6 女と少女
――す、砂!
スカルは突如朦朧とし始めた意識の中で真っ先に思い浮かべた。
”元”心臓を鎖で貫かれた。しかし、彼は今や魔物。左胸に命を司る臓器は存在せず、ただ空洞を刺されただけである。しかし、マズい。外殻は外からの衝撃に弱い!
砂は零れていないか。零れていたらどうするか。見られたのなら、殺すしかない!
だが、それは杞憂に終わった。外殻は保たれたままだったのだ。スカルは安堵する。剣を握る右手の力を緩めようと――どうした、すでに緩んで……。いや、これは元から……?
なんだ。この混濁した意識は。焦ったのはいいものの、その先が何も考えられない。ボーっとする。思考したくない。
そんなスカルをよそに、カウンターの向こうにいる女は意気揚々と嬉し気に言った。
「ほれほれ、”追っ手”さん。まんまと引っかかちゃって。あの子のこと、どこまで知ってるか……心の中、見させてもらうよ」
まるで宙のどこかに見えない錠前でもあるように、手から伸びた鎖を鍵に見立ててかき回す。だが、次第に彼女の調子のいい表情は曇っていった。
「ん、んん?」
違和感に首をかしげ、見えない錠前を覗き込むように体を倒すが、それでも彼女は悩ましい顔を止めなかった。それどころか、「あちゃあ」と額を叩く始末。まるで聞こえていないのに弁明を始めた。
「やっちゃったなあ。人違いだわぁ。いやあ、珍しいんだよ? 魔物をおびき寄せる結界に引っかかる一般人。まあ、でも不幸中の幸いってやつ? 殺す前に分かったんだから、ギリギリセーフだよね」
ヘラヘラと笑いながら両手を小気味よく躍らせる。そして、彼女はうなだれ続けるスカルから目を背け、「シッシッ」と手で仰いだ。
「まわれ右。あなたはここのことを忘れて帰るの」
女の声が信じられないほどにスゥーっと耳に入ってくる。頭の中で言葉が反響し、そのことしか考えられない。スカルの足がぎこちなくも反応し始めた。
女の言う通り、回れ右。踵を返し、足が勝手に扉へと進んでいく。しかし、女は不思議な言葉を発した。
「っと。ちょっと待った。なんだかあなた、気になるんだけど。不思議な心の形してる」
無意識に動いていたスカルの足が止まった。女の興味に操られるかのように再び彼女に向かって体を向け、またしても顔を地面に向ける。
女はじっと彼を見続けていた。まるで、顔をおおったマフラーの奥を覗き込んでいるかのように。さっきまでの軽々とした手遊びはなくなり、まるで指揮者のようにゆっくりと、優雅に手を動かしはじめる。心を優しく撫でるように、卵を割らないように柔らかく。女のダウナーチックな、だが若さを忘れていないような顔にじっとりとした衝撃がまとわりつきはじめた。
「お客さん。いったい、何者なの」
鎖を伝う青い光。それは波打ってスカルの中心に注がれていく。スカルの体内に入り込んだ光は、まるで壁に打ち付けられたかのように反響し、女の元まで帰っていった。
「勇者スカルさま、そう呼ばれてたんだ。魔王軍と戦ったってのは、ほんとっぽい。凄い鍛錬、それに凄い傷。無謀だったかもだけど、それでも人類のために戦ったんだ。すごいなあ。でも、なんだろ。あれ? 奥になにか……なにか、ある」
小雨のようにしっとりとした驚きの中に、彼女は一つの疑惑を浮かべた。何かよっぽど見せたくない物があるのだろう、と。知りたい。もっと、この人のことを。まるでそう渇望しているように、彼女の瞳は赤く燃え上がりはじめた。だが、それは他人が踏み込んではならない場所だった。
「呪いの武器……”欲望の剣”?」
彼女がその言葉を口にした瞬間だった。女の放った鎖、それに伝う青い光。それが塗り返されていく。
ドス黒く、赤いオーラ。まるで地獄の炎を体現したかのような恐怖の色がスカルの中から飛びだしたのである。
女の顔が引き攣っていく。彼女は全身をこわばらせ、痙攣させながら呟いた。
「本当にヒトなの?」
その時だった。
ガシャリ!
