。


 だが、その悲しみが読者の胸に届く前に、主人公の心理が丁寧に説明されていた。


 なぜ悲しいのか。

 何を失ったのか。

 その死が主人公にどんな意味を持つのか。


 すべてが書かれている。


「AIっぽい、ですか?」


 水野が小声で訊いた。


「分からん」


 佐伯は即答した。


「AIっぽい文章を書く人間はいくらでもいる。逆に、人間がAIを使って書いた文章だって、人間っぽく直せる」


「でも、AI検出ツールでは八十七パーセント……」


「八十七パーセントだから何だ?」


 水野が黙った。


 佐伯はため息をついた。


「数字は証拠じゃない。これは小説だ。血液検査みたいに作者を特定できるものじゃない」


 佐伯は原稿を最初から読み直した。


 十ページ。


 二十ページ。


 三十ページ。


 そこで、妙なことに気づいた。


 主人公の親友の名前が、一度だけ違っている。


 最初は「高橋」だった。


 途中から「高田」になっていた。


 たった一文字の違いだった。


「ここ」


「……本当だ」


「AIでも人間でも起こる」


「じゃあ、意味がないですね」


「いや」


 佐伯は首を横に振った。


「意味はある」


 それから彼は、原稿を細かく調べ始めた。


 人物の好物。

 季節。

 部屋の間取り。

 主人公が左利きなのか右利きなのか。

 過去の出来事の日付。


 すると、小さな矛盾が次々に見つかった。


 主人公は寒がりだと言っているのに、冬の夜に窓を開けたまま眠る。


 親友は煙草を吸わない設定なのに、一度だけ煙草の火を消す描写がある。


 そして第五章では、主人公がまだ知らないはずの秘密を、地の文が知っていた。


 佐伯は椅子にもたれた。


「……なるほど」


「AIですか?」


「まだ分からない」


「じゃあ何が分かったんです?」


 佐伯は少し考えてから言った。


「この文章は、一人の人間が一気に書いた文章じゃない」


 水野が目を見開いた。


「どういう意味ですか?」


「書き手が複数いる、という意味じゃない。書き方が途中で変わっている」


 佐伯は原稿を二つに分けた。


 前半は荒削りだった。


 文章に癖がある。


 句読点の打ち方にもばらつきがあり、比喩も少し変だった。


 ところが、後半になると突然、文章が整っていた。


 比喩は無難になり、説明は増え、登場人物の感情も分かりやすくなっている。


「ここから誰かが文章を直した」


「作者自身では?」


「もちろん、その可能性もある」


「でも……」


 水野は画面を見つめた。


「AIかもしれない」


 佐伯は答えなかった。


 その日の午後、応募者本人が編集部を訪れた。


 二十八歳の青年だった。


 名前は神谷。


 緊張した様子で椅子に座ると、佐伯は原稿を机の上に置いた。


「神谷さん。ひとつ訊きたい」


「はい」


「この小説を書くとき、AIを使いましたか?」


 神谷の顔が固まった。


 数秒の沈黙。


「……使いました」


 水野が息を呑んだ。


「やっぱり」


 佐伯は言った。


「どこに?」


「文章の修正です」


「全部ではない?」


「はい」


「どのくらい?」


 神谷は俯いた。


「自分でも分かりません」


 佐伯は眉を寄せた。


「分からない?」


「最初は、自分で書きました。でも途中で文章がうまく書けなくなって……AIに、『もっと自然な文章にしてください』って頼みました」


「それだけ?」


「そのあと、人物の感情も直してもらいました。説明がくどいところも。何度も修正して……」


 神谷は苦笑した。


「最後には、自分の文章とAIの文章の境目が分からなくなりました」


 水野が訊いた。


「じゃあ、この小説をAIが書いた、と言われたら?」


「……違うと思います」


「でも、AIも使った」


「はい」


「では、人間が書いた小説ですか?」


 神谷は答えられなかった。


 佐伯も答えなかった。


 窓の外では、夕暮れの街に灯りが一つずつ点き始めていた。


 しばらくして、佐伯は原稿を閉じた。


「面白い話だな」


「え?」


「この小説の主人公は、自分の記憶を失っていくんだろう?」


「……はい」


「自分が昨日まで何を考えていたのか分からなくなる。自分の記憶なのに、自分のものなのか疑い始める」


「そうです」


 佐伯は笑った。


「まるで作者自身みたいじゃないか」


 神谷は黙った。


 佐伯は原稿を持ち上げた。


「AIが書いたか、人間が書いたか。それを見抜くのは難しい」


「はい」


「だが、もっと難しいのは――」


 佐伯は原稿を神谷へ返した。


「この作品が、最後まで作者自身のものなのかを見抜くことだ」


 神谷は原稿を受け取った。


 その指が、ほんの少し震えていた。


「……じゃあ、僕はどうすればいいんでしょう」


「書き直せばいい」


「全部?」


「違う」


 佐伯は首を横に振った。


「AIが直したところを探すんじゃない。自分が本当に書きたかったところを探せ」


「そんなの、分かるでしょうか」


「分からないかもしれない」


 佐伯は笑った。


「だから小説を書くんだ」


 神谷は原稿を抱えたまま、編集部を出ていった。


 扉が閉まる。


 水野が訊いた。


「結局、AIがどこまで書いたのか分からなかったですね」


「ああ」


「検出もできなかった」


「ああ」


「じゃあ、今回の判定は失敗ですか?」


 佐伯はしばらく考えた。


 そして机の上に残った一枚の紙を見た。


 そこには、神谷の原稿にはなかった一文が、鉛筆で書かれていた。


 ――自分が書いた文章を、自分の文章だと証明するにはどうすればいい?


 佐伯はその一文を眺めた。


「いや」


 静かに答えた。


「たぶん、これが一番大事なところだ」


「何がです?」


「AIか人間かを見抜くことじゃない」


 佐伯は鉛筆を置いた。


「その文章を書いた人間が、そこに何を込めたのかを見抜くことだ」


 窓の外で、最後の夕日が消えた。


 編集部の照明が、自動的に点いた。


 白い光の下で、原稿の文字はどれも同じように整って見えた。


 人間が書いた文字も。


 AIが直した文字も。


 その境目だけは、もう誰にも見えなかった。

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