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9 挑戦

「ネアお姉ちゃん。見てください、これ」


 大通りを横に抜け、森に向かう暗い小道。そこに落ちた魔力の跡。魔力を見極める力を持つ者にしか見えないその輝きは、まるで蒼い星のようだった。ローブを深く被り、顔を隠す少女。彼女がそれをしゃがんで指さすと、後ろに続いていた女が言った。


「今まで隠すようにしてたのに、ここで急に現れる。これは……」

「誘ってます。私たちのこと」


 すでに陽は落ちかけている。夕日が山の後ろに隠れようとしており、空では赤色と藍色がせめぎ合っていた。


「でも、なんで。あの人……いや、魔物は尻尾巻いて逃げたんでしょ? アイリスちゃんに勝てないと分かって」

「はい。そのはずなんですが……」

「もしかして、なにか作戦を思いついたとか? でも、アイリスちゃん。わざわざ乗ることないよ。こんな見え透いた罠なんかに。さっ、あんなのほっといて帰ろう」


 女は両手を広げてそう言うと、後ろを振り向き歩きだそうとする。だが、少女がそれを制止した。


「いいえ、帰りません」

「え?」


 少女はすっくと立ちあがった。膝についた砂をぱんぱんと叩き落とし、背中に担いだ大鷲の剣の位置を直す。


「ここで倒します。あの魔物が”追っ手”の一味だとしたら情報が洩れる可能性がありますし、仮にそうじゃなくても仲間を連れてきたら、また騒ぎになりますから」

「でも、アイリスちゃん!」


 女は、少女の前に飛びだした。どうにかして彼女を説得しなければいけない。万が一があってはいけないから。女は少女の両肩を力強く掴み、しゃがんで目を合わせた。


「いい? 確かにね、もしかしたら今後、あなたが言ったようなことが起きちゃうかもしれない。もしかしたら、あの魔物(ひと)はとぼけてただけで、初めから”追っ手”のことを知って……いや、”追っ手”だったのかもしれない。だけどね、だからと言ってまだ幼いあなたが戦う必要はないの。もしまたやってきたら逃げればいい。アタシがどうにかしてみせるから。また新しい所で匿ってあげるから。だから――」


 少女に目を背けられながらも、女はそう捲し立てた。「アタシが守るから。あなたはまだ子どもなの」、と。しかし少女の見せた反応は、女が期待していたものとは真反対であった。

 女はその瞬間に恐怖した。全身の毛が逆立つのを感じたのだ。鳥肌が体中を包みこみ、大量の汗が、まるで長時間湯舟に浸かった後のように湧いてくる。しかし、それらはすべてが体温を奪う冷たいものであり、かつ死をも覚えさせる鋭いものだった。

 金色の髪の間から見えた少女の瞳。それはまるで、虫けらを見下ろすかのような暗い瞳だった。


「ねえ、ネアお姉ちゃん。なんであの魔物のことを庇うの?」

「――へ?」


 女は言葉を失った。そういう気はさらさらなかった。なかったはずだ。これは恐怖による言葉の詰まり。彼女はそう自分に言い聞かせ、なんとか喉元から声を絞り出した。


「そ、そんなことは!」

「じゃあ、私が負けると思ってるの?」

「ち、ちがっ……」

「じゃあ、いいよね。行っても」


 女の腰が抜ける。それと同時に少女が横を通り過ぎた。


「ま、まって!」


 後ろ姿に手を伸ばすものの、少女は止まらない。ぐんぐんと森に向かって進んでいく。彼女は言った。


「心配しないで、ネアお姉ちゃん。私、最強だから」


◇◇◇◇

 

 骸骨(スケルトン)・スカルは、岩場に座っていた。透明になって逃げる時に頂戴した新しい服――ブラウンのローブと、革のレギンス、黒い手袋と正真正銘のマフラー、そして黒いブーツ――を身につけ、星空を眺めている。外殻を再形成し、土を詰め、再び人間の体を作り上げた。だが、剣はズボンに隠さず、剥き身のまま握りしめている。


「きれいだなあ」


 彼は今、これまでにないほど純粋だった。かつてない命の危機を逃れ、まるで生まれ変わったかのよう。数えきれないほど見た星空であるが、今宵の星々はその中でも一番だった。

 ”欲望の剣”、なんとなく分かった気がする。少女から逃げ、駆け回っている際中に考え付いた。この剣はもしや、今までの所有者、そしてあの欲望の坩堝(ダンジョン)に敗れていった者たちの記憶を持ち合わせているのではないかと。


 そして、本来ならばこの剣を握った時点で死ぬはずだった。あの地獄の業火に包まれ、触手のハゲタカたちに襲われ、それで命尽き、剣を放し、どこかでただの魔物(スケルトン)として放浪するはずだった。だが、そうはならなかった。想いの力で生き残ったのだ。この剣を手放さなかった執念こそが、彼を生かしたのである。


 足音がする。ざっ、ざっ。月の光の届かない暗い森の奥から聞こえてくる。


「お出ましか」


 少女だ。スカルに苦汁を飲ませた金髪の少女が現れた。


一匹(あなた)だけなんですね」

「ああ。俺だけだ」


 少女は辺りを見渡した。なにか罠が張ってあるのではないかと警戒しているようだ。だが、そんなことはしていない。スカルはそこまで堕ちてはいなかった。


「罠もない。一体、あなたは何を考えているんですか?」


 少女の問いかけ。だが、行動が伴っていなかった。すでに彼女は背中に下げた剣に手を添えている。カラカラと革製の鞘から大鷲の剣を取り出し、白銀の刃に月光を浴びせている。