スカルの意識が戻った。彼は反射的に、胸に突き刺さった鎖を力強く掴んだ。
「ハァ、ハァ! ゼェ、ゼェ……」
まるで人の頃に戻ったかのよう。体力の限界を越えたかのような息遣いだ。上ずらせていた体がずるりと落ち、前かがみになる。だがそれは復活の狼煙であった。
朦朧とした意識が回復する。現状を少しずつだが把握していく。どうやら、心の内を見られたようだ。
「どこまで……」
「え?」
女は単一の音しか喋れないようであった。
「どこまで見た」
女は口を開こうとしていた。だが、空気の漏れる音しか聞こえてこない。ブルブルと首を横に振り、何も見ていないとシラを切るだけである。
と言っても、彼もまた分かっていた。彼女がスカル自身の確信にたどり着けていないことに。
剣を握っていた力が戻る。もはや準備万端。もし彼女が彼の最奥までを覗き込んでいたのなら、意識を取りもどした瞬間に斬り捨てていた。仮にそうだとしたら今頃、二人のいる店内は血の海で、スカルは死体を隠すこともせずに、女の後ろにかけられた白い面を手にして去っていただろう。ただ、そうはならなかった。
あと一歩だった。欲望の坩堝を支配していた触手たちがスカルの内部に宿り、意識の奥底をロックしていたのだ。彼らのアラートが脳内にけたたましく鳴り響き、すんでのところで意識を取り戻せたのである。
その代償として彼女を怖がらせてしまった。”人”ではない何か。そう思わせてしまった。もし彼女が我を忘れ、外に飛びだし衛兵を呼ぼうとするならば、やはりその背中を斬り裂かなくてはならないだろう。彼女の中に、スカルに対して害をもたらす意識がないとしても。
スカルは彼女の行動を見守った。おそらく魔法で出来ているだろう”無害”な鎖を握りしめ、マフラーの隙間から覗き込む。彼女の怯え、震える瞳孔を。スカル自身の空洞の瞳で。
しかし、女は意外と冷静だった。時間こそかかったが、今の状況を飲みこんだのだろう。この、一歩間違えれば首が飛びかねない状況を。
「わ、分かってる。なにもしないから」
女の指に鎖が戻っていく。スカルの体を抜け、土の壁も抜け、握っていた手もすり抜けた。やはりだ。この鎖は彼女が魔法で作り出した一種の幻影のようなものであり、かつ意思疎通を図る”糸電話”のようなものだった。突如覚えた肉の痛みは魔法由来のものであるらしい。スカルは改めて感じた。この魔物の体、そうとう厄介だぞ、と。
魔物として生きていくのであれば、生物としてかなりのアドバンテージがある。殴られ、斬られても痛みを感じない。かつ生命活動に必要な臓器はすべて消え去ったのだから、命はそうそう容易く尽きないはずだ。魔力も無尽蔵。この魔物の体だけでなく、握っている”欲望の剣”からも常に供給されている。この土の体を維持できているのも、そのおかげだ。
弱点があるとすれば、彼女が使うような魔法での攻撃。しかし、それは”戦い”の中で避ければいいだけの話である。だが、人間社会に溶け込み、”目的”を果たそうとするならそうはいかない。
まず物理での接触をなるべく少なくしなくてはならない。斬り合いどころか、小さな喧嘩ですらご法度だ。直接突き飛ばされでもしたら、この土の体は崩壊してしまうだろう。
さらに、魔法もなるべく食らいたくないときた。正々堂々使ってくるような相手ならいざ知らず、今回――かなりイレギュラーな状況だったが――のように突然攻撃されたらどうしようもない。しかも悪質なことに、魔法使いはどれもこれもが陰湿なのだ。
――南の勇者に会わなくては。
聞きたいことがある。それを何としてでも果たさなくてはならない。そう簡単に正体を暴かれてたまるものか。
だが、彼女の言うこと……”あの子”、”追っ手”? 何かのトラブルに巻き込まれているのだろうか。
「おい。さっき言っていたこと、それはどういう――」
消えた鎖。心の中を覗かれることはもうない。スカルは興味本位で聞こうとした。だが、音がした。
ガチャッ。ぎぃ……、からん。
視界の奥、この寂れた店内にあるはずのない光――。
突如現れる銀色の閃光。刃だ。
「なっ!?」
スカルは咄嗟に振り向いた。刃は後方より訪れたのだ。感じるのは紛れもない殺意。腕を隠した右側から斬りかかられた。
左腰に隠した剣を引く。虚空から現れた白銀は、土の体一歩手前で遮られた。
ギィン!
「くっ!」
力が強い。魔物の体、骨だけになったとはいえ人間の頃と同じか、より強くなっているはず。なのに、抑えるだけで精いっぱいだ。剣を握る手が震える。服を切り裂き、現れる”欲望の剣”。それはカタカタと震えていた。
白銀の剣で斬りかかってきた”敵”。剣は下から出てきている。視線を刃の根元に向け、ついに見つけた。薄汚れたローブを身にまとう――子ども?
「ぐぅっ……くわぁ!」
かち合った剣を突き飛ばすように腕を振るう。呪いの刃が服を裂く。一瞬、下に着ていた鎖帷子が顔を見せたが、切り裂いた服の端を左手で抑え、瞬時に隠した。
――見えていないか?
流れないはずの冷や汗が伝うのを感じる。スカルは一旦距離を置くように店の端まで飛びのいた。
ローブの子どももそうだ。彼(彼女?)は両手で剣を握りしめている。見たところ、かなり出来のいい剣だ。持ち手から伸びる鍔はまるで大空を羽ばたく大鷲のような形をしており、スラリと伸びる剣身は数十人どころか数百人を斬ってもさび付かず、刃こぼれもしないように思えるほど煌めいている。
だが、対照的にそれを握る手はボロボロだった。豆が幾度も潰れたのだろう。跡が残っており、皮膚もゴツゴツと分厚くなっている。スカルは警戒を緩めはしなかったが、その狭まった心の中で過去の自分を思い出した。
子どものローブが外れる。剥がれたフードの中から現れたそれは、黄金のように輝く少女の顔だった。
神秘的に輝く長髪とまつ毛。伏し目がちながらもまん丸な蒼い瞳。煤を被りながらも人形のように美しい顔立ち。
内股で、なよなよとした態度だ。そんな状態であんなにも殺気のこもった剣が放てたのか。しかし、見ると足元は震えていない。スカルは驚愕と共に慄いた。この子は、何を考えてあの剣を振るったのだ?
だが、彼女の口から飛びだした言葉。それはまさに純粋さを体現したかのようだった。
「ごめんなさい、お兄さん。死んでください」




