3 堕落
ああ、そうか。スカルは気づいてしまった。肉体だけでなく、心までも削がれてしまった理由に。
魔物はかつて、魔王より多大なる力を注がれていた。ゆえに、その残滓は魂の中に残り続け、主である魔王の現在が微かながらに分かるらしい。魔王が生きていたならその力は増幅され、今もなおその存在をひしひしと感じられただろう。だが、スカルには感じられなかった。人間から魔に堕ちたからか? いいや、彼自身分かっていた。この心の奥底に沈殿する喪失感。魔王の力の残り香が体のどこかにこびり付いており、それが時と共に薄れつつあったのだ。
魔王は殺されたのだ。しかも、スカルを除く何者かに。おそらく、彼がダンジョン”欲望の坩堝”に潜っていた間にだ。
一体、どうやって。彼は思いを巡らせる。勇者として祭り上げられたのは妄想ではなかった。今まで旅した街の数々で魔物を倒し、魔王の元にどんどん近づいていった。人々は彼を救世主と呼び、食料、武具、金銀財宝などを渡したものだ。
『魔王を倒して、世界を救ってください! 勇者様!』
この言葉を飾りつけて。
ならば、誰だ。誰が魔王を倒す力を持っていた。旅の最中に耳に挟んだ数多の強者たちの名を思い出しても、そのほとんどは儚く散り、生き残れた者も潔く踵を返した。誰もいない。少なくとも彼が冒険をしていた間に名が売れた者なんて。
「いいい、いったい……だだだ、だれが」
スカルは失ったはずの瞳の奥に強い閉塞感を覚えた。視界が歪むように感じるが、実際にはクリアに映っている。
二人組、後ろに立つ茶髪男は言った。
「知らねえなら教えてやるよ。冥途の土産だ。”南の勇者さま”って奴が倒したのさ。そらもう簡単に、な。イチコロだったみたいだぜ? てめえらの親分はな!」
金髪男も続いて言う。
「そうそう。俺たちゃ今、残党狩りしてんのよ。魔王を殺されて逃げ惑う”はぐれ魔物”をな! 十年も経つし、てっきりすべての魔物は知ってるのかとも思ってたが、こんなアホがいたとは驚きだぜ!」
「笑えるよな、まったくよ!」
二人はまたしても天井を見上げるように大笑いした。
スカルは悲しみに暮れながらも、またしても記憶を探ってみる。やはりだ。”南の勇者”なんて、聞いたことがなかった。
この二人組の男は”十年”が経ったと言っていた。この洞窟に入って、確かに数千の夜が通り過ぎた。その間に世界は平和になったのだろう。突如ぽっと現れた”南の勇者”なる者に、あの凄惨無慈悲な魔王があっという間に倒されて。
元人間として、これは喜ぶべきことなのだろう。はじめは恨みを晴らすために始めた冒険も、気がつけば人々を守るためのものとなった。そうして今、人々は元の暮らしを取りもどした。かつては恐れられていた魔物たちも、狂暴な獣と同等かそれ以下の扱いにまでなっている。しかし、なんだこのモヤモヤは。心にずっしりと重しを付ける”しこり”は何なのだ。
『俺が倒すはずだった』
『魔王は俺に倒されるべきだった』
『俺がみんなの歓声を浴びるはずだった』
穢らわしい欲望が手に取るように分かる。聖人君主を演じて街を練り歩いていた時とは大違いだ。今まで塗りつぶしていたはずの黒い感情が表に出ようとしていた。
剣が呼応する。スカルの想いに反応するように光を帯び始める。青い魔力は徐々に暗くなり、どす黒くなっていく。血のような赤い霧がまとわりつきはじめ、青いオーラは紫に。さらに混ざって漆黒に。初めて見た時に感じた”なんの変哲もない古びた剣”とは真反対のものが、そこには出来上がっていた。
「なっ、なんだ!」
不用心な金髪男も、これには危機感を覚えたのだろう。不退転の決意を無意識に宿していた革のブーツが、一歩後ろに下がった。
茶髪男も同様だ。彼は、まさに表情に「やばい!」と書かれていた。汗が滝のように吹きだし、見える肌すべてが青く染まっている。
「おい……。おい!」
喉奥から絞り出すように出た声は、安心を求めるための声である。逃走のきっかけになるようなものでもなく、ただ、これより覚醒を始める”雑魚モンスター”の前に立つ仲間に対しての無意味な呼びかけだ。
「し、心配すんな! こんなの、ただの――」
金髪男は精一杯見栄を張った。Tシャツ越しに分かる鍛え上げられた肉体。それをよりぴったりと張らせ、虚栄を見せる。だが、通じる訳もなかった。
スカルの足が軋むように動く。赤黒い魔の力に引っ張り上げられるかのように背骨が吊り下がり、まるで等身大の操り人形のようにぎこちなく立ち上がる。カタカタ、カラカラ。無生物の音が夜の洞窟に響きわたる。男たちの手に握られたライト。それに照らされたスカルの影は、まるで世界を飲みこむ怪物のような姿だった。
「ア、アアア、アアアア……!」
スカルの口から出る声は、もはや人間の出せる音ではなかった。夢に穢れた末路、そのものの声である。
虚ろな二つの空洞に赤い火が灯る。夜に静まり返る秘境の森、その奥地にある一つの洞窟。そこに響いたのは、男たちの悲鳴であった。