 スカルは小考した。彼自身も、魔力の残滓をわざわざ残す気はなかった。しかし、跡を残してしまった。それはなぜか。彼はふと閃いたように呟いた。


「試したくなった……から?」


 その時だった。会話の末尾すら聞こうともしていなかったのか、彼が喋り終わると同時に刃が飛んでくる。瞬きすらも許さない刹那の突進。銀色の光が喉元を襲った。だが、さすがは元勇者のスカル。心身共に整ってしまえば、真正面からの戦闘はお手の物である。今度はあの時のように完全な受けに回らず、剣を立てて構えながらも反撃を示した。

 足を踏ん張り、向かってくる大鷲の剣に欲望の剣を振り下ろす。刃と刃に激しい火花が散った。


 ギリギリギリ――。力は拮抗していた。いいや、させていた。

 スカルは少女に敵わない。魔物となってより力を得た今でも膂力では勝てなかった。なにかカラクリがあるとしても、なんと情けない事か。しかし、カラクリにはカラクリを。


――怪力無双、ガイム。


 それは筋力増強の魔法だった。力に酔い、追い求め、破滅した男。それだけではない。


――ドレイン、ミストレイシア。


 接触した相手の力を吸い取る技。永遠の若さを求めた魔女の魔法だった。

 拮抗した二つの刃。均衡が少しずつ破れていく。


「あっ、あれ……」


 少女は違和感を覚えたのであろう。あんなにも余裕そうに斬りかかってきた鉄面皮が、焦りの色を帯びてきたではないか。どんどん圧され、何かがおかしいと気づき始めたのだ。しかし、もう手遅れだ。このまま一気に押し切れば!

 だが、少女の才能も侮れなかった。彼女は潰されそうになった体を羽のようにひるがえし、スカルの剣をなんとか受け流したのだ。欲望の剣の切っ先が茶色い地面に勢いよくぶつかり、小さな火花が走る。


「はぁ、はぁ……。いったい、何を」


 距離を離し、体勢を整えなおす少女。スカルは答えた。

 

「わざわざ言うと思うかい?」


 少女の口から大きなため息が出る。まるで問答の答えをあらかじめ知っていたかのように。

 彼女はまたしても剣を構えた。スカルは思った。その突進は、もう飽き飽きだ!


――土魔法(ゴーレム)


 スカルは心の内で力強く唱えた。片手をあげ、まるで空気を握りしめるかのように拳を閉じる。

 視線の先には、距離を取って剣を振ろうとしていた少女。その足元が突然隆起する。


「なっ!?」


 彼女にとって、それはまるで自分の足元にだけ地震が襲ってきたかのように思えただろう。その通りだ。そして、さらに面妖である。

 隆起した岩場は巨大な手となったのだ。彼女の小さな体を掴まえ、握りしめる。ぎゅぎゅぎゅっ! 人間の域を超越した自然の力に、少女の顔が酷く歪んだ。


「ぐっ! ああぁ……!」


 必死に手をつき、巨人(つち)の手を力づくで壊そうとしているが、そう簡単にはいかない。いかに摩訶不思議な超パワーをもってしても、人は自然には敵わないのだ。


 殺す気はない。ただ、ほんの少し痛めつけ、教育するだけだ。だが、なんだ、この高揚感は。スカルは、今までに感じたことのない不思議な感覚に違和感を覚えた。

 楽しんでいる? 戦いではない。もしや、弱者を痛めつけることに……?


 その時である。土の拘束が少し緩んだ。

 突然だった。少女を握りしめた土魔神(ゴーレム)の腕が、銀色の光に切り刻まれた。


 パラパラパラと圧縮された土が解放され、地面に落ちてくる。その隙間に見えた少女の姿。彼女の目は、漆黒と共に赤い輝きを放っていた。


――マズい!


 これは明確な死の匂いだ。あのゴーレムの手がスイッチを入れてしまった。スカルはその瞬間に震え上がった。

 これは……この雰囲気は! 彼の背骨がカタリと震えた。


 前に見たことがある。直接対峙はしていない。彼はその直前で敗れてしまったのだから。だが、それでも姿だけは目にしたことがあった――。


――魔王。


 もはや驚愕ではない。諦めにも似た感情だった。

 少女の体が飛んでくる。大きく散ったゴーレムの破片を踏んづけて、漆黒の炎が閃光のように走ってくる。スカルはそれでも必死に抗おうとした。ゴーレムの手をあちこちに作り上げ、少女のすばしっこい――まるでネズミのような――動きを止めようと試みる。だが、それらはすべて避けられた。掴もうとすれば蹴られ、足場にされ、払いのけようとすれば簡単に砕かれる。四方八方から飛んでくる巨大な土の手を、少女は華麗に翻弄した。


――化物めっ!


 スカルは自身の容姿も顧みず、少女に対して真っ当な怨嗟を抱いた。

 掴めない、すり抜けられる! もう、彼女は目の前だ!


 キラッ。


 ふと、少女の姿が見えなくなった。代わりに見えたのは、小さな銀色の星。

 視界に映ったそれは、気づけばスカルの体を両断していた。

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